私のミッション・ビジョン・バリュー2023年第12回 井上怜選手「明日やろうはバカヤロウ」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

2023年も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2023年第12回は井上怜選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.このMVVを作成するために、どのぐらい面談を行いましたか?
「3回ぐらいで決まりました。他の選手と比べて、短めでした。自分である程度決めていて、面談をしながら調整していったという感じだったんです」

Q.自身の中でこういうことを考えてきたんですか?
「そうです。面談で話し合って決めるというより、自分で考えていたことを伝えて決めるという形でした。あとは言葉の部分を微修正するという感じでした」

Q.では、自分の考えをそのまま言葉にできたということですね。
「そうですね。しっかり落とし込めたと思います」

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Q.まず、MISSIONについて聞かせてください。「自分の周りの人たちを幸せにする存在」。こちらの言葉にはどのような思いが込められていますか?
「自分がサッカーでうまくいかない苦しい時ややめたいと思った時に家族や友人が支えてくれました。その人たちは今でも応援してくれていますし、自分の活躍を幸せに感じてくれる。そういった人たちを幸せにさせる存在になりたいと思って、この言葉にしました」

Q.苦しい時ややめたいと思った時はいつ頃ですか?
「大学時代の試合に出られなかった時期やBチームに落とされた時期です」

Q.その時、どうやって支えてくれましたか?
「友人はサッカーに関して触れることなく、話を聞いてくれましたし、一緒に遊んでくれたんです。そうやって自分を楽しませてくれたおかげで、再びサッカーに対する情熱を取り戻すことができたんです。家族は『やめたい』と伝えても、『やめないで』と言われたことはありません。『いつでもやめていいよ』と言ってくれました。自分がそう言った方が頑張れると分かった上で、そう言ってくれたんだと思います。すごく救いになりました」

Q.小学校、中学校、高校ではそういう時期はなかったのでしょうか?
「高校時代はありましたね。でも、小学校と中学校はありませんでした。高校時代も年代別の日本代表や高校選抜に選ばれるなど周りから見たら、順風満帆のサッカー人生を歩んでいるように見えたかもしれません。でも、自分の中でサッカーをやめたいとまでは思いませんでしたけど、ところどころで悔しい思いをしていました。サッカーをやめたいと本気で思ったのは大学時代だけですね」

Q.でも、折れずに続けた結果、プロになったんですね。どんな思いで乗り越えたのでしょうか?
「やっぱり評価するのは他人なんですよ。そこはもう仕方ないことだと割り切って、自分にはプロになりたいという明確な目標があったので、とにかく自分が成長できるように頑張りました。そうしたら、監督からその姿勢を評価してもらえるようになったという感じでした」

Q.うまくいかない時にモチベーションになったのは『プロになりたい』という思いだったのですね。その上でMISSIONの言葉があるんでしょうね。この言葉はまさにプロ選手としての使命なんですね。
「その通りです」

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Q.次はVISIONについて聞かせてください。「日本代表になって今まで支えてくれた人達に対して恩返しをする」。この言葉はいかがですか?
「サッカー選手になった以上、そこそこで終わりたくない。何かを成し遂げるというか、自分の名前を多くの人に知ってもらうぐらい活躍したい。そのために日本代表に入ることがそのための大きな手段だと思っています。自分の同年代や年下も日本代表に選ばれていますが、学生時代に対戦した選手も代表に選ばれている。そういった意味で、そういう選手の活躍に対して悔しいという思いもあります。自分も日本代表に選ばれることが、友人や家族だけでなく、今までお世話になった指導者の方々、中学校の先生も含めて、これまで自分を支えてくれた方々にとって明るい材料になると思うんです。それが恩返しだと思うので、この言葉にしました」

Q.これまでの人生において大きな出会いはありましたか?
「大きさはあまり考えたことはないのですが、まず、中学時代に在籍していたヴィヴァイオ船橋の代表の渡辺恭男さんからサッカーの楽しさを教えてもらいました。今の自分のスタイルを作ってくれたのはヴィヴァイオなので、すごく感謝しています。同時に、中学校の担任の先生にも感謝しています。中学時代、あまりいい生徒ではなかったのですが、見捨てずに寄り添ってくれたんです。ある意味、自由を与えてもらいながら、厳しいところは厳しく指導されました。他の先生とは違う接し方をしてくれました。その方とは今でも一緒にご飯に行くことがありますね。高校時代のサッカー部の朝岡隆蔵監督(当時)もそうですね。サッカーに関していろんなことを教えてもらいました。朝岡さんとは今でも電話で連絡を取り合っています。大学時代の古川毅前監督に呼んでもらって東洋大学に行って、1年生から試合を使っていただき、2年生の時に井上卓也監督に替わったのですが、最初は起用してもらえませんでした。その時はサッカーを辞めたいと思ったんですけど、でも、そこで奮起したことが成長につながりましたし、プロになって出場機会に恵まれない状況でも腐らず頑張ろうと思うことができています。そういう意味ですごく成長させてもらいました。家族も友人も含めて、自分が活躍することによって、今までお世話になった人に恩返しができると思っています」

Q.現在の日本代表選手で一緒にプレーした選手や対戦した選手がいるんですか>
「菅原由勢とは名古屋U-18時代に対戦したことがありますし、中村敬斗は地元が一緒ので、小学校時代に対戦したことがあります。久保健英はプレミアリーグで対戦しました。そういった選手たちの活躍は刺激になりますし、悔しくも思っています」

Q.日本代表になるためにこれからどのようなビジョンを描いていますか?
「まずは目の前の試合で結果を出していくしかないと思っています。どんな状況でもしっかり努力してチャンスが来た時に結果を残せる選手になりたいと思っています」

