【スポーツマンシップを考える】 ふたつの『勝利』を考える
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益子直美が「監督が怒ってはいけない大会」を開催する理由
2024年3月、埼玉県岩槻市の岩槻文化公園体育館で開催された「第1回HAKKAKU CUP 監督が怒ってはいけない大会 in SAITAMA」の会場に益子氏の姿があった。
その大会名のとおり、監督には怒らないことが課される。ルールを守れなかった監督は、バッテンマークのマスクを着用させられる。この日も大きな声で子どもたちに命令を下していた監督の一人がマスクを着けることとなった。
「監督が怒ってはいけない」とはいっても、「怒られる」「叱られる」ことが許されるケースもある。
それは、①ルール、マナーを守れなかった時 ②取り組む態度、姿勢が悪かった時 ③いじめ、悪口をいった時 ④命に関わる事故になりそうな時 である。こうしたシチュエーションでは、「危機介入」や「抑止力」を目的として、当然ながら叱ることが認められているというわけである。
大会の特徴はこうしたルールだけではない。
「かっこいいプレーヤーになろう」というメッセージを子どもたちや保護者に伝えるべく、日本スポーツマンシップ協会公認のスポーツマンシップコーチでもある益子氏によるスポーツマンシップセミナーも盛り込まれている。
また、バレーボールを愉しむだけでなく、この日は、バスケットボールや新体操を愉しんだり、クラブ対抗リレーなどを通して競い合ったり、と多様なプログラムが組まれていた。
こうした活動を通して子ども、保護者、指導者の方々がさまざま交流した結果。多くの子どもたちが、「いつもより監督が優しかった」と話すなど、笑顔があふれる充実した1日を愉しんだ様子だった。
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しかしながら、その過程では暴言や体罰など厳しい指導を受けることが多く、バレーボールを心から愉しめなかったトラウマがあるという。そんな彼女が抱いた「子どもが怒られているのを見たくない」という想いが、2015年から開催されているこの「監督が怒ってはいけない大会」の実施へとつながった。
当初は「お世話になった指導者を否定するのか」などと批判の声もあったというが、最近では社会的に広く認められるようになり、そのような声も徐々に少なくなってきているという。
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スポーツは真剣な遊び
自然災害や有事などの際には真っ先にスポーツイベントの開催が中止されることからも明らかなように、スポーツは私たちが社会生活を営むうえで絶対に不可欠なものではない。私たちはそれが何よりも重要なことだと信じてスポーツに取り組み、真剣に勝利をめざしているが、人生における成功に影響をもたらすものではないというのが事実である。
一方で、ときにスポーツは、私たちに興奮、歓喜、感動を与え大きな活力や生きる勇気をもたらしてくれる。
そして、その本質を理解しながらスポーツに対して真剣に取り組むことで、私たち自身も大きく成長できるように、スポーツは価値が高いものであるというのもまた事実である。
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真剣に「勝ち」をめざす過程にこそ学ぶべき本質的な「価値」があり、だからこそ、私たちの人生に豊かさと成長をもたらしてくれる貴重なソフトであるといえよう。
あらためて考えてみると、自分自身を鍛えて磨いたうえで、真剣に全力で向き合い、フェアに戦わなければならないが、それが単なる遊びでしかないというのがスポーツである。スポーツ自体に大きな価値があると自負しながらも、社会全体の中では必要不可欠なわけではなく重要なものでもない。
スポーツを尊重するということは、スポーツのこうした複雑で逆説的な構造を理解して実践することであるといえる。自らに厳しく全力を尽くしながら、他者に対する寛容さと遊び心を忘れないことが大切である。スポーツは真剣に勝負を競うものではあるがあくまで遊びにすぎない。
一方で、そうした遊びでありながら真剣に取り組むことによって価値の高いものへと昇華される。スポーツの指導に当たる人々は、このことを深く理解し、若きプレーヤーたちにもよく理解してもらえるように導く必要がある。
「ふたつの勝利」を意識して二兎を追う
「〇〇至上主義」は、「至上」という言葉が示すように、それが唯一最高でありそれがすべてであるという概念である。そうした極論的な思考が「勝利至上主義」や「快楽至上主義」を生み出す。
勝利至上主義のように、勝利こそが唯一絶対の価値あるものであるとすれば、敗北には「敗北が悪である」こと以外に学ぶ意味がないことになる。相手は敵であり、めざすは敵を粉砕することに尽きることとなる。
