己との戦いに挑んだボルトとガトリン 北京の地で見せた2人の心の動き

及川彩子

振り払えない「ドーピング」

2回のドーピング処分から復帰したガトリンだが、常にメディアからは標的とされ、壁を作っていた 【写真:ロイター/アフロ】

 シーズン序盤から好調だったガトリンは、大会前からメディアの標的にされた。過去に2回、ドーピングで処分を受けながら、処分年数を4年間に軽減して復帰。軽減の理由は米国反ドーピング機関に協力をしたためだったが、それに納得した人はほとんどいない。

 ダイヤモンドリーグの各試合や全米選手権でドーピングに関する質問が飛ぶたびに、ガトリンの顔は強ばり、「自分は処分期間を真っ当に果たした」の一点張り。気に入らない質問が出るたびに、へそを曲げる姿を何度も目にした。その姿勢に腹を立てたメディアは執拗(しつよう)にガトリンを追いかけ、糾弾した。

 ガトリンはこれまでも「メディアに嫌われているかも」と薄々感じていただろう。しかし直接的に嫌悪、いや憎悪の感情を向けられたガトリンは、メディアに対して壁を作り始めた。

 100メートルの金メダルは自分の存在と正当性を証明するために必要だった。

 準決勝でつまずいたボルトはコーチから「お前は勝ち方を知っているだろう。自信を持て」と言われ見事な勝利を収めた。王者の自信とプライドが、ガトリンへの恐怖心を打ち破った。

ガトリン「長い道のりだった」

 100メートルでガトリンが負けた瞬間に、200メートルの結果も出ていた。予選、準決勝とガトリンは無難に走っていたが、決勝のスタート前の表情には、疲れ、プレッシャー、恐怖のすべてが浮かんでいた。目を覆いたくなるほど緊張していた。

「コーナーを抜けた時はいつも1位だ。誰よりも早くコーナーを抜けるんだ」という言葉どおり、スタートから飛ばしたボルトは、首位で直線に入り、150メートル過ぎからその差をさらに広げ、19秒55の今季世界ベスト、世界歴代5位の記録で大会4連覇を果たした。

「100メートルはコーチや応援してくれる人のために、200メートルは自分のために走った。自分の伝説を積み重ねていくには、この勝利は欠かせないものだった」

 タイトルを守った喜びと達成感であふれるボルトの横で、ガトリンは少し柔らかい表情を見せていた。「メダルが取れて満足だ。長い道のりだったから」

 その言葉にはうそがなかった。悔しさよりも安堵(あんど)の方が大きいようだった。

再びリレーでメダルを争う

セグウェイに乗ったカメラマンに追突され転倒したボルト。会見ではジョークで返し、メダルセレモニーではカメラマンに笑顔で応じた 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 心境の変化は記者会見でも見られた。

 ボルトがウイニングランの途中で撮影用のセグウェイに後ろから追突され、激しく転倒したことについて聞かれると、「ジャスティンがカメラマンにお金を払って雇ったんだ」と、ちょっと笑えないブラックジョーク。しかし、ガトリンの返しは絶妙だった。
「そうなんだよ。でもお金を返してほしいな。頼んだことをしっかりやってないから」

 以前のガトリンなら、真に受けて怒って席を立ってしまっていただろう。でも2つのメダルを手にした安堵と満足感からかニコニコと笑って応じていた。

 ドーピングによる2回目の処分が決まってから9年経ったが、誰かの冗談を理解して冗談で応じたのは、初めてだったように思う。

 その後、米国人の記者から「米国は3人が100メートルの決勝に残ったが、ジャマイカは君だけ。(5月にバハマで行われた)世界リレーの結果などを鑑みると、米国が有利ではないか?」という質問が飛ぶと、ボルトはガトリンにもう少し軽口をたたいても大丈夫と思ったのだろうか。「リレーメンバーの準備はできているし、それにガトリンは年齢が年齢なので、疲れがあるんじゃないですか。やっぱりきついでしょう?」と応酬。ガトリンはボルトの横顔を見ながらマイクをとり、「俺、こいつ嫌い」と笑いながら返答した。

 2人とも相当のプレッシャーを感じていたはずだ。勝てるのか、勝ちたい。そんな言葉を何度も反芻(はんすう)しながらスタートラインに立ったことだろう。
「走る前はライバルだし、嫌なヤツって思うけれど、終わったらなぜか親友みたいな気分になる。どうしてだろうね」

 激戦を終えた2人からはお互いへの敬意が感じられた。

 彼らは29日の4×100メートルリレー決勝で再戦する予定だ。チームワークに勝るジャマイカか、走力がある米国が勝つのか。ガトリンは2走、ボルトは4走が予想されるため、直接対決が見られることはない。しかしどんな走りをし、どんな表情を見せるのか楽しみにしたい。

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著者プロフィール

米国、ニューヨーク在住スポーツライター。五輪スポーツを中心に取材活動を行っている。(Twitter: @AyakoOikawa)

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