車いすマラソン・土田和歌子の笑顔の理由 3度目の正直、東京で掴んだ5度目のパラ

斎藤寿子

最後までブレなかった「いつも通り」

プレッシャーのかかるレースで、土田は「いつも通り」を心掛けていた 【写真:アフロスポーツ】

 それから4カ月、土田には「次の東京マラソンでは」というプレッシャーが常につきまとっていたに違いない。周囲への期待も感じていただろう。果たして、東京マラソンに向けて、どう気持ちを作り上げてきたのか。彼女はこう答えた。

「とにかくいつも通りを心掛けてきました」

 実はレース2日前の記者会見での「選考レースなので、条件をクリアしたいとは思うが、最近はまともに走れていないので、まずはいつも通りの走りをすることを意識したい」という彼女の言葉に、「弱気」と見る向きもあった。しかし、そうではなかった。レース前ともなれば、自然と気持ちは高揚してくる。それをあえて抑え、自らに「いつも通り」と言い聞かせていたに違いない。いずれにせよ、彼女は最後の最後までブレなかったということだ。それが結果を生み出した要因のひとつとなったことは想像に難くない。

 そして、もうひとつ。土田は「東京マラソンにこだわらなかった」という。

「ここが終着点ではなく、リオに向けてのベースアップの第一戦だというふうに捉えてやってきました」

 これもまた、経験者ゆえのものだろう。「次こそは絶対に内定を決めなければいけない」とプレッシャーをかけ、焦りが生じれば、自分自身の走りを見失ってしまう。加えて、競技者にとってプレッシャーはつきもの。土田のように周囲から期待される選手であれば、なおさら無意識に降りかかってくるものだ。だからこそ、彼女はあえて自分にプレッシャーをかける考えをせず、まずは冷静に自己分析をし、そのうえで必要なトレーニングを積み上げることに集中するようにしたのだろう。

 それでも「不安がなかったわけではない」と語る土田。ゴール後の笑顔は、その裏返しだったに違いない。

リオの地で、再び笑顔を

5大会目のパラリンピックとなるリオの地で、土田は再び笑顔を見せることができるか 【写真:田村翔/アフロスポーツ】

 土田にとって、リオは5大会目のパラリンピックとなる。

「今からワクワクしています。最近は、なかなかパラリンピックではうまくいっていないのですが、残りの期間でしっかりと準備して、成功させたいと思います」

 高校2年の時に交通事故で車いす生活となった土田が、本格的に陸上競技を始めたのは1999年、25歳の時だ。初めてパラリンピックに出場したのは04年アテネ大会。5000メートルで金、マラソンで銀と2つのメダルを獲得した。それ以降、常に世界の第一線を走り続けてきた。しかし、08年北京大会、12年ロンドン大会ではアクシデントに見舞われ、思うような成績を挙げることができていない。そんな土田にとって、5大会目となるリオでの目標はただひとつ、マラソンでの金メダル。今年9月、リオの地で、再び笑顔を咲かせるつもりだ。

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