「西高東低」の逆転はなぜ起きた――今年のクラシック戦線は異状あり!?
西高東低に変化が?
牡馬にも「東高西低」の波――昨年の2歳王者・ダノンプラチナも関東馬だ 【スポーツナビ】
それが平成の初期から顕著になります。日本ダービーを例にとってみますと、平成に入った26年間で、関西馬22勝、関東馬4勝。平成元年と2年に関東馬が勝っていますから、時代がくだるほどに西高東低が進んでいるのがわかります。
なぜ、そのような状況になったのか、様々なことが言われてきました。
トレセンの設備そのものの差や、スタッフの雇用制度の違い。また、調教技術の差、なんてことまで囁かれたりもしました。が、はたしてそうなのでしょうか。
ある調教師は示唆に富む説を提唱されていて、それは栗東と美浦の地理的な違いが馬主の経済面での意識に影響している、というもの。この“地理的要因における馬主の意識”については、あとで述べることにつながるので、ここではひとまず置いておきます。
ともかくも、そういう“西高東低”の大きな潮流の中で、今年は美浦から有力候補が出たわけです。それも1頭2頭ではなく、何頭も。もちろん、美浦所属でGIを勝つ馬がいなかったわけではありません。しかしこれだけまとまって現れたのは、近年の傾向からすれば異例と言っていい事態でしょう。
美浦所属の某ベテランジョッキーが口にしたことがあります。
「マスコミの多くは本社が関東にあるせいか、栗東より美浦の馬の方が取り上げ方が大きい気がする。だから美浦の馬が頑張れば、それだけテレビや新聞にどんどん扱われるようになって、競馬を盛り上げることにつながると思うんだ」と。
またまた年度代表馬の話をしますと、今年のクラシックを占う2歳馬部門は前述のショウナンアデラだけでなく、牡馬も美浦所属のダノンプラチナが最優秀を受賞。一世代上でも皐月賞を勝ち、ダービー2着で最優秀3歳牡馬を受賞したイスラボニータも美浦所属。また牝馬の方も、最優秀の座こそ逃しましたが、桜花賞3着でオークスを勝ち、秋は秋華賞、エリザベス女王杯を連続2着したヌーヴォレコルトも美浦所属。やはり“西高東低”の勢力図に微妙な変化が生じているのかもしれません。
このことが、上記の某ベテランジョッキーの言う、“競馬の盛り上がり”につながることを願ってやみませんが、では、ここにきて生じた変化。これは一時的なものなのか、それとも継続的な流れになるのか。
その答えを探る時、昨年の3歳馬から、という時期的なタイミングにヒントが隠されていそうです。
自ブロック制の副産物?
ごくかいつまんで言いますと、東西の主要4場。すなわち東京と中山、京都と阪神を対象にして、関東馬なら関東(自ブロック)のレースに優先的に出走でき、同様に関西馬は関西(自ブロック)のレースに優先的に出走できる、というものです。
JRAの発表によれば、円滑な出走と遠征に伴う輸送費削減、が主だった理由とされてますが、運用当初は「自由競争が妨げられる」とか「時代に逆行している」等の批判も聞かれ、賛否両論ありました。
この是非については本稿の主旨から逸れるので別の機会に回すとして、実際の問題としては、下級条件に限られるとはいえ、栗東所属馬の関東での出走数が抑えられますから、数字的な単純比較では格差是正につながるでしょう。輸送費の削減にも一定の効果は得られるはずです。
しかし、最も影響したのが、前述した“馬主の意識”だったとしたら……。
美浦と比較した栗東の地理的優位さは、ほとんどの競馬場への輸送が容易だ、ということにあります。地図上で阪神、京都、中京、新潟、東京、中山を線で結ぶとわかりやすいですが、栗東トレセンはその内側に位置します。一方、美浦はその外。要するに競馬場までが遠くなる。このことが、馬主の美浦離れの一因になっているのではないか、と某調教師は指摘しているわけです。
ここからはあくまでも仮説になりますが、その“美浦離れ”に、自ブロック制が一石を投じた可能性、はないのでしょうか?
良血馬を、例えば20頭所有する馬主さんがいるとしましょう。そのすべての馬を栗東の厩舎に預けると、自ブロック制で出走できるレースが限られるため、クラシックに駒を進めるためには、早い段階で所有馬同士を対戦させなくてはならなかったり、さまざまな障害が生じかねません。ならば半分を美浦所属にして西と東とでチャンスを広げよう、と考えても不思議はありません。何よりもまず初めに高い効率性を求めるとすれば、当たり前の発想ではないでしょうか。
このルールが導入されたのが12年の9月。その世代からも皐月賞馬ロゴタイプやコディーノといった活躍馬が現れ、本格的に自ブロック制に対応できたのは昨年の3歳世代から。それによって、ある種の偏りが解消されたのだとしたら……。
この3シーズンに起きた“西高東低”の逆転現象が、自ブロック制導入の副産物のひとつなのかどうか。取るに足らない“仮説”に過ぎませんが、競馬界全体を捉える意味で、捨て置けない“仮説”として、今後も考察を続ける必要があると思っています。
ともかくも、私達にとってみれば、面白い競馬が観られればそれで十分。求めるところはそこに行き着きます。
面倒くさい話を長々と書いてきましたが、上記のようなことも頭の隅に入れておいて、2015年のクラシック戦線、存分にお楽しみいただければと思います。