【水戸】私のミッション・ビジョン・バリュー2021年第12回 山田奈央選手「自分の夢に一直線」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」
を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

今季も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2021年第12回は山田奈央選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.今回、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を作成するために、どのぐらい面談を行いましたか?
「他の人は1時間ぐらいだったと思うんですけど、僕は結構長くて、1回2時間ぐらいの面談を4回行いました。これまでの人生をかなり深堀して話をしました」

Q.今まで他者から話を聞かれて、人生を振り返ることはありましたか?
「ここまで詳しく振り返ることはありませんでした。忘れていた出来事や思いもあったので、思い出すことができてよかったです」

Q.実際、振り返って、言語化したことによって感じたことはありますか?
「整理されますよね。口に出すことによって、自分がどうなりたいかという目標がはっきり分かるようになりました。そこは今後に向けてプラスになったと思います」

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Q.まずMISSIONについて話を聞かせてください。「世界的に活躍する選手になって、自分と同じ境遇で夢を追っている子ども達に勇気を与えること」と「自分がお世話になってきた環境に恩返しをすること」の2つを掲げています。
「自分の目標は世界的に活躍する選手になることなのですが、自分は他のJリーガーと比べると、エリート街道を歩んできたわけではないんです。小学校のチームで一番うまいわけではなかったですし、中学校のチームは2年の夏までベンチにすら入ることができませんでした。浦和ユースに入っても、1年生の時は一度も公式戦に出場することができませんでした。そういう悔しい経験が他のJリーガーよりも格段に多いと思っています。なので、僕が世界の舞台で活躍する姿を見せることが、僕のようなエリート街道を歩んでいない子ども達の希望になると思うんです。子ども達に『僕もああなれるかな』と思ってもらえるような、勇気とか希望を与えられる選手になりたいと思って、この言葉を選びました」

Q.悔しい経験をした時に心の支えになったものは何だったのでしょうか?
「『世界的に活躍する選手になる』という目標を抱き続けたことですね」

Q.試合に出られない状態でその夢を抱き続けるのは難しいことだったと思いますが、諦めるようなことはなかったのでしょうか? なぜ、抱き続けることができたのでしょうか?
「プロになれないんじゃないかと、自分の未来に対して不安を抱くことはありました。でも、目標は一回もぶらすことはありませんでした。そこだけは自分でも強いこだわりを持ってやり続けることができました」

Q.その強いこだわりが結実するような出来事はありましたか?
「水戸への加入が決まった時ですね。浦和のトップチームに上がれないと告げられた時に本当にショックを受けたんです。自分はトップチームに上がれるものだと思っていましたし、大学からの誘いもすべて断っていました。なので、プロになれなかったらサッカーをやめるつもりでした。本当に崖っぷちに追い込まれたんです。でも、目標を持って取り組み続けてきたことによって、自分を評価してくれるクラブがあった。目標に近づいたという実感がありました」

Q.浦和ユース時代には年代別の日本代表に選ばれることもありましたが。
「最初に選ばれたのはラッキーだったんですよ。たまたま対戦相手の選手を代表のスタッフ陣は見に来ていたみたいなんですよ。その試合で人生初ヘディングゴールを決めるなどいいパフォーマンスを見せることができました。それで代表に呼ばれることとなりました。代表に選ばれてから、周りに劣ることなく、しっかりアピールすることができたと思うので、やり続けた成果が出たと感じました」

Q.センターバックでプレーしていますが、守備力だけでなく、左右の足から繰り出される正確なキックやスピードも山田選手の持ち味です。そういう自分の長所を出すためのトライをし続けたのでしょうか?
「中学の監督から『高校に上がるとチームの色に染まってしまうことがあるので、そうはなるな』『自分の色を出し続けて、駒になるな』と言われていました。その言葉を常に意識して、曲げずにやってきました」

