【オリンピックトリビア】最も時間がかかった記録

笹川スポーツ財団
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【オリンピックトリビア】最も時間がかかったマラソン 【写真:Adobe Stock】

2024年パリオリンピック。連日の日本人選手の活躍、限界に挑戦する姿は勇気と感動を与えてくれます。そんなオリンピックをより楽しむために、オリンピックの歴史を通したトリビア・雑学クイズをご用意しました!きっと家族、友人、同僚などに話したくなる「へぇ~」が沢山あるはずです。

Q, オリンピックのマラソン競技で最も遅い記録は?

① 5時間48分6秒5
② 54時間8分6秒5
③ 54日8時間6分5秒32
④ 54年8か月6日5時間32分20秒3

正解は?

④ 54年8か月6日5時間32分20秒3

この記録は、オリンピック含めマラソンの最遅記録で、もちろんさまざまな背景がありますが、記録保持者は日本初のオリンピアンで「日本マラソンの父」と呼ばれる金栗四三です。

金栗は日本が初めてオリンピックに参加した1912年ストックホルム大会、マラソン競技に出場しました。当時は東京高等師範学校(現:筑波大学)の学生で弱冠20歳。日本から開催地ストックホルムまでは、敦賀から船でウラジオストックに渡り、シベリア鉄道に乗って目的地を目指しました。大会への出発は5月半ば。到着は6月初め。当時、いかに欧米諸国が「遠い」ことがうかがえます。途中で「もう日本に帰ろう」と弱音を吐かせるほどつらいものでした。

やっとのことで迎えた競技開催当日。暑さもありとても過酷なレースで、出場した68選手のちょうど半分しか完走できなかったという記録が残っています。金栗も26.7km地点で倒れ、無念の棄権となりました。近くの民家に運ばれ、住人に手厚い看護を受けたのはよく知られたエピソードです。

倒れた金栗はゴールを諦め翌日帰国。棄権申請はしていませんでした。その後金栗はさらに猛練習を重ね、この大会も含め合計3度のオリンピック出場をはたしますが、1967年に「54年8か月6日5時間32分20秒3」というマラソン最遅記録が生まれます。ストックホルムオリンピック開催55周年を祝う式典の準備のため、当時の記録を整理していた際に、金栗が失踪・行方不明であることに気づいたのです。

主催者のスウェーデン・オリンピック委員会は、「金栗は棄権していないからゴールさせよう」と記念式典に招待。当日、金栗が用意されたゴールテープを切ったとき「金栗、ゴールイン。タイム54年8か月6日5時間32分20秒3」とアナウンスされました。
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笹川スポーツ財団は、「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進するスポーツ専門のシンクタンクです。スポーツに関する研究調査、データの収集・分析・発信や、国・自治体のスポーツ政策に対する提言策定を行い、「誰でも・どこでも・いつまでも」スポーツに親しむことができる社会づくりを目指しています。

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