闘病1年を乗り越えた“競艇少女” 元水球日本代表・倉持莉々いざデビュー
恩返しはボートレーサーになって活躍すること
支えてくれた人たちへの恩返しは、ボートレーサーとして活躍することだ 【スポーツナビ】
「思っていたより治療が長くかかってしまいましたね。3カ月くらい延びてしまったんです」
病院に行くのも嫌だった、というくらい気持ちが落ちた時期もあった。だが、そんな倉持を支えていたのは「ボートレーサーになりたい!」という強い思い、そして、家族、恩師、友人たちの存在。
「高校の同級生や水球部の監督が何度もお見舞いに来てくれて、すごく励ましてくれたんです。この恩返しをするには、絶対にボートレーサーになって活躍することだと思いました。それに病院の先生もすごくいい人で、『ボートレーサーになるために早く治そう』っていつも言ってくれたり、本当に周りの人たちに恵まれてるなぁって思いました」
治療期間中も、体調のいい日はプールで泳いだり、テニスをするなどして体力強化。そして治療開始から1年後、ついに病気に打ち勝ち、2013年4月入学の第114期入学試験を受験。志願者1641名(男子1408名、女子233名)の中から、見事2度目の合格を果たした(合格者男子28名、女子8名)。
「もう体の調子は問題ないですし、むしろ1回目の合格時よりも、体も気持ちも強くなった感じがしました」
やまと学校時代は、自分の時間がなかったのが少しつらかったかな、と振り返ったものの、一度は閉ざされかかった夢への第一歩だっただけに「何かがつらい、苦しいということは全然なかったです」。時速80キロを超えると言われているボートレースの乗艇にも、恐怖感はなかった。
「初めてボートに乗ったときは感動しました! 水に近くて気持ち良かったですし、風を切り裂いていく感覚もすごく気持ち良かった。楽しくて仕方ないですね(笑)」
抜群のバランス感覚、水上でも才能を発揮
抜群のバランス感覚はモーターボート競走会スタッフも太鼓判 【スポーツナビ】
「実はきょう、初めて倉持の走りを見たんですが、彼女の走りからはすごく才能を感じますね。特にバランス感覚が素晴らしい。いい選手になりますよ」
この水上でのバランス感覚は、水球時代に培われたものなのか、それとも天性のものなのかは本人もよく分からないと言うが、「そういえば、小さいころから父が『お前はバランス感覚がある』ってよく言っていました。だから兄ではなくて、私にボートレーサーになれって言ったのかな?」。
ただ、訓練生時代から早くも素質の高さを見せていた倉持だったが、悔しい思いもした。在校成績上位6名だけが乗れる卒業記念競走に、わずかに成績が届かず出走することができなかったのだ。
「めちゃくちゃ悔しかったです。最終戦までは上位6人に届いていたんですが、最後のリーグ戦で2回も転覆してしまったんです。せめて無難に乗れていれば良かったんですが……。卒業記念に乗れなかったのも悔しかったんですけど、それよりもB1斡旋がほしかったんです」
ボートレーサーは上からA1、A2、B1、B2とクラス分けされており、上位クラスの選手ほどグレード上位のレースに出走が可能。また、上位クラスの選手の方が出走可能日数が多いため、それだけ活躍の機会が増えるというわけだ。ルーキーはB2からスタートするのだが、卒業記念競走に出走した6名は優秀訓練生として、いきなりB1選手と同等の斡旋日数を受けることができる。
「卒業記念に乗れなかった悔しさは、絶対にデビューしてから返したいですね」
5.24平和島でデビュー「目標は賞金女王」
5月24日デビュー戦はもう目の前、「目標は賞金女王」と倉持は目を輝かせる 【スポーツナビ】
「水球ではずっと男子を相手にプレーしてきたので、ボートレースでも男子には負けたくないですね。それに病気になったことで、もっと励ましてくれた人、もっと応援してくれる人がいる。2年前の自分よりも、もっと頑張れる気がします」
目標とする選手は、平山智加。2013年賞金女王にして、昨年1月には14年ぶり史上2人目(グレード制移行後)となる男女混合GIレース優勝を成し遂げた女子トップ選手だ。
「これからレースに行ったら、一番を目指したいですし、大きい舞台に出ることはもちろん、そういうところで男子にヒケを取らない走りをしたいですね。将来は賞金女王を目指していきたいです」
倉持を取材したのは5月16日。デビュー戦を約1週間後に控え、「まだ実感はわかないです」と、あどけない笑顔を浮かべていた。でも、きっと、24日のプロ第1戦目の水上では、その表情はプロのものになっていることだろう。
「まずは水神祭(初勝利を挙げた選手が、お祝いとして他の選手に水面に投げ込まれる儀式)を目指します。新人らしくスピードを持って、思い切りのいいレースをしたいですね。そして、見ていただいた人に楽しんでもらえるようなレースができればと思います」
遠回りをした分、得られたものは大きかったし、返ってくる喜びも大きい。10歳の少女が夢見たボートレーサーの道は、難病という強敵を打ち破った末に、10年越しでたどり着くことができた。もちろん、ここが終着点ではない。この先、まだまだ果てしなく水上の道は広がっている。倉持莉々が目指す夢の続き、そして、それが現実となるその日まで、ささやかながら応援の声を送り続けたい。
(取材・文:森永淳洋/スポーツナビ)