リアム・ウィリアムズ ~ウェールズからやってきた雑草戦士~part.1
W杯でも活躍した男の立脚点
「いや、私はプロチームにつながるレールの上を走ってきたわけではないんです。少年だったころも、優れたコーチからラグビーを教わったわけではありません。環境にしても、そうです。ジムもないようなところで、練習を続けていました」
プレーヤーとして「ラグビー」に触れるようになったのは6歳のころ。父親もアマチュアとしてラグビーに取り組んでおり、一般的なウェールズの少年たちと同じように、自然な流れの中で楕円球と向き合うようになる。
ただ、恐らくウェールズにそのような言葉はないだろうが、それは地域の「草ラグビー」。プロチーム主宰のアカデミーに所属していたわけではなかった。アカデミーで学び、16歳になるとユースのクラブに入り、そこで2年間の経験を積んだのちにプロチームと契約する。これがプロラグビー選手を志す者がたどる、一般的な道のりなのだという。リアムが歩んできたのは、そうした舗装されたきれいな道ではない。ウェールズのラグビーのメインロードの脇に位置する、どこで途切れてしまうか分からないような細い道だった。
「アカデミーで学んだ選手たちは、『はい、アーンして』と、スプーンで食べ物を口まで運んでもらえるような、過保護な環境で育ってきた人たちです。私は、そうではありません。地域代表にもなれず、高校を卒業したあとは仕事をしながらラグビーを続けました」
W杯フランス大会でも活躍した元ウェールズ代表のリアム・ウィリアムズ選手。プロ入りするまでの道のりは決して平坦ではなかった 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
建築現場で培われた雑草魂
「仕事をして、練習をして、週末には試合に出て、ビールを飲んで自宅に戻る。そして、月曜日からは、また仕事。そんな生活を送っていました。練習日は火曜日と木曜日の週2日だけです。日中は夕方5時ころまで建築現場で働いて、そのあと、夜に練習をするというスケジュールでした」
この足場職人の時代に地元のセミプロチームと契約。当初は2試合のみの契約だったものの、最終的には24試合に出場するに至った。リアムが歩んでいた細い道が、メインロードに向かって急カーブを描き出したのはここからである。
「今にして思えば大した金額ではなかったのですが、当時の私にとってそれは大切な報酬でした。肉体的には確かにハードでしたが、私はラグビーが大好きでした。また、プロ選手のレールに乗っていたわけではなく、ローカルクラブで徐々に経験を積んでいったので、挫折感を味わうようなこともありませんでした」
2011年にはU20に選出されイタリア大会に出場。スカーレッツから声がかかったのは、その直後のことである。
「だから、私は遅咲きの選手だと思います。足場職人を辞めて、ウェールズ代表になるまでの1年半の間で状況が一変しました。ほんのわずかな、小さなチャンスを掴めたのだと思います。もしそのチャンスを逃していたら、私は今も鳶職を続けていたかもしれません」
トップイースト降格から這い上がり、宿願のリーグ優勝を掴み取ったクボタスピアーズ。エリート街道とは程遠い場所でハードワークを積み重ねてきたリアム。そこにはおそらく、通底するマインドのようなものがある。
「私の最大のアドバンテージは『一生懸命さ』です。足場職人だったころも、私は仕事をしながら一生懸命にラグビーに取り組んでいました。その『一生懸命さ』は、スプーンで食べ物を口に運んでもらっていた選手たちが持っているものとは、また違うものだと思います。実際に足場職人からプロのラグビー選手になって、ウェールズ代表として89試合も出場しているという事実が、それを物語っていると思います」
叩き上げの雑草戦士。常に進化・成長を求めるクボタスピアーズに、新たなスピリットが加わった。
文:藤本かずまさ
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
同時期にクボタスピアーズに入団した元ニュージーランド代表、デイン・コールズ選手とジムで談笑。世界的な名選手たちが集うリーグワンならではの光景か 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
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