Q.「自分がお世話になってきた環境に恩返しをすること」については、いかがでしょうか?
「この言葉でスポットを当てているのは、小学校と中学校のチームです。どちらも小規模のチームで、小学校時代のチームは6学年合わせて11人いるかいないかぐらいのチームですし、中学校時代のチームはグラウンドがなくて、いろんなグラウンドを転々として練習していました。そういう状況なので、人も集まらないんです。なので、自分が活躍すれば、自分が育ったチームの知名度が上がると思いますし、注目される。その2チームで自分の基盤は作られたので、恩返しをしたいという思いでこの言葉を選びました」

Q.小さなクラブを選んだのはなぜ?
「小学6年生の時に浦和と大宮のアカデミーのセレクションを受けたのですが、一次試験で落ちてしまいました。自分で選んでそのチームに入ったというより、Jクラブに入れず、小規模のチームにしか入れなかったというのが正直なところです」

Q.環境を言い訳にすることなく、サッカーと向き合い続けてきた歩みが大切だということですね。
「中学時代、土日は朝早くから夕方まで練習をしていました。しかも、自分は誰よりも早くグラウンドに行って、自主練習をしていました。そこで今の自分の武器であるキックの技術を身につけることができました。そもそも中学まで利き足の右足でさえ、思い通りのキックを蹴ることができていませんでした。でも、中学3年間毎日練習したことによって両足で正確に蹴ることができるようになりました。練習の質は高くなかったかもしれませんが、練習の量は半端なかったと思います」

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Q.次はVISIONについてお話を聞かせてください。「挑戦が称賛されるような社会になる」。どういった思いでこの言葉にしたのでしょうか?
「学生時代も今も自分は相当悔しい思いをしてきました。でも、そういった思いをするのは挑戦してきたからなんだと思っています。だから、プロになることができている。学生時代の監督が熱い方ばかりで、とにかく挑戦を褒めてくれるような人たちでした。そういう環境にいたから、小さな街クラブから浦和ユースに入ることができましたし、プロにもなれた。でも、そういう環境ばかりではないと思うんですよ。チャレンジしてミスをしたら、怒られてしまう環境もたくさんあると思います。その点で自分は恵まれていたと思います。サッカーだけの話ではなく、社会全体がそうなっていけば、多くの人が恐れずに挑戦できるようになる。そうすると、成長していく人が増えると思います。そういう社会になってほしいと思って、その言葉にしました」

Q.人生で印象に残っているミスはありますか?
「高校2年生の時のプレミアリーグデビュー戦ですね。その試合は0対1で負けていたのですが、同点のチャンスがある中、自分がミスをして0対2になってしまいました。あの試合は忘れられません」

Q.そこからどのように気持ちを切り替えましたか? また、その経験は今どのように生きていますか?
「その試合以降、7試合連続でベンチ外となりました。試合に絡めない状況が続いたのですが、自分は切り替えることができていたので、やれることを見つけて、手あたり次第やるようにしていました。7試合経った時にユースの監督が替わったんですよ。新監督が挑戦を称賛してくれる方で、そこからまた試合に出られるようになったんです。監督が替わったことは自分にとって大きかったです」

Q.水戸での秋葉監督との出会いも大きいのでは?
「相当大きいです。消極的なミスは怒られるので、積極的なチャレンジを心がけるようにしています」

Q.リーグ戦の出場は第24節東京V戦の前半45分のみですが、その経験は今どのように生きていますか?
「群馬戦は消極的でした。自分のよさを出すというより、何事もなく試合を終えようというメンタリティーでした。それがよくなかったと感じています。そういうことがないように練習試合やJエリートリーグでは常に前向きに、自分のよさをすべて出すぐらいの気持ちでプレーしています」

Q.Jエリートリーグではキャプテンマークを託されることもありました。
「そうやって期待されたことはうれしかったです」

Q.ルーキーイヤーも終盤まで来ています。ご自身で成長は感じていますか?
「自分が試合に出たら勝利に貢献できるという自信を群馬戦では持つことができていませんでした。でも、今は持つことができています。なので、そこに成長を感じています」