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Q.VALUEは3つあります。1つ目は「常に自分に向き合う、問いかける」。
「自分はお調子者なところがあるので、一喜一憂してしまうことがあるんです。良い時に調子に乗ってしまうことがあるし、悪い時に他の人のせいにしてしまって自分に矢印を向けられないことがあります。どんな時でもしっかり自分と向き合って、『それで大丈夫か?』と問いかけることは大事なことだと思っています。そういった面でこの言葉を大切にしたいと思っています」

Q.この言葉を大切にしようと思ったのはいつ頃ですか?
「大学時代ですね。そこまではノリというか、『これが俺だし』という考えで、『調子が悪い時に他の人のせいにして何が悪いの?』という意識でした。でも、それでは自分の成長につながらないと大学時代に気づいたんです。高校時代から周りから指摘やアドバイスをされることはありましたが、あまり自分事のように捉えることができなかったんです」

Q.意識し出してから変化をかんじますか?
「サッカーに対する気持ちが変わりましたし、サッカー以外のことでも意識が変わりました」

Q.2つ目は「真面目に、謙虚に、ひたむきに努力する」です。
「これは高校3年間、朝岡監督がずっと言い続けていた言葉です。だから、すごく自分の心に残っています。サッカーの世界は適当にやったり、謙虚さを欠いたり、ひたむきじゃない人間が上に行ける世界ではありません。そ何事も真面目に取り組まないといけないし、結果を残しても謙虚になって、ひたむきに努力し続ければ、選手としても人間としても成長できると思っています。まだそれが完全に自分の中で浸透しているわけではありませんけど、完璧に体現できるようになりたいと思っています」

Q.3つ目は「周りの人を大切にする」です。
「高校や中学時代、家族や友人を大切にはしていましたが、それ以外の人に対してそういう思いを持っていたわけではありませんでした。チームメイトに関しても、仲間というより、ライバルという意識の方が強かった。どっちかというと、一匹狼的な感じだったんです。でも、やっぱり人を大切にしないと、自分も大切にされないんですよね。人に大切にされたいんだったら、まずは自分が人のことを大切にしないといけないんです。歳を重ねるほど、『一人では生きていけない』と思うようになり、いろんな人の支えがあってこそ、今の自分があると気づかされます。だからこそ、これからは自分が人の支えになりたいと思うようになりましたし、自分が苦しい時も誰かに支えてもらいたいとも思うので、自分に関わってくれる人を大切にしようと大学時代に思うようになりました」

Q.プロになって「周りの人」が増えたのでは?
「学生時代は近い年齢のチームメイトしかいないんですよ。プロになってからチームメイトの年齢の差が広がりましたし、人数も増えました。それでも、チームメイトのことを愛するようにしていますし、先輩たちも自分のことを可愛がってくれる。高校の頃からの変化を感じています」

Q.練習などを見ていると、ムードメイカーというか、チームを盛り上げたり、いろんな選手とコミュニケーションを取ったりしてチーム内に和を作り出しているように感じます。
「それは僕を受け入れてくれる先輩たちのおかげです。チームメイトがライバルであることには変わりないのですが、周りには自分より経験のある選手ばかりですし、学べることが多い。仲がいい方が教えてもらう機会や学べるものは多いと思うんですよ。チームメイトに大切にしてもらった方がいろんなことを知ることができると思うので、いろんな人と関わることを意識しています」

Q.サポーターやクラブを支えている人も「周りの人」に入っていますよね?
「もちろんです。そういった方々も大切にしようと思っています」

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Q.最後はスローガンについて聞かせてください。「明日やろうはバカヤロウ」。こちらはどんな思いが込められていますか?
「小学校の時、夏休みの宿題とかは最終日に一気にやってしまうタイプでした。このスローガンは『プロポーズ大作戦』というドラマのセリフで知った言葉で、すごく胸に刺さったんですよね。誰にでも明日があるわけではない。個人的な体験で言うと、中学時代に祖母が亡くなったんですよ。その時、はじめて身近な人の死を目の当たりにして、自分が生きていることが当たり前ではないと感じたんです。明日やろうと思っていても、できないかもしれない。だからこそ、その時に『明日やろう』と考えるのはやめようと思うようになったんです」

Q.現在、何か取り組んでいることはありますか?
「特別何かに取り組んでいるということはありませんけど、たとえば、部屋の掃除とか、『汚いな』と思ったらすぐやるようにしています。些細なことの積み重ねですね」

Q.リーグ戦も残り1試合、井上選手にとってどんなルーキーイヤーとなっていますか?
「シーズン中盤まではずっと試合に使ってもらっていたんですけど、その後、1カ月ぐらい試合に出られない状況が続きました。それから試合に出たり、出られなかったりといった感じで安定していない状況ですが、それもいい経験だと感じています。結局、試合に出られていない時の練習や練習試合で自分は何ができるのかということを示そうと思ってやり続けてきました。そういう反骨心みたいなものを全面に出すことによってスタッフ陣にアピールしようと思っていますし、チームメイトにもいい影響を与えられればと思って取り組み続けてきました。そういう意味で、学生時代の経験が生きている。現状にまったく満足はしていませんが、昔の自分だったら、今ほど自分と向き合えてはいないと思うんです。今も完璧にできているわけではないと思いますけど、グラウンドに入った時に全力でプレーしていると胸を張って言うことはできます。自分にしっかり矢印を向けて、うまくいかない時もなぜこういう状況なのかを考えるようにしていますし、その答えを見つけ出して改善することができれば、スタッフ陣から評価されると思っていますし、チャンスもつかめると思っています。チャンスをつかむためにも、日々の練習を全力で取り組むことしかできない。苦しい状況が続いていますけど、最後の最後までそのスタンスのままやり続けようと思っています。やるしかないです」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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