【浦和レッズ】GoGoReds!デー特別企画 写真と思い出で振り返る選手たちの幼少期

浦和レッドダイヤモンズ
チーム・協会
7月8日に埼玉スタジアムで行われる明治安田生命J1リーグ 第20節 FC東京戦【MATCH PARTNER 三菱自動車】は4年ぶりの『GoGoReds!デー』。

「未来のレッズファン・サポーターたちに、サッカーの面白さを知ってほしい」という願いを込め、浦和レッズを応援する小中高生の指定席の全席種が『550(ゴーゴーレッズ)円』で販売される。さらに『キッズワンダーランド』、『特別スタジアムグルメ』など、お子さんも楽しめるアトラクションやグルメなど、場外で楽しめるイベントが満載となっている。

そんなイベントにちなみ、選手たちの子どものころの写真をご紹介。どんな子どもだったのか、どんな選手だったのか、そして『GoGoReds!デー』で初めて埼玉スタジアムで生観戦する子どもたちに見てほしい、感じてほしいポイントを聞いた。

【西川周作】

【本人提供】

この写真は小学3年生のサッカーを始めたころの写真です。丸々としていてかわいいですよね。わんぱく相撲に誘われるくらいでした(笑)。当時はGKではなく右サイドバックなどでプレーしていました。ピッチから離れればお菓子が大好きで、同じくらいサッカーも大好きで、みんなでプレーするのが楽しくて仕方ありませんでした。家の中にいるより外にいる方が好きでした。サッカーはもちろんですし、他にもみんなと公園で遊ぶことが好きでした。

この写真のころは、サッカーは好きでしたがプロになりたいと思っていませんでした。なりたいと思っていないというよりは、なれるはずがないと思っていました。当時の大分はJリーグに触れる機会も少なかったですし、みんなと楽しくサッカーがしたいというだけでした。

小学6年生くらいから背が伸びていき、今のような体格になっていきました。GKになり、中学で選抜チームに入り出し、高校に上がるときに大分トリニータの方がオファーをくれてU-18に入ることになりましたが、そこで初めてプロになりたい、プロになるためにはどうすればいいのかと考えるようになりました。他県の高校のオファーもありましたが、大分U-18に入って正解だったと思っています。

FC東京戦はスタジアムで初めて観戦する子どもたちもいると思いますが、自分たちにとっては当たり前のことが彼らにとっては感激する材料になると思います。僕も福岡で初めて川口能活さんを見たときのことは今でも覚えています。最初の印象が良ければ良いほどまた行きたいと思ってもらえるでしょうし、そういうチャンスを僕たちは『GoGoReds!デー』で得られています。『西川選手のプレーはすごかったな』と思ってもらえるようにゴールを守りたいですし、『スタジアムの雰囲気はすごかったな』と思ってもらえるように勝利したいです」

【©URAWA REDS】

【伊藤敦樹】

【本人提供】

【©URAWA REDS】

小さいころは静かな子どもでした。人見知りする子どもでした。ただ、幼稚園のころからサッカーをやっていたので、友達は多かったです。レッズの試合を見るようになったのもサッカーを初めたのもなぜなのか知りません(笑)。幼稚園は僕らのころはかなりサッカーが強かったチームに通っていました。浦和にもサッカーが強い幼稚園はいくつかありましたが、僕らが通っていた幼稚園は1学年100人くらいいたと思いますし、みんながサッカーをしていました。わんぱくサッカー大会という幼稚園の大会がありましたが、僕らの幼稚園は均等に分けた6チームくらいが出て、決勝だけベストメンバーで戦います。幼稚園からそういう選抜がありましたし、決勝でも6-0くらいで圧勝していました。

初めてスタジアムでサッカーを見る子どもたちが楽しめるかどうかは、僕らにかかっていると思います。ゴールがたくさん入れば楽しい、かっこいいと思ってくれると思います。ただ、スタジアムに来るだけでもファン・サポーターの方々の雰囲気やサッカーの魅力が伝わると思います。FC東京戦を見た子どもたちがサッカーが好きになり、レッズでプロサッカー選手になることを夢に見てくれたらうれしいです。そういう子どもたちがたくさん出てきてくれるような試合をしたいです」

