『世界の壁は高かった』 石川遼、米デビュー戦は予選落ち=男子ゴルフ

宮下幸恵

予選落ちの結果を、「これが実力」と冷静に受け止めた石川 【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】

 すっかり日が落ち、真っ暗になった練習グリーン脇。無数のフラッシュの嵐を浴びて、石川遼は短い2日間を振り返った。
「素直に言えば4日間プレーしたかった。このプレーをしたら予選落ちという感触はなく、悪い内容ではなかったのにカットラインに届かない。これが実力と受け止めてます」

 世界最高峰の米男子ツアー、「ノーザントラスト・オープン」(米カリフォルニア州、リビエラCC、7298ヤード、パー71)に初挑戦し、通算2オーバーの99位。予選カットラインに3打及ばなかった。

ほどよい脱力感で巻き返しを狙った2日目

 初日は緊張から体が硬く、2オーバーの113位と出遅れたが、2日目は「昨日より、リラックスしてプレーできた。昨日の緊張が100パーセントなら、今日は70パーセントぐらい」と、ほどよい脱力感で巻き返しを狙った。

 序盤は小さくうねる難グリーンを前に、我慢のゴルフを強いられる。16番(パー3)でグリーン左ラフからの第2打を寄せ切れず、ボギーが先行。重苦しい空気のなか、後半に向かうと、リーダーズボードに記されていた予選カットラインは通算1アンダーだった。通算3オーバーの石川とは4打差。「まだいける」。そう自らを鼓舞したが、5番(パー4)でピン上50センチのパーパットがカップに蹴られボギー。予選落ちの言葉が頭をよぎるが、逆にこれが起爆剤になった。

予想を超える世界トップレベルの争い

 パー3の6番。5番アイアンでピン手前2メートルにつけると、これを沈めて、この日初バーディー。薄暮のなか、両手を突き上げバンザーイ! 安堵の笑顔に大勢の日本人ギャラリーも沸くと、続く7番(パー4)では残り109ヤードからアプローチウエッジでピン右1メートルにピタリ。連続バーディーで通算2オーバーまで盛り返し、石川をスターダムに押し上げた勝負強さを存分に見せつけた。

 試合前、父の勝美さんは、米ツアーデビューを「調整」と位置づけていた。昨年12月の最終戦から約2カ月に渡り試合から遠ざかっており、実質これが今季初戦。試合勘がなくては世界最高峰の舞台で勝負はできない、と。さらに、米国特有の芝目の強いポアナ芝は初体験。難グリーンに手こずり、2日目にはパターを変えるなど試行錯誤を繰り返した。大会前「2日間で通算イーブンパーで回れたら満足」と目標スコアを挙げていたが、予想スコアですら予選カットラインには届かなかった。トッププロがしのぎを削る米ツアー。そこは、17歳の予想を超えるレベルにあるのだ。

悔しさの一方で、つかんだ収穫

攻めのゴルフに欠かせないドライバーショットでは、大きな手応えをつかんだ 【Photo:YUTAKA/アフロスポーツ】

 予選落ちの悔しさの一方で、収穫もあった。予選2日間の平均飛距離(パー3をのぞく14ホールで計測したもの)は288.3ヤード。決勝に進んだ選手のランキングに当てはめると、トップ10に食い込んでいる。攻めのゴルフに欠かせないドライバーショットで手応えをつかんだのは大きい。
 今後は3月の米ツアー2試合に推薦出場し、4月には夢の「マスターズ」出場が待っている。石川は「3月にもチャンスが待っているので、(この経験を)プラスに変えていけるように頑張りたい」とレベルアップを誓った。

 思えば、世界ランク1位に君臨する王者、タイガー・ウッズ(米国)のデビュー戦もこの大会だった。1992年、ウッズは通算5オーバーでカットラインには6打も及ばず、予選落ちした。スコアだけを見れば、石川に軍配か!?
「リョウのほうがいいキャリアを残すかもよ」
 なんて米ツアー関係者の冗談交じりのリップサービスが現実になる日が来るのか。石川遼の世界挑戦は、ここから始まったのだ。

<了>
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著者プロフィール

サンケイスポーツを経て、2006年からフリーに。米女子ツアーを中心にバンクーバー五輪も取材し、新聞、通信社、ネットメディアに幅広く執筆(Twitterは@m_sachi)。2011年にニューヨークで第一子出産し子育て分野にも挑戦。ヤフージャパンで「NY発 子育て新常識」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/miyashitasachie/)を連載している。

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