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ファン・バステンが監督から退きコーチへ
過度のストレスとプレッシャーに苦しむ

この日の注目はAZのテクニカルエリアへ

AZ対トゥエンテの一戦。注目を集めたのはAZのファン・バステンコーチ(左)とファン・デン・ブロム監督だった
AZ対トゥエンテの一戦。注目を集めたのはAZのファン・バステンコーチ(左)とファン・デン・ブロム監督だった【VI-Images via Getty Images】

 5日、エールディビジ第8節が行われ、宮市亮が所属するトゥエンテはアウェーでAZ相手に2−2で引き分けた。


 前節の試合後、風邪をひいた宮市は58分から左ウイングとして登場。最初のプレーではインターセプトから味方ゴールの起点になったが、その後は良いところなし。終盤には2度、1対1で仕掛ける場面があったが、共にAZのDFに防がれた。


 この日は、ジョン・ファン・デン・ブロムがAZの監督を務める初めての試合だった。今はもう破産してプロサッカーの世界から姿を消したAGOVVアペルドールンというチームで、ファン・デン・ブロムは後のベルギーサッカー界のスター、ドリース・メルテンス(ナポリ)、ナセル・シャドリ(トッテナム)を育てたことで知られている。また、フィテッセでマルコ・ファン・ヒンケル(ミラン)をブレークさせたのも彼だった。


 ここ2シーズンはベルギーの名門、アンデルレヒトで指揮を執り、1シーズン目はチームを優勝に導いたものの、2シーズン目は成績が伴わず、2014年3月に解雇された。それでも、アヤックスの育成責任者を務めた経験を生かして、アンデルレヒトをアヤックスと似たような若手抜てきのチームに仕上げたことは、今季のチームにも生きている。


 AZ対トゥエンテで、オランダサッカーファンの関心を集めたのは、ファン・デン・ブロムのアシスタントを務めるマルコ・ファン・バステンコーチだった。「果たして、ファン・デン・ブロムとファン・バステンは試合中、いかにお互いを意識しながらテクニカルエリアに出て、選手に指示を送るのだろう」と注目を浴びていたのだ。


 キックオフ前、ヘーレンフェーン時代の教え子、ハキム・ジエクと和やかに握手を交わしたファン・バステンは、試合が始まるとコーチとしてテクニカルエリアに出ることなく、ずっとベンチに座って試合を見ていた。

体調不良で監督続投が困難に

ベンチに座って戦況を見守るファン・バステンコーチ(左から2番目)
ベンチに座って戦況を見守るファン・バステンコーチ(左から2番目)【VI-Images via Getty Images】

 実はシーズンが始まってからしばらく、AZの監督を務めていたのはファン・バステンだった。開幕戦のヘラクレス戦は3−0で快勝。2戦目のアヤックス戦は1−3で敗れたものの、まずまずの内容で、ファンの信頼も高まっていた。しかし、8月23日、1部昇格組のウィーレムIIに0−3と完敗すると、ファン・バステンの表情が明らかに曇った。そのこと自体は勝負の世界につきものだが、この頃、彼の体は限界に達していた。


 8月28日、AZは「今度のドルドレヒト戦、ファン・バステン監督は指揮を執らず、自宅で療養する。彼は長いこと、体調不良に悩まされていた」と発表したが、実際には9月半ばまで静養することになった。9月3日、オランダの各メディアは「ファン・バステンはしばらく休む。彼はプライベートの問題で体を壊した。AZのスチュワードTDは『クラブドクターの意見もあって、ファン・バステンは少し長く休むことになった。フットボールは大事なことだが、それより健康の方が重要だ』とコメントした」と報じた。


 その頃のファン・バステンに何があったのか、オランダ人はさまざまな報道を通じて知っていた。まだシーズン開幕前の準備期間である7月終わり頃、ユトレヒトに住むファン・バステンの父が亡くなった。これがプライベートにおける問題。そして、プロサッカーの監督としてプレッシャーやストレスに耐えきれなくなってきたという問題も起きていた。その結果、ファン・バステンは動悸(どうき)に悩まされてしまった。


 とうとう、9月12日には『デ・テレフラーフ』紙が「ファン・バステンはAZの監督を辞めようと考えている」と報じた。しかし、これに関しては、全くのでたらめだったらしく、ファン・バステン自ら知り合いの記者複数人に、「私は15日、16日にはAZの練習ピッチに戻る」と携帯メッセージを送った。


 9月13日、AZ対ヘーレンフェーン(結果は1−0でヘーレンフェーンの勝利)の88分、両チームのファンから自宅で休むファン・バステンに向けて大拍手が贈られた。“88”とはファン・バステンの活躍でオランダがユーロ(欧州選手権)を制した1988年を意味している。『マルコ、お大事に』という横断幕が両チームのゴール裏応援席から掲げられた。

中田徹
中田徹

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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