【©URAWA REDS】

【ダヴィド モーベルグ】

【本人提供】

サッカーを始めたころ、5歳か6歳くらいのスウェーデンでの写真です。僕の息子に似てかわいいでしょ(笑)。初めてチームに入ってプレーしたころです。このころの僕は、他の選手にとってあまりいいチームメートではなかったと思います。勝ちたいだけでした。ボールを取って、ドリブルして、毎試合10ゴールくらい取っていました。サッカーをただ楽しみ、お友達感覚でピッチに来るのは受け付けられませんでした。僕は勝つためにプレーしていたからです。ただ、お父さんと『まず人としてしっかりとしなければいけない』という話をたくさんしました。人として成長するために練習していました。才能があったので本来は練習しなくてもいいくらいでしたけどね(笑)。

他の子どもたちは『宇宙飛行士になりたい』などと言っていましたが、僕はずっと『サッカー選手になりたい』と言い続けていました。大人から『もっと現実的になりなさい』と言われることもありましたが、僕はサッカー選手になるつもりしかありませんでした。プランBはありませんでした。ただ、今はみんながうらやむような、夢のような仕事をさせてもらっていると感じています。

僕が小さいころはロナウジーニョやティエリ アンリのような予想できないようなプレーをする選手を見ていました。今では、サッカーをプレーする子どもたちは競争するよりも楽しんだ方がいいと思っています。それが力になるはずです。レッズの試合を初めて見る子どもたちには、ファン・サポーターの方々と一緒に歌ってみてもらいたいです。レッズのファン・サポーターの方々の応援はどこでも見られるようなものではありません。スタジアムでは試合を見るだけではなく、ファン・サポーターの方々の真似をすることでさらに楽しめるかもしれません。パーティーを楽しんでください。

【©URAWA REDS】

【鈴木彩艶】

【本人提供】

【©URAWA REDS】

かなり元気な子どもでした。やんちゃというわけではありませんが、恥ずかしがらずにガンガン歌うような子どもでした。今とは全く違いますね(笑)。幼馴染に聞くと、レッズに入ったくらいから変わったと言われます。人間的に成長したのかもしれませんし、背負うものが増えたということはあると思います。サッカーを始めたころからプロになりたいと思っていましたし、レッズのジュニアに入ってからはトップチームに上がること以外は考えていませんでした。大きな挫折や諦めそうになったことはありませんし、ずっと同じおもいでこれまでやってこられました。

サッカーを始めたころはいろいろなポジションでプレーしていましたが、最初のころからGKもやっていました。止めるのが楽しいからGKをやっていました。ゴールを取ることも楽しかったですが、技術も体力もそこまでありませんでしたので、止める方がかっこいいと思っていました。GKだけがグローブを付けたりするのもかっこいいと思っていました。小学生のころに審判もやっていましたから。遊びのときに審判は必要ありませんが、イエローカードとレッドカードを自分で買って審判をやっていました。変わった子どもだったかもしれませんね。GKって変わった人が多いんですけど(笑)。

FC東京戦でサッカーを初めて見る子どもたちには、雰囲気を楽しんでほしいです。例えば相手に対するブーイングもあると思いますし、特に小さい子どもたちは怖いかもしれませんが、応援しているチームが勝つために圧力をかけているとポジティブに捉えてほしいです。

【©URAWA REDS】

【関根貴大】

【本人提供】

【©URAWA REDS】

この写真は小学校の入学式ですね。このころはお母さんがいないと泣く子どもでした。この写真もよく見ると目が潤んでいるんですよ。サッカーは幼稚園のころからやっていましたが、お母さんがいなくてもプレーできていたのかどうかは覚えていません(笑)。ベビーカーに乗っていたころも押す人がお母さんから違う人に変わると泣いていたそうです。もちろんその記憶はありませんが、人見知りが激しかったのだと思います。

小学校の卒業文集には「クリスチアーノ ロナウド選手みたいになります」と書いていましたが、現実的にプロになりたいと思っていたというよりは、小さい女の子が「イチゴになりたい」と言うのと同じような感覚だった気がします。サッカーを始めたきっかけは友達が始めたから仕方なくといった感じでしたが、ほとんどの大会で優勝していた記憶があります。小学校のころは市内大会だとGKで相手を全員抜いて2点くらい決めることもありました。

