猛虎のために尽力した中村GMの生涯 驚くしかなかった突然の訃報
大胆なタクトに選手が応えた92年
92年には新庄(右)、亀山ら若手を起用し、低迷していたチームを2位に躍進させた 【写真は共同】
真弓明信、岡田、平田勝男、木戸克彦らV戦士はすでに控えにまわり、新星の亀山努、新庄剛志が甲子園の芝の上を、土の上を伸び伸びと飛び跳ねた。八木裕は思い切りの良いスイングで本塁打を量産し、いぶし銀・和田豊のバットコントロールが冴え、オマリーとパチョレックが打ちまくった。
久慈照嘉と山田勝彦は守りで魅せた。投手では、仲田幸司がエースの活躍、湯舟敏郎、中込伸、野田浩司らがローテーションをまわし、接戦のラストは田村勤が締めた。中村の大胆なタクトに、若い選手たちがハツラツと応えた1年だった。
しかし最後の最後まで優勝争いを演じたものの、野村克也監督率いるヤクルトに覇権を奪われ、最終順位は巨人と同率2位に終わった。中村監督にとっては、惜しい、悔しいシーズンだった。くしくもセ・リーグの順位やゲーム差は、今シーズン現時点のものに非常に似ている。不思議な縁を感じないわけにはいかない。
3年連続優勝争いを続けた中村GM体制
ひょっとしたら、激務がたたったのかもしれない。今この時期、おそらく中村GMは多忙を極めていただろう。大混戦のペナントレースをフォローし、フロントとの間で来季の体制や戦力の構想を練り、そのために現場の調査をする。およそ1カ月後に迫ったドラフト会議の準備、外国人の去就の決定、戦力外にする選手の選定……。元アスリートだけに体力はある。でも66歳といえば、会社員ならすでに定年退職している年齢だ。
球団を責めるつもりはまったくない。しかし、もしGMにかかる負担が大きすぎたかもしれないと、反省すべき点があったのなら、今後は負荷の分散を考えて人員配置してほしい。
最後に。スマートな選手として、熱い指導者として、冷静なGMとして、長期にわたって愛する阪神タイガースのために尽力された中村勝広さんに、哀悼と感謝の意を表します。どうか安らかに。ありがとうございました。