GMが持ち込んだプロのマネジメント 奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第9回

吉田誠一

クラブは地域と地域の人々のためにある

佐久間は「Jクラブはサッカーをするだけでなく、地域に付加価値を付けるためにある」と言う。食育を進める活動に参加するなど地域貢献に積極的だ 【写真:ヴァンフォーレ甲府】

 特にオランダサッカー、中でもアヤックスの理念とビジョンに強く影響を受けた。そこで見たのは地域に根ざしたクラブが地域の子どもたちを人として育て、地域に貢献している姿だった。その影響が「ヴァンタス実育山梨」という活動に表れている。スポンサー企業の協力のもと、地域の教育界、スポーツ界とともに子どもたちへの体育、知育、徳育、食育を進める活動で、小学校への指導者の派遣、田植え、稲刈りといった農業体験、食育教室などを展開している。

 クラブは地域のため、そして地域の人々のためにある。だから、大局的な観点でものごとを進めなくてはいけない。その姿勢を佐久間は08年のJリーグGM講座で学んでいる。

 リバプール大学のローガン・テイラー教授がこう説いたという。「GMというのは選手からもサポーターからもメディアからも嫌われる存在です。しかし、最後にはそういう人たちと“結婚”しなければならない」、「自分の価値観を伝え、相手の価値観を受け入れなさい。それには大局的で横断的な思考が必要なのです」。テイラー教授は「教会で働いているものと思いなさい」とも唱えたというが、ファシリテーターとして地域のために尽くす佐久間の姿はそれに近いかもしれない。

 2カ月に1度はサポーターともミーティングを開く。各団体から2、3人が集まり、合計で30人ほどになる。「監督人事、補強、チームの成績などへの批判はしない」という不可侵条約を結んだうえで、スタジアムのエンターテインメント化のための意見を交換する。

 クラブの経営状況や置かれている環境、Jリーグのシーズン移行問題、2ステージ制の導入など、リーグによる議論の経過と背景説明もその場で重ねる。それはすべてクラブへの帰属意識の醸成を目的にしている。そうすることで「スタジアムに新しいコミュニティをつくりたい」のだという。

海野「負けたまま逃げるのか」

 もちろん、すべてが順調に進んできたわけではない。勝負の世界にいる以上、敗者となって批判の的になることもある。

 J1に上がった11年、駒澤大学で、そして大宮でともに戦った三浦俊也を監督に据えたが、戦績は振るわなかった。8月から佐久間自身が指揮を執ったものの、浮上できず16位に終わりJ2に逆戻りした。

 このとき、佐久間は海野に辞意を伝えている。しかし、海野は受け入れなかった。「負けたまま逃げるのか」。それは海野流のゲキだった。「あの言葉が僕の心に火をつけた。優れたリーダーは人の心に火をつけるのが巧み」と佐久間は振り返る。

 海野は現業役員を集めてこうすごんだという。「佐久間がやめるなら僕も辞める。そうなったらクラブがおかしくなりますよ。みなさん、それでいいんですか」。クラブの柱である自負をむき出しにした迫力のある言葉だが、決して尊大には聞こえず、聞く者を納得させる力があった。

Jリーグの理念を具現化するクラブ

 海野は、佐久間に対してこうも言っている。「大木(たいぼく)には風当たりが強いもんだ。君もそういう存在になったんだよ」。翌年、佐久間は城福を監督に呼び、J2を制して、3度目のJ1昇格を果たした。当然、佐久間はチームの戦績だけで満足するGMではない。クラブの力でいかに地域に付加価値をつけていくか。同時に、いかにクラブのブランド力を上げていくか。目ざすところはそこにある。

「海野会長のリーダーシップのもと、クラブがこれだけ成長してきたのは正しいことをしてきたから。何となくやってきたことを、きちんとしたスキームにするのが僕の仕事だと思う」

 そんな佐久間の将来について海野は「甲府の社長を経験させてから、Jリーグの中枢を担う人間になってほしい」と語る。佐久間の頭の中にあるものは、実はJリーグの理念そのものと言っていいだろう。もちろん海野の頭の中にもおなじものがある。だから甲府はJリーグの理念を具現化するクラブとして成長を続ける。

<第10回へ続く。文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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