亡き父の思いを胸に――マラソン前田彩里 高い潜在能力と強い気持ちで世界に挑む
潜在能力を支えるもの
心拍数の低さ、努力家の一面というのが、彼女の強さの秘密となっている 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
そのヒントを、高校時代の指導者、熊本信愛女学院高校の山口和也監督が教えてくれた。
「“心拍数”が高校時代から30数回、1分間で32〜33回のときもありました。良いエンジンを持っているなと、これは天性のものだと思います」
通常、ヒトの心拍数は1分間で60〜70回程度、心拍数が低いほど持久系の競技に適していると言われている。前田の心拍数は一般成人の半分ほどの回数なのだ。ダイハツに入った彼女の心拍数は、1番低いときで28回というときもあるという。
低い心拍数はリスクもあるので、ダイハツの林監督はその点は注意しながら練習を行っているということだが、マラソン選手としてのスバ抜けた潜在能力を示す要因の一つと言えるだろう。
また2人の指導者は、前田が努力家という一面も高く評価している。
林監督が「かなり練習をする選手なのでほっといたらどんどん走ってしまう。僕たちが練習を抑えさせないといけない選手」と語れば、「現代っ子であまり努力しているところを見せたがらなかったんだけど……」と振り返る山口監督は、「故障したときベッドの中で、うとうとしながらでも腹筋をやっていた」と高校での下宿時代のエピソードを教えてくれた。
高い潜在能力と努力家という一面、これがマラソンランナーとしての前田を強くした。
亡き父への思い
前田がいつも小指にはめている指輪。
それは、おととし亡くなった父・節夫さん(享年54歳)から成人のお祝いにもらったものだ。
長距離ランナーとして実業団に所属し、現役引退後も実業団の監督を務めていた節夫さんだが、普段、娘の陸上競技について口を出すことはなかったという。しかし、大学4年の夏の北海道合宿のとき、父が危篤だという連絡が入り帰省すると、舌ガンでそれまでほとんどしゃべることができなかった父が娘に語り始めた。
「走ってほしい、五輪に出てほしい」
それが最後の言葉だった。
前田はこう語る。
「五輪に行きたいんじゃなくて、行かないといけないと思うようになりました」
そこからの前田は、大阪、名古屋とマラソンランナーとして華々しい成長を遂げることとなった。
「自分でもよく分からないんですけど、父が亡くなってからのレースは、そんなに外していないんです。私にはお父さんがいるから大丈夫って思える、心強いです」
彼女は笑顔でこう話した。
初めて臨む世界の大舞台。周囲の期待は高まる一方だが、前田に気負う様子は何も感じられない。座右の銘は「自分らしく周りに惑わされず」。
父の思いも胸に――。身体的な強さに精神的な強さを身に付けた彼女が、北京のゴールテープを笑顔で切るシーンを、父・節夫さんも楽しみにしていることだろう。