ファン・バステンが監督から退きコーチへ 過度のストレスとプレッシャーに苦しむ

中田徹

「監督のストレスは自分が思っていた以上」

9月16日の記者会見で自身の病状を報告。「監督のストレスは自分が思っていた以上」と語った 【VI-Images via Getty Images】

 9月16日、ファン・バステンは記者会見を開き、病状を報告した。

「ストレスの問題が起きてしまった。実は過去にもそういうことがあったが、監督を続けていくうちにストレスに慣れるか、うまく付き合っていけるようになると思っていた。私はサッカーの監督という仕事が素晴らしいと思っていたし、興味もあったので、(ストレスを解決するための)コースを受けたし、専門家とも話した。しかし、監督のストレスは自分が思っていた以上に大変なものだった。私はこうしてトレーニングを率いることができなくなった」

 去就については「私は今後、アシスタントコーチとなる。監督としての責任は、現在、私のアシスタントを務めているアレックス(・パストール)に譲る方向だ。元々、彼とは仕事を分け合っていたから、AZにとっては大きな違いが起こらないはず」と語った。
 今後、監督になることはもうないのか? と問われたファン・バステンは、「そういうことになると思う」と答えた。

 オランダの人たちは病状を知っていたものの、ファン・バステン自身の口から事実を聞いてあらためて驚いた。イタリア・セリエAという大きなプレッシャーがかかる舞台でミランのエースとして大活躍し、ストライカーとしてのエゴもあった“あの”マルコがストレスとプレッシャーに苛まれるなんて――と。

表舞台に立つことはなくなる

 ファン・バステン自身が言っていたが、彼の監督としての始まりは、いきなりオランダ代表、それから名門アヤックスという奇妙なものだった。その後、ヘーレンフェーン、AZとステップダウンすることで、ようやく落ち着いて監督としてのキャリアを築ける環境を作り直したが、この頃には健康に悩みを抱えてしまっていた。

“88年組”の仲間では、ヤン・ワウタースも似た問題を抱えていた。彼は1年半ほど、アヤックスで監督を務めたが、00年春に解雇された。この時期にワウタースはずいぶんストレスを抱えてしまい、「2度と監督はしない。私は、アシスタントコーチとして監督を補佐する方が性に合っている」と長らくコーチを続けていた。そして、11年秋、ようやくワウタースはトラウマから立ち直り、エルビン・クーマンが辞任したのをきっかけに、ユトレヒトのコーチから監督に昇格した。
 
 結局、ファン・バステンが監督の座を譲ると話したパストールは、監督になることなくAZから解雇されクラブを去った。『デ・テレフラーフ』紙に「ファン・バステンが監督を辞めようと考えている」という情報をリークしたのがパストールの代理人だったため、そのとばっちりを受けてしまったのだ。こうしてAZの監督人事はスチュワードTDも含めたソープドラマに発展した。

 そして今、AZはファン・デン・ブロム監督、ファン・バステンコーチという体制を敷いた。もうファン・バステンが試合後のテレビインタビューを受けることもなければ、記者会見の舞台に姿を現すこともない。そして、彼が夢見ていたミランの監督になることも多分ないだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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