新人王・攝津の「人生を賭けた」ルーキーイヤー=鷹詞2009〜たかことば〜

田尻耕太郎

社会人8年目、26歳でのドラフト指名

 人生を賭けた決断は、間違っていなかった。
 今から約1年前、攝津正は福岡ソフトバンクの5巡目でドラフト指名された。プロ入りは悲願だった。東北の強豪、秋田経法大付属高(現・明桜高)では1年夏からベンチ入りし3年春にはセンバツ出場も果たしたが、プロからの誘いはなかった。「社会人なら大学よりも短い3年でプロに行ける」とJR東日本東北に入社。3年が経ち4年が経ち、5年が経っても指名はない。社会人7年目を迎えた2007年には台湾で行われたワールドカップに日本代表として出場し、優秀投手に選ばれた。それでもプロから声はかからなかった。
「毎年候補に挙がっていたけどダメでした。正直、そのころからプロへの思いは少し薄れていました。社会人野球には社会人野球の楽しさや、やりがいがあると感じ始めていました」
 だから指名されたときは驚いた。当時26歳。不安はあった。しかし、千載一遇のチャンス。
「それに賭けてみた」

「あんな棒球、通用するわけがない」

 1月の新人合同自主トレ。それは疑いから始まった。「なんだ、このピッチャーは?」とはある先輩投手。「まるで棒球。通用するわけがない」。高山郁夫投手コーチも「これではプロは難しいな」と感じたという。2月のキャンプでもペースは上がらない。フリー打撃に登板すると「打撃投手」と揶揄(やゆ)された。
 しかし、攝津にはある信念があった。
「アピールしないといけないという気持ちは当然ありましたけど、ピークはシーズンに持っていけばいいと考えていました」
 普通の新人選手はペース配分などできない。1軍に残るために、1月からただガムシャラである。しかし、攝津は違った。年齢も無関係ではないかもしれないが、それでもこのようなルーキーに出くわすことはまれに違いない。
 その言葉通り、オープン戦で10試合に登板し3勝0敗3セーブ、防御率0.00の驚異的な数字を残す。周囲の反応は明らかに変わった。
 開幕当初からセットアッパーの役割を任された。4月はオープン戦の反動か2敗を喫してしまったが、それでも11試合に登板して防御率1.59の成績を残し首脳陣の信頼をさらに高めた。

パ新人登板記録を塗り替える

 5月、特に交流戦が始まるまでの時期は、今季の攝津にとって重要な時期だった。
「初めての対戦だと投手の方が有利。各チームとの対戦が2巡目になってどうなるかと思っていたけど、抑えることができた。自信がつきました」
 以降、攝津が打ち込まれたシーンはほとんど記憶にない。7回は攝津、8回はブライアン・ファルケンボーグ、9回は馬原孝浩の「SBMリレー」は今季の福岡ソフトバンクの屋台骨となり、昨季最下位だったチームが3位に躍進する原動力となった。

 今季の登板試合数は70。従来のパ・リーグ新人記録(62試合・2006年の藤岡好明/福岡ソフトバンク)を大きく塗り替え、セ・リーグ記録(69試合・1960年の堀本律雄/巨人、1961年の権藤博/中日)も更新した。5勝2敗・防御率1.47。34ホールドはリーグトップで「最優秀中継ぎ投手賞」のタイトルを獲得。そして当然、パ・リーグの新人王を獲得した。しかし、攝津はプロ野球記録(71試合・1リーグ制の1942年の林安夫/朝日)を上回れなかったことを悔しがる。
「シーズン終盤の大事な時期に体調を崩してしまった。それがなければ記録は更新できたかもしれないし、チームの順位も変わっていたかもしれません」

「2年目のジンクス」に勝つために

 11月19日、攝津は宮崎にいた。前日は東京都内で行われた「プロ野球コンベンション2009」に出席。新人王の喜びをかみしめたが、翌日朝一番の飛行機で宮崎入り。秋季キャンプを行っているチームに再合流した。
 70試合に登板した右腕だが、休むことはない。秋季キャンプはブルペン投球こそ行わなかったが、ウエートトレーニングと走り込みで体を鍛えた。
「もう来季への準備は始まっている」
 来季は「2年目のジンクス」と戦わなければならない。福岡ソフトバンクの過去を振り返れば、ルーキーで62試合に登板した藤岡をはじめ、2004年に新人王を獲得した三瀬幸司など「それ」に敗れているものが多い。そのほとんどがオフの過ごし方を失敗したことが要因となっている。
 攝津は1月の自主トレを、守護神の馬原と行う予定にしている。
「役割が近いので勉強になることがたくさんあると思う。だから馬原さんにお願いをするつもりです」
 生きた教材から吸収する。攝津は一番いい選択をした。
「今季の成績は最低限。来季は試合数も投球回数も上回りたい。ハードルを自分から下げちゃうと、落ちていくだけですから」
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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