W杯を愛し、愛された男・本田圭佑 ロシアで果たした3大会連続得点の偉業

元川悦子

3度目のW杯出場への悲壮な決意

「3度目のW杯に絶対に行く。かつて戦ったロシアに凱旋するんだ」という悲壮な決意のもと、本田はメキシコのパチューカに新天地を求めた 【写真:ロイター/アフロ】

 クラブでプレー時間が減った影響は代表にも及び、16年11月の最終予選・サウジアラビア戦では久保裕也に定位置を譲る格好になった。17年に入ってからも久保の優位は揺るがず、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の信頼は若い世代へと向けられていく。本田は同年6月のイラク戦では香川の負傷もあってトップ下で先発復帰したものの、8月の最終予選の大一番となったオーストラリア戦では再びベンチに逆戻り。浅野拓磨が右MFで先発して値千金の先制ゴールを挙げ、ロシア切符獲得の原動力になるなど、ベテランMFはさらなる苦境に追い込まれた。

 流れをさらに悪化させたのが、続く9月のサウジアラビア戦。先発した本田はけがの影響もあってミスからたびたびボールを失うなど不本意なパフォーマンスに終始する。これを機に代表招集が見送られ、ロシア行きに暗雲が漂った。

 ハリルホジッチ前監督の志向した縦に速いスタイルは、ボールを保持しつつ創造性やアイデアを出して攻めを組み立てる本田の特徴とはマッチしない部分が少なくなく、それも彼にとっての大きな足かせだった。この問題点を直視した上で、17年7月、本田はあえて標高2400メートルのパチューカを本拠とするメキシコでのプレーを選び、徹底して走力強化にいそしんだ。トレーニング方法に工夫を凝らして、体も絞り、走れる体を手に入れようと過去にないほど追い込んだのも、「3度目のW杯に絶対に行く。かつて戦ったロシアに凱旋するんだ」という悲壮な決意の表れだったはずだ。

 ゴールに絡む仕事に関しても、今季パチューカで徐々に調子を上げていき、最終的にリーグ戦で10得点をマークするに至った。セネガル戦後にも代表でのゴールが16年9月の最終予選初戦のUAE戦以来だと知らされ、「僕的には毎試合パチューカで取っているくらいのイメージだった。年が明けてからはバンバン取っている感じだったので、その久しぶり感は逆に知らなかった」と驚きの言葉を発したほど、彼自身の中でゴールというものが再び身近なものになってきていた。

高まるポーランド戦での2戦連発の期待

28日のポーランド戦では2戦連発の期待が大いに高まるところだ 【写真:ロイター/アフロ】

 3月のマリ・ウクライナ2連戦で半年ぶりに代表に戻った時も、結果こそ残せなかったが、パフォーマンス自体は完全復調した印象だった。ゆえに、仮にハリルホジッチ前監督が更迭されなかったとしても、本田はロシアの地に赴いていたはず。もちろん前指揮官の志向したサッカースタイルとのギャップはあっただろうが、いずれにしても、彼はロシアを戦う日本代表に必要な存在だったのだ。

 ただ、西野体制に移行していなければ、本田がトップ下に返り咲くことはなかった。一番慣れた本職に戻ってよりシンプルにゴールを狙いにいけるようになったことが、今大会の目覚ましい結果につながっている。

 新指揮官は当初、本田を攻撃の軸に据えてチーム作りを進めようとしていたから、本大会直前のガーナ戦とスイス戦で与えられたチャンスをモノにできなかったのは、本人も悔やむところだろう。それでも決してへこたれることなく、この2試合はスーパーサブとして一瞬一瞬に勝負をかける方向へと気持ちを切り替え、コロンビア戦ではアシスト、セネガル戦ではゴールという目に見える結果を残した。

 同い年の盟友・長友佑都は「W杯に愛された男」と称したが、本田自身がW杯をとことん愛し、成功するためにできることの全てをやり尽くしたからこそ、女神は微笑んでいるのだ。

 チームのために献身的になれるのも本田の強み。ビッグマウスのイメージが強い彼は一見、エゴイストに見られがちだが、ベンチにいても周りを気遣い、雰囲気を明るくしようと努めている。西野監督はメンバー発表会見で本田を選んだ理由を聞かれ、「影響力」とコメントしたが、確かにこれほどまでにピッチ内外でインパクトを残せる日本代表選手はいない。その能力を有効活用した指揮官の采配力も高く評価されるべきだろう。

 セネガル戦で1つの大仕事を見せた本田に課せられる次なる仕事は、日本を2大会ぶりのベスト16へ導くことだ。そのためにも、28日のポーランド戦では2戦連発の期待が大いに高まるところ。香川に代わってスタメン出場の可能性もあるだけに、与えられる時間を最大限生かして、より一層の勝負強さを発揮してほしい。W杯が誰よりも似合う男の躍動なくして、日本が未知なる領域へ到達することはあり得ない。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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