レッズの試合を初めてスタジアムで見ると、まずはファン・サポーターの方々の応援に圧倒されると思います。スタジアムの上の方では難しいかもしれないけど、ピッチの近くの席では監督や選手の声も聞いて楽しんでほしいです。それと、ピッチからスタンドは遠いと思うかもしれませんが、選手は意外と見えています。もし試合を見て楽しんでくれたら、試合後に思い切り手を振ってください。

【©URAWA REDS】

【大久保智明】

【本人提供】

小学1年生のころの写真ですが、小さいころは女の子に人気がありました。自分のチームの練習が終わると女の子が並んでいることもありました。でも、その人気は小学2年生くらいで終わりました(笑)。かなりおしゃべりで授業中もうるさいけど、勉強はそれなりにできる子どもでした。サッカーもこのころは王様でした。キックオフから全部仕掛けて、負けたら大泣きする。勝っても自分がゴールを決められなかったら大泣き。今は自分のゴールよりチームの勝利の方が大切ですし、大人になりました(笑)。

サッカーを始めたのは幼稚園のころからでしたが、小学1年生から本気でプレーし、プロになりたいと思っていました。自分が日本一うまいと思っていましたし、楽しかったです。でも小学4年生で東京ヴェルディのジュニアに入り、自分よりうまい人しかいなくて愕然としました。同級生で自分だけ試合に出られないということもありました。でも、地道に努力し続けてきましたし、当時は僕よりうまくてプロになれなかった選手もたくさんいますので、頑張ってきてよかったと思います。

FC東京戦は僕の知り合いの子どもも見に来ます。初めて見る子どもたちにはやはりスタジアムの雰囲気、ファン・サポーターの方々の応援を楽しんでもらいたいです。ピッチ上ではいろいろなことがありますが、分かりやすいプレーも大事だと思いますし、僕がドリブルで仕掛けるところやゴールが決まるところで盛り上がってほしいです。僕も見ていて楽しい、ボールが渡るとワクワクするようなプレーができる選手になりたいですし、FC東京戦もそんなプレーを見せたいです。僕も子どもたちに憧れられる選手になりたいですし、まずはFC東京戦を楽しんでもらいたいです。

【©URAWA REDS】

【荻原拓也】

【本人提供】

【©URAWA REDS】

小学生のころはやんちゃでした。周りを笑かすのも好きでしたし、笑いの中心でいたいと思う子どもでした。性格を含めて今とあまり変わらないかもしれないですね(笑)。サッカーに関しては、小学生のときは自分が1年生のときにできた街クラブでしたが、ダノンネーションズカップ(各国を代表したチームでU-12の世界一を決める大会)で国内2位になりましたし、個人としてトレセン(ナショナルトレーニングセンター制度)も最後まで行きました。ファンタジスタのようなタイプでしたし、天才だと思っていました(笑)。

ただ、浦和レッズに入った瞬間に評価されなくなりましたし、中学1年生のころは試合に出られませんでした。その当時は自分が足を踏み入れた世界は残酷だと思いましたし、サッカーをやめようと思うときもありました。ユースに上がるのもギリギリで、ボランチとセンターバックとして昇格しました。潰し合いもしていましたし、ボールもさばいたりしていました。高校2年のときに本格的にサイドバックになり、そこから花が開いた感覚です。

そのときは『プロになる以外にないでしょ?』という感覚でした。プロサッカー選手になるのが当たり前と思っていました。でも中学生で『絶対無理だ』と思うようになり、そこから少しずつ自信をつかんでいって最終的に『やっぱりなれるんじゃないか』と思ってユースの最後の1年間、2年間でブーストがかかったような感覚でした。まだ20代前半ですが、そういう経験も今の考え方などにつながっていると思います。

スタジアムで初めてレッズの試合を見る子どもたちには、難しく考えるのではなく、感じてほしいです。サッカーを見てプロになりたいと思う子もいると思いますし、自分がプレーするよりもゴール裏の一員になりたいと思う子もいるかもしれません。僕は中学のときに埼玉スタジアムでレッズの試合を見て、あのピッチの中に行きたいと思いました。見て素直に感じたことをキャッチしてほしいです。

【©URAWA REDS】

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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