「人間としての力もつけて さらに上をめざしていく」 大相撲 尊富士弥輝也
【日本大学】
(2024年5月取材)
去る5月8日。本学を表敬訪問したのは、大相撲春場所で110年ぶりの新入幕優勝を果たした伊勢ヶ濱部屋の尊富士だ。鳥取城北高校の先輩であり、部屋頭である横綱・照ノ富士と共に訪れ、冒頭のように優勝報告を行った。横綱を隣に、林真理子理事長、大貫進一郎学長を前にして、緊張するそぶりもなく堂々とした様子。報告会を見守った木崎孝之助監督は、「110年ぶりの新入幕優勝は、普通の優勝とは違う」とその功績を称えた。
優勝報告を行う尊富士関 【日本大学】
林理事長、大貫学長とともに 【日本大学】
学んだのは「伝統」 自覚ある行動を心がけた
木崎監督は、彼の大学時代を次のように振り返る。
「ようやく本格的に稽古を始められたのは、2年生の春頃。2年、3年とインカレの団体戦で大活躍し、連覇してくれました。膝をケガしても上半身のトレーニングなどのできることを頑張って。やめておけと言ってもやるくらい、自分で計画を立てて一生懸命取り組む子だったので、我々が指示することもなく、強制は一切しませんでしたね。性格も真っすぐでいい子です」
監督も太鼓判を押す尊富士は、本学では法学部に入学。体育の先生の資格が取れる文理学部やスポーツ科学部ではなく、法学部を選んだ理由を「最初からプロに行きたい気持ちがあったのかな」と推測した木崎監督だったが、本人に聞くと意外にもそうではなかったという。
「もともとあまり大相撲に入ろうとは思っていなくて、とにかく大学の相撲部を頑張っていくために法学部を選びました。というのも、寮から通いやすいんです。あとは、ちょっと賢く見せようかなって(笑)。授業では、政治などいまの社会で起きていることを学びました」
部活が中心だった学生生活。やはり一番の思い出はインカレの団体戦2連覇で「木崎監督を胴上げできたこと」と振り返る。また、監督の言葉通り、自覚をもって稽古やトレーニングに積極的に励んできたと言い、その裏には「学年が上がるたびに、後輩たちに少しでも手本になれるように」という思いもあった。
現在の大相撲界で生きている学生生活での学びを問うと「上下関係で学んだ伝統」という重い言葉が返ってきた。
「日本大学の伝統を崩さないようにと思って生活していました。相撲部は、日大スポーツの中でも伝統があって、一番注目される部活です。優勝が当たり前の世界でしたから、常に成績を残さなくてはいけない責任感がありました。遊びたいときもありましたけれど、とにかく自覚ある行動をしなきゃという気持ちでした。人生相撲だけではないので、相撲を辞めたときに必要なのは自立すること。相撲を辞めた後も視野を広げられるように、いまできることを精一杯しようと思って取り組んだ4年間でした」
時々の「いま」に集中しつつ、その先の未来を見据えながら努力し続けられたのは、相撲部で培った強い責任感があったからこそだった。
笑みを浮かべながら学生時代の思い出を語る尊富士関 【日本大学】
110年ぶりの新入幕優勝 快挙の裏に横綱の鼓舞
「お互いが励まし合いながら、この日本大学で培ったものを大相撲の世界で恩返しできればなと思っています。仲間意識もそうですが、土俵上では先輩を倒すことが恩返し。本場所の土俵に上がれば、先輩・後輩は関係ないので、土俵上で恩返しすることが一番大事だと思っています」
序ノ口の土俵から始まり、わずか1年半後には新十両に昇進。いきなり十両優勝を果たした。そして、新入幕として迎えた先の春場所。初日から怒涛の11連勝という快挙を達成。新入幕の場所での11連勝は、大鵬と並ぶ歴代1位の記録だ。
しかし、大きな試練もあった。優勝街道をひた走るなか、14日目の朝乃山戦で敗れ、右足を負傷。歩くこともままならず、車いすで花道を引き揚げた。
「負けたあとは“無”というか、感情のない状態でした。見ていた人も心配だったかと思いますが、僕が一番不安でした」
