「バルサ」の「サ」――カタルーニャにとってバルサが意味するもの
スポーツの域を超えたライバル関係
人気、実力共にサッカー界の頂点に立つバルセロナ。長い歴史の背景に観戦をより楽しくする要素があるようだ 【Getty Images】
戦後成立したフランコの独裁政権は、最後まで共和国側に立って抗戦したカタルーニャを徹底的に弾圧した。あらゆるカタルーニャ的なものが禁じられ、個人の名前さえ、スペイン語化が強要された。Xavier(シャビエー)はJavier(ハビエル)に、Jordi(ジョルディ)はJorge(ホルヘ)に、というように。もちろんバルサも標的になった。しかし、バルサはカタルーニャ主義を一時封印し、上層部にフランコ主義者を迎えることで、なんとか生き延びることができた。
フランコ独裁政権が全面的な後押しをしたレアル・マドリードとの間のライバル関係が決定的になったのもこのころだ。例えば1943年の「総督杯」でのこと。マドリードで行われたレアル・マドリード対バルサの試合は体制側からの妨害と脅しによって、11対1という大差でレアル・マドリードの勝利に終わった。その時の悔しさは、バルサとカタルーニャにとってぬぐい去り難いものとなった。このように両チームのライバル関係は、スポーツの域を超えたものなのだ。
バルサが本来の「カタルーニャのバルサ」という姿を完全に取り戻すことができたのは、1975年にフランコ総督が死去し、ようやくスペインが民主国家となった時だった。
バルサは現在、人気、実力共にサッカー界の頂点にあると言っていいだろう。このような文化的、歴史的背景を知った上でその試合を観戦すれば一層、楽しみが増すのではないか。また、レアル・マドリードとの因縁の試合の応援にも熱が入るだろう。
<了>
『素顔のバルサ』(経済界)
『素顔のバルサ』(経済界)著者:シャビエー・トラス、サンティ・パドロー 翻訳:田澤耕 【経済界】