「本当に強かったんだよ、稀勢の里は」能町みね子さんが悔やむ“あの決断”

能町みね子

ケガ直後の相撲内容を今見ると…

 さて、問題の翌・夏場所。稀勢の里は出場したわけです。重大なケガだろうと言われていたものの、あまり詳細は発表されず、場所前の情報では「上半身は鍛えられないぶん下半身を鍛錬した。下半身は100%」という話があったのを覚えています。

平成29年夏場所の稀勢の里。3月に負傷した左胸部と上腕部に分厚いテーピングが見える 【写真は共同】

■平成29年夏場所(5月)
初日 ●嘉風
「稀勢の左を嘉風が右からおっつけ左差させない。低く出る嘉風に右小手投げしかできず青房へ。不安だ。稀勢が負けて座布団が舞う」
2日目 ○隠岐の海
「稀勢、左軽くおっつけから左差し、深めに差して右も絞り、わりと万全に見える。青房へ寄り切り」
3日目 ○千代の国
「千代の国健闘!千代の国は右へ右へと回り込みながら低く入る。稀勢、左小手投げで自滅しかけるが片脚一本で残し、千代の国がついに叩いてしまい、黒房へ寄り、辛勝。稀勢の里太りすぎだろう。北の富士さん曰く『下半身の鍛錬が効いたのでは』」
4日目 ●遠藤
「遠藤突いていく、稀勢も突きで応戦するが遠藤が滑ってつんのめる。稀勢はそのとき引いてしまって墓穴。初の金星提供、これは不運な負け。鳴戸親方(元:琴欧洲)曰く『みんな左手大丈夫か言いますけど、私が見るに大丈夫です』」
5日目 ○千代翔馬
「千代翔馬、理想通りの右前ミツ。稀勢の里左下手は痛くてきちんと取れない。千代翔馬は右足何度も掛けておびやかすが稀勢の下半身は100%、ついに右上手切って自分が右上手取り、密着して正面へ寄り倒す」
6日目 ○大栄翔
「稀勢、痛い左から当たって左差し、右に回り込む大栄翔に圧力を掛けるだけで圧勝、東へ寄り倒し」
7日目 ○御嶽海
「御嶽海、右押っつけて右前ミツ取れて、切れたがまた取れて、完全にいい体勢で向正面に寄ったが、稀勢が重くて出れない!稀勢の里がジワジワ壁みたいに出て行き、万全の寄りで正面へ」
中日 ○碧山
「稀勢、右張り差しで碧山を止める。組んだのでまず安心。右上手・左下手の形を慎重に作り、粘る碧山に右突き落としさせないよう左肘を張って赤房下へ寄り切り」
9日目 ●栃煌山
「稀勢の右張り差し大失敗、栃煌山の両差しスッポリ入って、稀勢は左小手投げに行くがそれはケガ悪化の可能性。赤房下へ一直線に寄られる」
10日目 ●琴奨菊
「琴奨菊、低く右から当たって左差させず、琴奨菊が左差してガブって一気に正面へ。稀勢、休んでくれ〜」

 ここにきて一気の負けに、思わず私も「休んで」と書いてしまっています。実際、世間がそういう雰囲気になっていたことは間違いない。ほらやっぱりケガなのに出たからだ、しっかり休むべきだったんだ……こんな声がかなり聞かれたと思われます。実際、稀勢の里は(これらの声に負けた形なのか)翌日から休場に踏み切ります。

 しかし、読み返してみると、中日まで2つ負けてはいるものの、ケガのわりには案外万全な相撲が多い。横綱の自信がそうさせたのではないか、と思わせます。おそらくこのまま出ていれば8勝7敗か7勝8敗くらい。成績を批判はされたでしょうが、ともかくも出つづけたということで綱の自信はさほど揺らがなかったかもしれない。

 結果としてこの後、稀勢の里は何度も途中休場を繰り返し、批判の声も少しずつ大きくなっていきます。

 もちろん、基本的にケガは徹底して治すべきだし、相撲協会は力士のケガについてあまりにもケアが行き届いていないと思います。ケガをしたらしっかり休むべき、という一般論には100%同意します。

 ただ、横綱という特別な地位まで上りつめた稀勢の里という人が、自分の「逃げない」という主義を折ってまで休みはじめてしまったのは、今となってはよかったことなのかどうか。数日ずっと「たられば」を考えつづけている私は、言っても仕方ないこんなことをまだモヤモヤと考えています。一般論はもちろん大事だけれど、すべての例は「人と場合による」のではないか。だからこそ大相撲のルールは厳格ではなく、かなり解釈に幅があるのではないか。

稀勢の里は荒磯親方として今後、どのような力士を育ててくれるのだろうか 【写真は共同】

 それにしても、改めて当時の記録を読み返して、やはり稀勢の里は横綱だと再確認しました。現役晩年にこびりついてしまった不甲斐ない成績のイメージはファンとしてどうしても不本意です。不運ではあったけど、本当に強かったんだよ、稀勢の里は。

 ともあれ、稀勢の里は親方としての道を歩みはじめました。荒磯親方が力士時代よりもはるかに好運に恵まれ、親方としても横綱級になり、大相撲がさらなる発展を遂げることを私は心から祈念しております。横綱、本当にお疲れ様でした。

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著者プロフィール

文筆業、相撲ファン。近著に「私以外みんな不潔」、「文字通り激震が走りました」など。

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