【オリンピックトリビア】日本女子初の金メダリスト・前畑秀子がとった驚愕の行動とは?

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日本女子初の金メダリスト・前畑秀子がとった驚愕の行動とは?(写真は1936年ベルリン大会女子200m平泳ぎでドイツのマルタ・ゲネンゲル(手前)を制してトップに立つ前畑(右)) 【写真:フォート・キシモト】

2024年パリオリンピック。連日の日本人選手の活躍、限界に挑戦する姿は勇気と感動を与えてくれます。そんなオリンピックをより楽しむために、オリンピックの歴史を通したトリビア・雑学クイズをご用意しました!きっと家族、友人、同僚などに話したくなる「へぇ~」が沢山あるはずです。

Q, 1936年ベルリン大会、競泳で日本人女性初の金メダルを獲得した前畑秀子。その前畑が決勝直前、10分前に行ったこととは?

① 昼寝をしてリラックス
② 会場周辺を全力疾走
③ お守りを飲み込む
④ 遺書を書いた


正解は?

正解:③ お守りを飲み込む

1932年ロサンゼルス大会、前畑秀子は女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得しましたが、1位とは10分の1秒差でした。ほんの僅かな差で金メダルを逃しましたが、日本記録を6秒も縮めることができ、その満足感とうれしさで、表彰台では涙が頬を伝ったのです。

意気揚々と帰国した前畑のもとには、たくさんの手紙が届きました。お祝いの言葉と思いきや、「たった10分の1秒の差で負けてくやしい」「次のベルリンでがんばって」などといった、想像とは異なる内容が多かったのです。実は前畑は、高等女学校を卒業したら結婚するものと考えていました。手紙を読み、天国から一気に突き落とされた気分となったのです。

競技を続けるか悩んでいた前畑の決め手となったのは、1932年ロサンゼルス大会前に亡くなった母から、夢の中で掛けられた言葉でした。

「秀子や、いったんやり始めたことは、どんなに苦しいことがあっても、最後までやりとげなさい」

前畑はベルリンを目指すことにしましたが、国民の前畑に対する期待はとても大きく、想像を絶するプレッシャーが彼女をおそっていました。銀メダルではだめだ、金メダルでなくては許されない、そう思うと、金メダルをとれない場合は死ぬしかないと思うようになっていたのです。

「もし優勝できなかったら死のう、と考えたほどです。帰りの船から飛び込もうか、いや、私は泳げるから、海では死ねないのではないか、などと本気で考えたのです」(兵藤秀子「勇気、涙、そして愛」より)

レース直前、前畑は突如として紙のお守りを手にして洗面所へ行き、水と一緒に飲み込みました。追い込まれた気持ちを落ち着かせるためには、神に頼むしか方法がなかったのです。そして見事にプレッシャーに打ち克ち、日本人女子選手初となる金メダルを手にしたのです。

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著者プロフィール

笹川スポーツ財団は、「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進するスポーツ専門のシンクタンクです。スポーツに関する研究調査、データの収集・分析・発信や、国・自治体のスポーツ政策に対する提言策定を行い、「誰でも・どこでも・いつまでも」スポーツに親しむことができる社会づくりを目指しています。

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