【物語りVol.94】LO アサエリ・ラウシー「いつか日本代表になって、W杯に出たいです」
【東芝ブレイブルーパス東京】
※今シーズン新加入の選手の物語りを掲載していきます
【物語りVol.94】LO アサエリ・ラウシー
「喜び、楽しみ、悲しみ、悔しさ、愛しさ……ありとあらゆる感情が、ラグビーには詰まっていますから」
5歳からラグビーを始めた。「トンガの少年は誰もがラグビーをやるし、できなかったら恥ずかしい」との思いで、時に気まぐれな軌道を描く楕円球を追いかけていった。
人生の転機は2016年に訪れる。日本航空高等学校(石川県)へラグビー留学するのである。
「その話があったときに、コーチから『3年間は日本にとどまれ。トンガに帰ってきてはいけない』と言われました。つまりその間は、家族と会えない。日本に来たいと思ってはいましたけど、家族と離れ離れになるのはツラかったですね」
ラウシーの来日以前から、日本航空石川はトンガからの留学生を多く受け入れてきた。在学時には同胞のアシペリ・モアラ、シオサイア・フィフィタらと郷愁を語り、互いを励まし合った。
「最初は日本語がまったく喋れなかったのですが、外国人留学生を受け入れた経験のある先生、英語を話せる先生がいたので、平仮名から勉強をしてその次はカタカナ、その次は文章、と、少しずつ日本語を身に着けていきました。トンガからの先輩がいたことも、日本の生活に慣れることの助けになりました」
プライベートのストレスや不安が軽減されていけば、雑念を抑えることができる。ラグビーに集中できるようになる。来日1年目からU17北信越に選ばれ、花園のピッチにも立ったラウシーは、2年になると高校日本代表にセレクトされる。同世代の優れた才能が集まるチームには、桐蔭学園高校3年の原田衛の名前もあった。
3年時にも高校日本代表に選ばれた。ここでは流通経済大学柏高校3年の葛西拓斗とチームメイトになった。
高校では3番、4番、5番、8番を着けてプレーし、接点で圧倒的なまでの強さを見せつけていた。自身と同じトンガ出身で高校の先輩でもあるフェインガ・ファカイの後を追うように、京都産業大学へ進学した。
【東芝ブレイブルーパス東京】
「1年生のときは、練習がものすごくキツかったです。あまりに厳しくて体重がすごく減って、寮から逃げ出したいと考えたこともありました。けれど、僕はラグビーで日本に来ていて、ラグビーは自分の仕事だと思っていたから、逃げるわけにはいかない。やるしかない、と続けました」
周囲の支えもあった。19年度まで監督を務めた大西健さんの言葉が、ラウシーの心の芯となった。
「いまはしんどくても、続けていけば強くなれるよ、と言ってくれました。大西先生のおかげで、頑張ることができました」
ハードワークを身体に鋳込んだラウシーは、京産大の5番を自らのモノとする。巨漢LOとして接点でパワフルにヒットし、推進力を生かしてトライを奪い取る選手となっていく。
京産大も結果を残していった。ラウシーの3年時に、関西大学ラグビーリーグ戦で23年ぶりの優勝を果たす。大学選手権では優勝した帝京大学と準決勝で激突し、30対37と食い下がった。
翌年も関西大学ラグビーリーグ戦を制し、大学選手権で再び準決勝へ勝ち進む。対戦相手は早稲田大学だった。ラウシーは後半開始直後にトライを奪うなどの活躍を見せるが、チームは33対34で敗れてしまう。
「早稲田との試合は、少しの差で負けてしまってホントに悲しかったです。京産大は日本一と言えるぐらいの練習をしていたので、日本一になりたかったです。それが叶わなかったので、リーグワンで必ず日本一になってみせる、と思いました」
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「東芝ブレイブルーパス東京から話が来たときに、京産大の元木GMに話を聞きました。というのも、僕はリーグワンのチームについて、たくさんの情報を持っていなかったからです。元木さんにどんなチームですかと聞くと、『すごくいいチームだよ。日本一になったこともあって、FWがとても強い。それにファミリーのような雰囲気がある』と教えてもらいました」
ロックとプロップでの出場を想定されているが、23-24シーズン開幕前の練習試合では8番も着けた。圧倒的なフィジカルを誇るラウシーは、「猛勇狼士、我ら接点無双、猛攻猛守の紳士なり」のチームスピリットを力強く具現化できる存在だ。
「毎日ハードに練習して、リーグワンの試合に出場できるメンバーに入れるように頑張っていきます。大学で果たせなかった日本一になるという目標を、東芝ブレイブルーパス東京で成し遂げたいのです」
トンガでは両親と3人の弟が暮らしている。アメリカに住む姉も含めて、家族みんなが東芝ブレイブルーパス東京の動向を、そのなかでラウシーがどんな活躍をしているのかを、楽しみにしている。
「トンガにはコロナ禍でずっと帰ることができなくて、23年に5年ぶりに会うことができました。頑張ってと言われているので、毎週自分の100パーセントを出していきます」
そして、来日してから大切に育んできた夢の実現を誓う。あらゆる感情が沸き上がるに違いない、あのチームで、あの場所へ、と。
「いつか日本代表になって、W杯に出たいのです」
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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