歴史的な快挙を目前としたアクシデントにどよめく館内。勝てば優勝が決まる千秋楽の出場は、絶望的かと思われた。
当初は師匠の伊勢ヶ濱親方とも休場の方向で話を進めた。優勝を意識してはいなかったが、歯がゆさで胸が締め付けられた。無念のまま病院から戻る。すると、そこで声をかけてくれたのは、ほかでもない兄弟子の横綱・照ノ富士だった。
「こういうチャンスはなかなかない。挑戦したらこの先もっと強くなる。何をして勝っても負けても、もし批判がきても、それは一瞬だけ。自分の人生なんだから、自分がどうしたいかが一番大事だぞ」
この言葉が、尊富士を奮い立たせた。最終的には師匠も「おまえが出ると言うなら」と、信じて送り出してくれた。
「不安はありましたが、下手なことをしたら、出させた師匠が悪いと言われてしまうので、自分なりに真っすぐ向かっていこう、向かっていって負けたら仕方ないと思って臨みました」
こうして迎えた千秋楽。大学2年のインカレ団体戦準決勝で勝った相手でもある豪ノ山を相手に、持ち前のスピードを生かした堂々たる相撲で勝利した。歴史的な優勝が、大相撲史の1ページを飾った瞬間だ。「無我夢中で覚えていないんです。勝ったあとも、シーンって耳鳴りがする感じで、周りの音がずっと聞こえませんでした」と回顧するその情景は、彼がいかに極限状態にあったかを物語る。
「尊富士は速攻相撲の力があり、筋トレ好きで稽古もよくします。一番のいいところは、強くなりたい気持ち。その気持ちに応えたいから、筋トレの仕方、体のケアの仕方、膝のケガ、相撲の取り口と、いろんなことをアドバイスしています。自分からも熱心に聞きに来ますよ」
昨年3月場所から、7場所のうち6場所で伊勢ヶ濱部屋の力士が優勝争いに絡んでおり、そのうちの3場所は実際に優勝している。「その流れを切らないようにみんな頑張っていくと思うし、尊富士をはじめ部屋の力士たちに活躍してほしい」と、横綱も期待を寄せた。
「私が鳥取城北高校時代、東京にいる時は相撲部の寮に泊まったり、稽古をさせてもらったりした」と、本学相撲部との縁を教えてくれた照ノ富士関。「尊富士が入門してからつながりが深まった」という本学については、「角界に日大OBの関取衆がずっといるわけですから、本当に強い学校だと認識しています」 【日本大学】
夢は「ないです」 照ノ富士の背中を追いかける
「将来大相撲に入るかどうかではなく、いま大学でできることをこの環境でやることが、まずは目標だと思います。その上で将来どうするかは卒業のときに考えればいいので、いまはとにかく、与えられた環境で、全力で結果を残せるように頑張ってもらいたい。それだけです」
現在の自身の夢を問うと、「ないです」ときっぱり。その心は。
「横綱みたいな人間性をもてば、上に上がれると思います。ただ相撲だけやっていれば横綱になれるわけではないので、わざとあまり夢を作らないようにしています」
相撲史を彩る偉業を成し遂げた後も、謙虚に、そしてストイックに取り組む姿勢に変わりはない。尊富士の力士としての挑戦は、まだ始まったばかりである。
気心の知れた相撲部の先輩たち(左:2017年学生横綱・中島望氏、右:石前辰徳相撲部コーチ)にはさまれてリラックスした表情で記念撮影 【日本大学】
Profile
本名・石岡弥輝也。1999年生まれ。青森県出身。鳥取城北高卒。2021年度法学部卒業。大学時代は2・3年次に全国学生選手権団体戦優勝に貢献。’22年8月に大相撲・伊勢ヶ濱部屋に入門し、9月場所で初土俵。序の口優勝、序二段優勝を経て、三段目、幕下も1場所で通過。新十両となった’24年1月場所で優勝し、初土俵から所要9場所での新入幕を決める。東前頭17枚目で臨んだ3月場所は、数々の記録を打ち立てて13勝2敗、110年ぶりとなる新入幕での幕内最高優勝を飾り、殊勲賞・敢闘賞・技能賞の三賞も同時に受賞した。最高位は東前頭6枚目(’24年5月場所、怪我のため全休)。
取材・文/飯塚さき
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