脳を鍛えることでサッカー力を向上させる=新概念の『フットボール・ブレイニング』
「サッカーありき」で考えるメソッド
『サッカーに特化したピリオダイゼーション』を考案したレイモンド・フェルハイエン氏 【中田徹】
「けがはスポーツにつきものと思われているが、その考え方は改めないといけない。選手がけがをしてしまうのは、指導者のせいなんだ。選手の疲労が回復しないまま練習を続けていれば、いつかはけがをする。それはまさにロシアンルーレット。競技の質を上げるためには、練習の量を増やすより減らさないといけない」
フェルハイエンは『サッカーに特化したピリオダイゼーション』を考案したサッカー指導者だ。ピリオダイゼーションという理論は古くからあるが、それはどうしても運動生理学用語を用いた学術的なものになりがちだった。しかし、フェルハイエンは「サッカーとは何か」という点に徹底的にこだわり、「サッカーはボールを使うスポーツだから、コンディショニング・トレーニングもボールを使ってできるはず」など、初めにサッカーありきのメソッドを構築したのである。
例えば『走る』という行為に関し、フェルハイエンは「陸上選手なら『走る』ということを考えて練習や競技を行っているが、サッカー選手がフットボールをするとき、走ることを考えているか? サッカー選手が考えていることはボール、敵、味方、一対一といったこと。そのアクションの中、彼らは無意識に走っている」と分析。そこから「『走り込み』というトレーニングは、選手が『サッカーを考える』という行為が抜けている」とし、あくまでサッカーの練習をすることで走力向上を目指している。
フェルハイエンの理論はオランダで必須項目
しかし、「サッカー選手のことを一番よく理解しているのは、サッカーの指導者」というポリシーから、彼は『サッカー指導者』というタイトルにこだわりをもっており、フェイエノールトのリザーブチームで指揮を執り、チームをリーグ優勝に導いたこともある。
彼はまた『サッカーに特化したピリオダイゼーション』の普及にも力を注いでおり、オランダではサッカーの指導者資格を獲るためには彼の理論を学ばないといけないほど浸透している。
すべてを『メンタル』で片付けてはいけない
「問題は言葉だ。監督が『メンタル』という言葉を用いた場合、彼は何も言ってないのと同じだ。ほかにも『チームから自信がなくなった』、『ちょっと調子が悪かった』という表現には、誰も何もできない曖昧さが生まれてしまう。しかし『攻守の切り替えが悪かった』、『フリーランニングの質や量が悪かった』という表現には責任の所在がハッキリあり、そこから改善ポイントが生まれる」
フェルハイエンの言葉をより分かりやすくするために、最近の僕の取材経験から例をとってみよう。
0−5、0−4、0−2と3連敗を喫したチームの監督が「1点先制されたら、うちの選手はあまりにメンタルがもろくなる。こればかりは私もしょうがない」とコメントし、選手のメンタルに責任を押し付けてしまった。しかし僕の分析では、そのチームがゲームプランを持ってなかったことが大敗を続ける原因だった。
このチームは前半半ば頃、相手チームに先制されることが多かった。そのときすぐ積極的に同点を狙いにいくサッカーをするのか、いったん守備の修正を図るのか、中盤でボールを回しながら試合を作り直すのか、こうした意図がばらばらでチームが分解していった。
その欠点をまず認めれば、監督は「うちのチームはまだ若く、その辺の判断がまだ分かってない。しかし、ミーティングで今日の試合を分析し、選手同士が話し合い、それを今後の試合の場で実践していくことで改善は可能だ」と具体策を立てることができたはず。そこを『メンタル』という言葉に逃げられると、サッカーを向上させる策が立てられない。