靴の底が減り、スタジアム広告が増える=奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第1回

吉田誠一

社長就任後に武器となった人脈

甲府のスタジアムにはクラブを支えるスポンサーの看板や横断幕が連なっている 【写真:アフロ】

 海野の底知れぬ営業力・発想力と、元新聞記者という肩書は合致しにくいかもしれない。しかし、その経歴を細かくたどっていくと納得がいく。

 戦後間もない1946年1月1日の生まれで、実家はブドウや桃をつくる農家。文武両道の日川高校から東京農大に進学したが、農業の道には進まなかった。卒業後は留学のような格好で米国に渡ったが、大学の授業についていけず、「それなら足を使って見聞を広めたほうがためになる」と腹を決めた。貿易会社や土産屋などでアルバイトをして資金をつくり、欧州各国を巡った。

 帰国後、記者職に空きができたという山梨日々新聞の入社試験を受けると合格した。警察担当にはじまり、甲府市政、県政担当、東京に出て国会担当も経験し、金丸信など大物政治家や山梨出身の財界人と顔がつながった。いわゆる特ダネ記者で、他社のライバル記者は海野が動くと、あとをつけた。だから、大きな事件があると、煙幕を張るためあえて記者クラブのマージャン台から離れず、同僚記者に取材を任せたという。

 42歳の若さで編集局長に就き、その後、山梨放送の業務局長(取締役)、広告代理店のアドブレーン社常務に転じている。記者としての担当が幅広かっただけでなく、放送・広告業にも携わったことで人脈が一気に広がり、甲府の社長就任後に大きな武器になる。

 山梨放送で営業に携わっているときに、地元経済界とのつながりが深まった。「海野さん、慣れない仕事で大変でしょう」と言って、ゴルフ仲間でもある経営者が「山巓会」という集まりをつくってくれた。当初、8人だった会員は30人ほどに膨らみ、いまでは甲府の有力スポンサーとなっている。もちろん、これだけ支援者が増えたのは、クラブが地域貢献活動を盛んに行っているからだ。小学校で巡回スポーツ教室を開き、食育活動を行い、選手たちが小学校や病院を訪問する。海野は地元企業の経営者に「地域貢献に協力してくれませんか。ほんのわずかでもいいですから」と説く。「地域のため、子どもたちのため」が、いわば殺し文句になっている。

足を使って支援者を増やしていく

 11年度決算では、約14億6600万円の総収入のうち、広告料収入が約43%を占める。存続が危ぶまれていた甲府が01年から12年連続で黒字を計上できているのはスポンサーに負う部分が大きい。

 サポーターもそれをよく分かっている。メーンスポンサーである食品メーカーのはくばくの工場が火災に遭うと、サポーターが「ヴァンフォーレを救ってくれた会社のために、今度は俺たちが力になる番だ」と唱え始め、はくばくの商品を積極的に購入する運動を起こした。企業はクラブの地域貢献活動を評価し、その存在の大切さを理解しているから支援する。協賛によって単に企業名が露出し、ブランド力が上がるだけでなく、その企業への親しみもわいているのかもしれない。

 もちろん、企業の目をクラブに向かせているのは、海野らの足で稼ぐ営業活動であるに違いない。所属する部署に関係なく、全員営業がモットーだ。海野は事務所に残っている職員のイスを蹴飛ばし、「ここにいて稼げるのか」と詰問する。

 夏に向け「うちわスポンサー」の営業が始まっている。1口=6万円でスポンサーを募り、企業名入りのうちわを1口あたり300本つくって配る仕組みになっている。契約は年々増え、昨年は600社を超える実績を残した。事務所の壁には、パートも含めた全職員が昨年、契約した企業名を書き込んだ紙が貼られている。契約が更新されると丸印がつく。誰が何社、集めたかは一目瞭然だ。ずらり並んだ企業名の下に余白がつくられているのは、「もっと契約を増やせ」というサインらしい。ちなみに最も多くの契約を集めるのが海野で、次が社長の輿水順雄。率先垂範がこのクラブの特長である。

 甲府は大企業がバックについたクラブではない。大都市にあるクラブでもない。少額でもいいから稼ぎ出すためのアイデアを次々と出し、足を使って支援者を増やしていくしかない。毎年、翌シーズンの営業活動が始まる12月になると、全職員にクラブから靴をプレゼントされる。「靴の底が減るだろう」といういたわりであり、「靴の底を減らしなさい」という強烈な励ましでもある。靴の底が減り、スタジアムに並ぶ広告の数が増える。

<第2回へ続く>

(協力:Jリーグ)

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