G大阪、後半の猛追を支えた2ボランチ ブレない遠藤と悩み抜いた今野が舵を握る

下薗昌記

今野のアグレッシブな守備を引き出した遠藤

宇佐美(左)の復帰後はボランチを主戦場とした遠藤が、今野をうまくフォローした 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 攻撃の起点となる遠藤を生かそうとする意識が強すぎるのか、守備に軸足を置きすぎて背番号15の今野は最終ラインに吸収される。一見すると3バックのような状態になり、背番号7・遠藤との距離感が遠ざかっていたのが当時の戦術的な欠陥で「中央を破らせず、中央から打たせないのが健太さんの求める守備」(丹羽大輝)を体現し切れていなかった。だが、W杯ブラジル大会で失意を味わった二人は再開後のリーグ戦で、本来のパフォーマンスを発揮し始めた。

「いつの間にか不調を抜け出したという感じだったし、チームの皆に引っ張ってもらった」(今野)。今季、多くのアシストを記録し攻撃面での貢献度が注目されがちな遠藤だが、今野との2ボランチを復調させる上で不可欠だったのは遠藤というマルチロールの存在に尽きるだろう。何となくゴール前に人数を割いてブロックを作ることに安住していた中断期間前の守備戦術とは異なり、再開後のリーグ戦でG大阪は最終ラインから積極的に出足の良い守備を見せ、ボランチが相手のボランチや時に相手最終ラインにまでプレッシャーをかけるようなアグレッシブな守備を志向し続けた。その中で、広大なピッチを所狭しと駆け巡ったのが今野である。

「今ちゃんの良さを出させながら、ヤットがうまくフォローしてくれていた」(長谷川監督)。ややもすると本能の赴くままにボールを刈り取る今野を心置きなくサポートし続けた遠藤は守備面でも背番号15に連動しながら、「僕らの位置で極力相手のボールを奪ったり、攻撃を遅らせることができたりすれば、自然といいバランスで守備ができる。その辺は意識している」と危険地帯を絶妙にケアし続けていた。

 遠藤自身は宇佐美が復帰して以降は、基本的にボランチを主戦場とし、「生かされる側」から本来の「生かす側」へとその立ち位置が変化。戦術的に本職のボランチでその戦術眼を発揮した一方で、悩み抜いていた今野もチームが復調した夏場以降は「サッカーが今は楽しくてしょうがない」「今、僕らは負ける気がしない」とメンタル的な充実を見せ、持ち味のボール奪取を発揮した。

攻めも守りも役割は折半

中断明け以降は遠藤と今野が舵を握り続け、圧倒的な成績でリーグを制した 【写真:フォトレイド/アフロ】

 かつての全盛期を支えたG大阪では守備面で黒子をこなしきる橋本英郎や明神智和とコンビを組み、攻撃面で存在感を発揮してきた遠藤ではあるが、今野との代表コンビでは攻めも守りも役割は折半。そんな二人の持ち味が象徴されたのがリーグ戦の天王山だった11月22日の第32節、浦和レッズとの直接対決だ。

 スコアレスのまま進んだ88分に相手のFKをニアサイドでクリアしたのは遠藤だったが「ヤットさんはあれをクリアでなくつなげるのがすごい」とGK東口が感嘆したようにカウンターの起点となる絶妙のパス。佐藤晃大の先制点を最後尾から演出すると、アディショナルタイムには今野が絶妙なボール奪取から、倉田秋による2点目をお膳立て。「守から攻」という長谷川ガンバのコンセプトを長短のカウンターで発揮した影に、大阪の雄が誇る2ボランチが確かに見え隠れした。

 中断明け以降、チームが16勝3分け2敗という圧倒的な成績を残した大阪の雄は、ブレない背番号7と悩み抜いた背番号15が、しっかりと舵を握り続けていた。

2/2ページ

著者プロフィール

1971年大阪市生まれ。師と仰ぐ名将テレ・サンターナ率いるブラジルの「芸術サッカー」に魅せられ、将来はブラジルサッカーに関わりたいと、大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科に進学。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国で600試合以上を取材し、日テレG+では南米サッカー解説も担当する。ガンバ大阪の復活劇に密着した『ラストピース』(角川書店)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞に選ばれた。近著は『反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――』(三栄書房)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント