パラリンピックを取り巻く現状とその背景=20年東京へ われわれがすべきこと

スカパー!

理想形目指して 世界が動き始めた

ソチパラリンピックが7日に開幕。20年東京開催決定後、初めて開かれる冬季大会となる 【Getty Images】

「どうしてまだパラリンピックが残っているのに五輪の閉会式をやるの?」
「パラリンピックの競技も五輪の中に組み入れて行えばいいのに」

 最近よく質問されることですが、正直、答えに窮してしまいます。ただし、五輪とパラリンピックが1つになることが理想形だとすれば、一歩ずつ、本当に一歩ずつ、その理想に向かって世界は動き始めている、とは伝えています。

 なぜ動き始めたのか。その理由は大きく3つあるのではないでしょうか。1つには何と言っても五輪とパラリンピックの関係の接近が挙げられます。2つ目は、スポーツ文化の成熟に伴う障害者スポーツの急激なレベル向上。そして3つ目は、パラリンピックの注目度が高くなったため、国威発揚として五輪と同様に力を入れようとしている国の増加です。3つのうちのどれかが先んじていたわけではなく、相乗的なところが興味深いポイントです。

パラリンピックと五輪の関係

 それまで公式ではなかった「パラリンピック」が公式名称として使用されたのは1988年ソウル大会。そして、そのソウル大会から毎回、五輪と同じ都市で開催されるようになりました。ただし、国際オリンピック委員会(IOC)側と協定がないまま、毎回同じ都市で開催していただけで、運営は別々の組織が行っていました。

 大きなターニングポイントとなったのは、2004年アテネ大会でした。その前の00年シドニー大会期間中に、IOCと国際パラリンピック委員会(IPC)との間で正式に協定が結ばれ、五輪開催都市でのパラリンピック開催を正式に義務化することと、IPCからIOC委員を選出することが決まりました。ようやく、04年アテネ大会から同じ組織委員会での運営となったのです。

 しかしながら、この体制となってからまだ夏季3大会しか経過していないのもまた事実です。今後パラリンピックがどうあるべきか。まさに今、世界が考え、動いています。20年東京大会でホストとなるわれわれも、東京開催が決まって初めて開かれるソチ大会は、パラリンピックを知る非常にいい機会ではないでしょうか。

支援体制作りで遅れる日本

 パラリンピックが五輪と一緒に運営されたアテネ大会の2年後となる06年、東京は16年五輪開催を目指して日本オリンピック委員会(JOC)に対して正式に立候補を表明し、招致活動を本格スタートさせました。当初は「東京にオリンピックを」という言葉を掲げて活動していました。しかし、09年の開催地決定の直前になって「東京にオリンピック・パラリンピックを」に変更されました。

 東京は、そして日本は、世界のパラリンピックの動きや五輪との関係をどこまで理解できていたのでしょうか。IPCからもIOC委員を選出するわけですから、つまりIPCにも開催地決定の投票権があるということを、どこまで把握できていたのでしょうか。当時、このことについて批判が挙がったといいます。実際に、パラリンピックへの理解が遅れたと言われても仕方のない状況でした。

 さらに日本では、五輪種目とパラリンピック種目で管轄する官庁が違うことが、障害者スポーツ強化の妨げになっていると度々クローズアップされています。五輪は「体育・スポーツ」として文部科学省管轄、パラリンピックは「福祉」として厚生労働省管轄なのです。
 それは、スポンサーの数や金額、それに伴う強化費が桁違いであること、使える施設の違いなどに直結します。例えば、五輪やパラリンピック、世界選手権などの規模の大きな大会に同じ日本代表として出場する時、健常者は渡航費やジャパンのユニホームが支給されます。対して障害者は、自己負担であったり、国内最高峰の施設であるナショナルトレーニングセンターも使用できなかったりするのです。

 管轄官庁とは話が異なりますが、市民に開放している体育館を車椅子系競技の選手やチームが借りようとすると、「床にタイヤゴムの跡が付くから」という理由で使用できないことは日常茶飯事で、練習場所を確保するだけで相当苦労するという類いの話は、何度も耳にしてきました。

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