【SPECIAL】第33回オリンピック競技大会(2024/パリ) 女子サッカー ~池田太監督×田中達也さんインタビュー
【©JFA】
これからも刺激し合って、日本サッカーのために
※このインタビューは2024年7月1日にオンラインで実施しました。
太さんとの数年間は、僕の財産(田中)
池田 私は浦和レッズユースで監督やコーチをしていましたが、2002年、ハンス・オフト監督の時代にトップチームにコーチとして加わりました。出会いはその時期だよね?
田中 そうですね。でもそれ以前、太さんが浦和ユースの監督時代に与野八王子のグラウンドで指揮を執っているところや寮にいるところを見かけたことがありますよ。
池田 そうなんだ。
田中 僕が帝京高校から浦和に加入したのが2001年なので、コーチの太さんにお世話になったのは2年目の2002年から。一緒によくジョギングやボール回しをしました。
池田 達也は、キレキレなドリブルを強みとする若手選手だったね。私はチームのウォーミングアップを任されていたからよく覚えているよ。
田中 太さんは見るからに「良い人オーラ」が出ていましたね。
池田 そんなことないよ(笑)。
田中 だから出会ってすぐにコーチと選手たちの垣根を感じさせないくらいコミュニケーションを取ってくれました。僕はけがが多かったのですが、そんなときも太さんが寄り添ってくれました。
池田 その時期の浦和は個性あふれる選手ばかりでしたが、その中でも達也は常にオープンで明るく、前向きで、トレーニングに対しての反応も良かったので、コーチとしては助かる部分が多かったですね。
──池田監督が浦和のトップチームのコーチになったのが31歳のときで、選手たちと年齢が近かったことも垣根を感じさせない要因だったのでしょうか。
田中 そうですね。当時、僕はオフト監督からすごく叱られていて、練習後に「また監督に叱られました」って愚痴を太さんに聞いてもらっていました(笑)。
池田 それは監督の愛情だよ(笑)。オフト監督は達也のことを本当に高く評価していたんだから。私は浦和で選手もしていたけれど、下手くそですぐに引退したから、あまり間を置かずに指導者の道に進んだのが良かったのかもしれないね。体も少しは動くし、選手と一緒にボールを蹴ったり、体幹トレーニングをしたり、指導者として学びながら監督と選手の間に立ってコミュニケーションを取っていました。
田中 太さんとの当時の数年間は、今の僕の財産です。こうやってオンラインで再会して、あらためて太さんみたいなコーチになりたいと思っています。僕もまだ選手を引退して2年なので、アルビレックス新潟でアシスタントコーチとして選手と一緒に体を動かしながらコミュニケーションを取ることを大事にしていますから。
池田 うれしい言葉だね。新潟では全体練習後に達也が選手たちとシュート練習をしていることも知っているよ。実際にシュートを選手に見せられるのも達也の強みだね。浦和で達也がどんどん伸びていったように、達也が新潟で指導した選手たちがこれからさらに成長していくと、コーチとしての喜びもひとしおだと思うよ。
2007シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(写真)をはじめ、数多くの国内外のタイトルを獲得するなど、コーチと選手の立場で浦和の黄金期を築いた 【©J.LEAGUE】
オリンピックで戦える喜び、責任、覚悟を持って臨む(池田)
田中 僕のサッカー人生の大きなトピックです。日本代表として出場した一番大きな大会がアテネオリンピックでした。とても誇らしいですし、メンバーに選ばれた喜びもまだ覚えていますが、逆に試合に(長時間)出られなかった悔しさはその10倍くらい感じました。
池田 私は日本を応援しながら、田中マルクス闘莉王選手を含めた当時の浦和の選手がどれだけ世界の舞台で活躍できるのかを見ていました。グループステージ第2戦のイタリア戦(●2-3)は、特に世界大会の難しさを感じたよね。
田中 そうですね。そのイタリア戦後にグループステージ敗退が決まったのですが、次のガーナ戦(◯1-0)も僕は途中出場で、試合の流れをつかめないまま、モヤモヤした気持ちで終わってしまいました。正直に言うと、悔いの残る大会でした。出場したくてもできなかった選手が多くいるのに、ふがいないプレーで終わってしまった悔しさがあります。
──田中さんはその悔しさをばねに、浦和に数々のタイトルをもたらす存在となり、池田コーチと共に浦和の黄金期を築きました。
池田 帰国後の達也は気持ちをしっかり切り替えてプロフェッショナルとしてプレーしてくれたから、それは本当に頼もしいと思って見ていたよ。
田中 そう感じてくださったのなら、すごく良い大会だったとも言えますね。たとえ出場が1分間でも全力で準備するというように、サッカーをもう一度見つめ直すきっかけになりましたし、サッカーが生活の中心になりました。アテネオリンピックは、そんな気持ちを思い起こさせてくれた大会でした。
池田 選手のそういったキャリアにも大きく影響するのがオリンピックだとあらためて感じますね。今回、なでしこジャパンもパリオリンピックのメンバー18人とバックアップメンバー4人の計22人で戦うわけですが、もちろん男女の選手全員にとって一戦一戦、一瞬一瞬に懸ける思いがあって、それが成長にもつながるのだと思います。オリンピックで戦える喜び、責任、覚悟を持ってパリに向かおうと再認識しました。
田中 今の男女のオリンピック代表を見ていると、レベルが一気に上がってきたと感じますし、太さんが指揮するなでしこジャパンは、めちゃくちゃおもしろいサッカーをしていますよね。昨年のFIFA女子ワールドカップのように、実際に対峙すると海外の選手との身体能力の違いはあると思いますけど、(出場チームの間に)ちょっとした差があるだけで、技術やチーム戦術はなでしこジャパンが世界一なんじゃないかと思うくらいでした。
池田 なでしこジャパンは本当に多くの方から応援してもらっていて、温かい言葉もたくさんいただきます。私は浦和時代から今のなでしこジャパンのスタッフも含めて、周りの人に恵まれてきたと思うので、そういった期待を金メダルにつなげたいですね。選手たちが目を輝かせて思い切りプレーできるよう、しっかりと準備やサポートをして、オリンピックで躍動できればと思います。
今年2月28日、なでしこジャパンは国立競技場で朝鮮民主主義人民共和国に勝利し、2大会連続6度目のオリンピック出場を決めた 【©JFA】
田中 久々にこうやって話をさせてもらって、浦和時代に太さんを先頭に、選手みんなで練習場をランニングしていた風景を思い出しました。選手と一緒に汗をかきながらボールを使って高みを目指すという、指導者としての目標を再確認させてもらった対談でした。オリンピックでのなでしこジャパンにはとても期待しています。
池田 本当に多くの指導者の方が毎日、普及や育成の現場で尽力してくださっていることが、JリーグやWEリーグなど国内リーグはもちろん、代表チームの強化、そして今の強い日本サッカーにつながっていると実感しています。そこにわれわれが携わっていられることはとてもうれしいことですし、達也とは指導者同士という立場になっても刺激し合って、これからも日本サッカーのために頑張っていければと思う時間でした。達也、今日はありがとう!
田中 こちらこそ、ありがとうございました!
2004年のアテネオリンピックに出場した田中さん。「サッカーをもう一度見つめ直す大会になった」と振り返る(写真はグループステージ第2戦のイタリア戦) 【©JFA】
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