和田一浩の類を見ない“遅咲き” 2000安打の9割が30歳以降
“晩成集中型”でたどり着いた偉業
【ベースボール・タイムズ】
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「他の人がヒットにできないボールをヒットにできる人。そして、とにかく痛みに強い人ですね。骨が折れている状態でも試合に出ていた時もありましたからね。普段はお酒も飲まない。その点も良かったのかな」
中日で昨季までチームメートだった小田幸平氏は、4学年上の“先輩”和田と共に戦った日々を、笑いながらも誇らしげに振り返る。そして、その人間性に感服する。
「体のケアはもちろんですし、けがをしないためにしっかりとした準備をしていた。大学、社会人を経てプロに入って2000本というのは本当にすごいですよ。背中で周りを引っ張ることができる。僕が辞めた時も相談に乗ってくれたりして、人間的にも尊敬できる人ですね」
“晩成”の秘密は「変化」を恐れなかったこと
「治療をしてもらったいろいろな先生や球団のトレーナーさんが、毎試合出られる状況をつくってくれた。自分がやった成績というのは、そういう体をケアしてもらった方々の支えがあって試合に出られた結果だと思う」
1972年6月19日に生まれた男は、さらに続け、“晩成”の秘密を少しだけ明かした。
「いろいろ難しいんですけど、年々、打ち方というか、年相応の打ち方に切り替えていったのが良かったのかなと思う。今の自分の体に対してのバッティングというものがある。それは、その時々によって違う。少しずつ変化をして、年相応の打ち方をする。それが必要なんじゃないかなと思います」
多くの人間が、30歳を越えると、「自分」に対して徐々に自信が芽生える反面、「自分の考え」に固執してしまいがちだ。自らの手で成功をつかみ取った人間ならばなおさらのこと。だが、和田は決して「変化」を恐れなかった。自らの肉体と常に対話し、常に考え、過去に囚われることなく、常に新たな自分を求め続けた。
この姿勢は今後も変わらないだろう。鈴木氏は言う。
「“中年の星”ですよ。一般の40代の人たちに勇気を与えるように1日でも長くプレーしてもらいたい」
小田氏も「今まで通りに頑張って、2000本と言わず、もっともっと記録を伸ばしていってもらいたい」とエールを送る。その言葉に応えるように、5回の第3打席ではライト前へ2001安打目をマークした。夢を諦めることなく、がむしゃらに、自らの力を信じ、球史にその名を刻み込んだ42歳、和田一浩――。その生き様に、同世代の多くの男たちが、憧れる。
(文:三和直樹、グラフィックデザイン:山崎理美)