一方、快楽至上主義は、言い換えれば競争否定主義ともいえよう。楽しいことだけが重要で競争は悪であるという考え方ゆえ、勝者と敗者が生ずることスポーツの構造自体を否定する概念である。順位をつけることを嫌い「全員で手を繋いでゴールしましょう」というような運動会もあるようだが、これはまさにこうした思考によるものである。勝利に価値を見出さず、才能や能力向上なども不要なこととなり「いかに楽しめるか」のみが重要視されることになる。
勝利至上主義は「遊び心」を捨てさせ、快楽至上主義は「真剣さ」を排除する。前者には「もっと愉しみましょう」と、そして後者には「もっと真剣に取り組みましょう」と伝えなければならないだろう。
スポーツをするうえでは「遊び心」と「真剣さ」の両立こそが重要なのであり、「〇〇至上主義」という極論は本質を見失うことになるのである。
ちなみに、公認野球規則【1.00 試合の目的】の中の1.05には、こう書かれている。
【1.05】各チームは、相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的とする。
勝利をめざすことは野球の目的である。
野球に限らず、どんなスポーツにおいても勝利をめざすことは大前提である。私たちが生きていくために呼吸をすることと同様に、スポーツをするうえでは勝利をめざして全力を尽くすこと、上達をめざして真剣に挑むことは肝要だ。勝利をめざさないことは、ゲームや競争に対する尊重、誠実さを欠いており、スポーツを冒とくしているともいえるのである。
相手と競い合って勝利する、いわゆる「勝ち=WIN」というゴールをめざすのと同時に、上達、達成、成長といった人生にとって大切なものを手に入れるといった自分の中の勝利、いわゆる「価値=VALUE」を手に入れるというゴールをもめざす。
このようにして、「二兎を追う」ことが重要なのであり、それこそがスポーツの醍醐味なのである。
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Good Coachをめざして
全力で戦い勝利を求める「欲」と、それに伴い過程で生じる困難をも愉しみながら人生を豊かにするために自らの欲望をコントロールする「徳」は、どちらか一方が大切なのではなく、ふたつのバランスを揃えることこそが重要なのである。
体罰、暴力、暴言などといった監督やコーチによる指導上の問題を引き起こす原因となる「怒り」の感情は、成長を期待してのことというよりも、眼の前の勝利という欲望に心が奪われてしまっているからこそ生まれるものであり、勝利「至上」主義がもたらす弊害である。勝利至上主義の蔓延がなかなか撲滅しない指導者による不適切行為につながっているといえる。
益子氏は、50歳を過ぎてから学びに目覚めたと語る。
「怒り」構造を把握し、怒りを使わない指導のあり方を伝えるために、「アンガーマネジメント」の講座にも通った。シンプルでポジティブな言葉を活用したコミュニケーションスキルである「ペップトーク」や「メンタルコーチング」なども学び、そして、日本スポーツマンシップ協会公認の「スポーツマンシップコーチ」の資格も取得した。
「学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない。」
これは、サッカーでフランス代表監督を務めたロジェ・ルメール氏の言葉である。
これからの世界を生きる子どもたちの未来を輝かしいものにするために、私たち大人が果たすべき責務は大きい。
指導者に限らずすべての大人たちが、これからも学び続け、そして私たち自身をアップデートし続けて、よりよい未来への責任を果たしていきたいものである。
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一般社団法人日本スポーツマンシップ協会 代表理事 会長
立教大学スポーツウエルネス学部 准教授
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。広告、出版、印刷、WEB、イベントなどを通してスポーツを中心に多分野の企画・制作・編集・運営に当たる。スポーツビジネス界の人材開発育成を目的とした「スポーツマネジメントスクール(SMS)」を企画・運営を担当、東京大学を皮切りに全国展開。2015年より千葉商科大学サービス創造学部に着任。2018年一般社団法人日本スポーツマンシップ協会を設立、代表理事・会長としてスポーツマンシップの普及・推進を行う。2023年より立教大学に新設されたスポーツウエルネス学部に着任。
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