DeNA上位進出の鍵は2人の佐賀出身者 首位打者・宮崎とチームの勝ち頭の浜口

日比野恭三

負けず嫌いの3人兄弟の末っ子

高城(左)からのアドバイスもあり、交流戦で3勝を積み重ねた浜口(右) 【(C)YDB】

「ずいぶん田舎から来たんやな」

 初めて挨拶を交わした時、宮崎にそうからかわれたのは、同じ佐賀県出身の浜口遥大だ。

 ドラフト1位左腕の故郷は、人口約2万5000人のみやき町。野球界では無名の三養基高から神奈川大を経て、DeNAに入団した。

 豊かな自然の中で育った3人兄弟の末っ子は、とにかく負けず嫌いだった。

「テレビゲームとかでお兄ちゃんに負けたりするのもすごく悔しくて、勝つまでやってましたね」

 そのメンタルは当然、野球でも発揮された。浜口が続ける。

「勝てなかった時は、何がどうなって勝てなかったんだろうというのをずっと考えます。勝つにしても完璧に勝ちたい思いがある。たとえば完封できなければ、なぜできなかったのか、その原因を考えてしまうんです。そういう野球生活だったので、プロに入って勝てないでいた間も本当に悔しかった」

 出だしは悪くなかった。開幕ローテに滑り込み、2度目の先発となった4月9日の中日戦で初勝利をもぎ取ると、同25日の阪神戦は6回2/3を無失点に抑えて2勝目。

 ところが5月に入り、暗転する。

 毎週火曜日、6連戦のアタマを任されながら、2日、9日、16日と3連敗。ふがいなさに涙をこらえながらマウンドを降りる試合もあった。

 バッテリーを組む高城俊人が、そのころの浜口の様子を明かす。

「ロッカーを見ても、練習中にしても、表情が固かったんですよ。とにかく暗い、下を向いてる。存在感消す、みたいな。気持ちはわかるけど、そういう普段の表情が試合にもつながってくるから、(打者を)抑えてた時のことを思い出して笑顔でいろ、ということは言い続けましたね」

 一級品のボールを投げられる力がありながら気持ちで負けていた浜口のことが、高城はもどかしかった。1つ年下のルーキーに、何とか自信を持ってほしかった。

「『1点取られると(失点が)止まらなくなるんじゃないかと思っちゃいます』とかって言うんです。悪い方向に考えちゃう。だから、次の試合で自信を持ってマウンドに上がるために1週間どんなことを考えて過ごすべきか、という話はしました」

 たとえば朝のランニング。漠然と走るのではなく、「自分はいま、勝つために走っているんだ」と意識すること。そういう積み重ねがマウンドに立った時の自信につながるのだと諭した。「あとは、いざ試合になったら腕を振れ。ミットめがけて思いきり投げてこい。それしか言いません」

じっくり自分と向き合い気持ちをリセット

 交流戦の幕開けとともに風向きが変わる。直前、チームがロードに出ている間、2軍の練習場がある横須賀でじっくり自分と向き合う時間を持てたことで気持ちがリセットできた。

 北海道日本ハム戦で7回無失点の好投を演じて3勝目を挙げ、東北楽天戦、千葉ロッテ戦でも勝ち星をつかむ。アレックス・ラミレス監督が、チームの交流戦MVPとして浜口の名を挙げるほど、大きな活躍を見せた。

 浜口は言う。

「ピッチングの内容自体、特に何が良くなったというわけではないんですけど、(札幌で)1つ勝ったことによって『しっかり自信を持って逃げずに向かっていけば、これだけやれるんだ』ということがつかめた。それでも、まだまだですね。1−0で完封すれば、自分の力で勝ちを取れたと思えるかもしれませんが、課題もたくさんあるので」

 勝ってなお、負けず嫌いの火は燃え盛る。

 すでにチームトップの5勝を積み重ねた22歳は、控えめに、しかし言い切った。

「4月もてばいいかな、というぐらいだったので、出来すぎだと感じてます。でも、ここまで来たからには、倍は勝ちたいです。10勝、2ケタがんばりたい」

 交流戦を5割で終えたDeNAは、広島、阪神の2強を追う3位でリーグ戦再開を迎える。2位の阪神までは6ゲーム差だ。

 その背中に肉迫するには、佐賀が生んだ2人の逸材のさらなる活躍が欠かせない。

※成績は交流戦終了時点のもの

(取材協力:横浜DeNAベイスターズ)

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著者プロフィール

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

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