福島にできた独立リーグ球団の思い 選手、GMそれぞれの震災から4年

阿佐智

福島活性化のために引き受けたGM

震災から4年。福島に誕生した独立リーグ球団・福島ホープス。監督には元メジャーリーガー岩村明憲(右)が就任した 【写真は共同】

 今年も3月11日を迎えた。梅の花がほころび、春を感じるこの季節、われわれ日本人にとって、この日に、あらためて振り返らねばならないことがある。震災はいまだ終わってはいない。福島第1原子力発電所の事故の傷痕は、いまだに福島の人々を苦しめている。その福島に、ベースボール・チャレンジリーグ(BCリーグ)の球団が誕生した。その名も「福島ホープス」。

「やっぱり今、厳しいですから、福島」と語るのは、巨人、西武などで活躍したゼネラルマネジャー(GM)の小野剛だ。

「こっちで事業をするようになって、福島という地を見た場合、とにかく人の動きがないんです。県外からも人は来ないし、県民も動かない。人口は減る一方。これじゃ発展するわけがない。そこにあの震災でしょ。だから、野球を通して、この県の活性化につながれば、と思って引き受けました」

 引退後、大学院でビジネスを学び、実業家に転身した小野だが、手広く広げたビジネスのひとつに、福島・会津若松市のホテル経営があった。幸い、震災による直接の被害はなかったが、予約のキャンセルが相次いだ。それまで、年4万人だった宿泊者数は、1万人前後のままで戻ることはない。

会津を野球合宿の聖地に

「福島復興の一部になりたい」(小野GM)という思いから、球団は地元の小中学生らを招いた野球教室を開いている 【写真提供:福島ホープス】

「正直、もうつぶれるしかないな」と覚悟を決めたが、「野球人なんで、野球しかないんです」という小野の頭にひらめいたのが、野球を集客のツールとするアイデアだった。“福島、菅平プロジェクト”。ラグビー合宿の聖地として有名な長野県菅平を模して、会津に野球の合宿を呼び込もうと、小野は動いた。

「幸い、ホテルの近くにグラウンドだけじゃなく、プールも体育館もあるんで、最悪、雨でもトレーニングできますよっていうのが売りなんです」

 そんな小野に、福島球団立ち上げが話にのぼった際、白羽の矢が立てられたのは、ある意味必然だった。

 GMとしてまず手掛けたことは、フィールドのスタッフ集めだった。
「来るわけねえだろって、最初はみんなに言われたんですけど」と、小野は笑って大物招聘(しょうへい)を振り返る。知人を通じて、東京ヤクルトを退団した元メジャーリーガー岩村明憲に接触した。NPBを目指し、独立リーグ入りを渋る岩村を説得し、兼任監督に据えた。口説き文句はやはり「復興」だった。

「野球やったからって、単純に元に戻るわけはないけど。福島復興の一部になりたい」

 熱い思いを語る小野に、熱血漢の心が動いた。

「編成は終わりましたから、次は何人NPBへ送れるか、そして優勝ですね」

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著者プロフィール

世界180カ国を巡ったライター。野球も世界15カ国で取材。その豊富な経験を生かして『ベースボールマガジン』、『週刊ベースボール』(以上ベースボールマガジン社)、『読む野球』(主婦の友社)などに寄稿している。

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