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Q.VALUEについて聞かせてください。一つ目は「人生経験を踏むこと(挫折を乗り越えた経験、人生の転機になるような経験)」。
「1回の面談が長かったのは自分には今までいろんな出来事があったからで、そういう経験をしてきたからこそ、ぶれずにやってくることができました。これからいろんな試練があると思いますが、そこを経験することによって、人間的にさらに成長できると思っています。その結果、MISSIONが叶うことに近づくので、この言葉を選びました」

Q.2つ目は「夢を叶えるためにひたむきな努力を続ける」です。
「これは1つ目から続いていて、いろんな壁や障害にぶつかることが人生ではたくさんあると思うんです。そこを乗り越えて夢を叶えるためにはひたむきに努力するしかないと思っています」

Q.3つ目は「自分を支えてくれる出来事や教訓を作る」です。
「今までたくさんの挫折や壁を乗り越えてきたことによって、今の自分があるんです。そして、今までの歩みがあるからこそ、これから壁にぶつかったとしても、乗り越えられるという自信がありますし、その状況を楽しめると思っています。自分ならではの乗り越え方をたくさんしてきたので、出来事や教訓をたくさん作っていれば、どんなに難しいことでも自分はできるんだという自信を持てると思うんです。なので、この言葉を選びました」

Q.「教訓」を具体的にお話いただけますか?
「自分はサッカーノートをつけているんです。そこには基本的に自分のよかったプレーは書きません。悪かったプレーばかり書いています。それを後から見返して教訓にするというか、『同じミスはしないぞ』と自分を戒めるようにしています」

Q.何歳からサッカーノートをつけているのでしょうか?
「中学1年生からですね。当時は義務的に書いていましたが、高校になっても続けましたし、今も続けています」

Q.そういう見返すものがあると、以前壁を乗り越えた時のことなどを思い出すことができますね。
「結構読み返すことは多いですよ。一番読み返すのは、トップチームに昇格できないことが分かった日から水戸からオファーをもらう日まで。いろんな人からいただいたアドバイスをノートに記していました。つらい時に見返せば、『これよりつらいことはない』と思えるようになるんです」

Q.トップチーム昇格ができないことが分かったのはいつ頃ですか?
「昨年の8月2日です。それで水戸からオファーが届いたのが10月4日。2か月間は本当に地獄のような日々でした。実は今年の8月2日にJエリートリーグで浦和と対戦したんですよ。そこに僕が出場して勝つことができました。いろいろ繋がりを感じましたね」

Q.最後は「自分に足りないものを見つめ直す」です。
「見つめ直すということにおいて、サッカーノートの存在がすごく大きいんです。うまくいかない時になぜうまくいかないのか。サッカーノートで原点に立ち返ることで見つめ直せると思います」

Q.サッカーノートの内容は変わってきていますか?
「変わってきています。年々というより、月ごとで変わります。よくない時は他人にベクトルが向きがち。人のせいにしてしまうことが多い。でも、サッカーノートを見返すことによって、自分にベクトルを向けることができる。なので、自分に足りないものを見つめ直すということを常に忘れないようにしています」

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Q.そして、スローガンについて。「自分の夢に一直線」。この言葉に込めた思いを教えてください。
「今までたくさんのつらいことや挫折を味わってきました。でも、自分が叶えたい夢に対して、一度も曲げることなく、疑問を抱くことなく、取り組むことができました。自分のスローガンにふさわしい言葉だと思いましたし、自分らしい言葉だと思って、この言葉にしました」

Q.何年後に夢を叶えるという具体的な目標を出していますか?
「22歳には海外に行きたいという思いはあります。そこから逆算した考えを持っています」

Q.山田選手が上記の考えに至るまで影響を与えられた人はいますか?
「長谷部誠選手ですね。トップチーム昇格ができないことを伝えられた後、元浦和の長谷部選手がユースの選手たちに向けてメッセージを送ってくれたんです。長谷部選手もたくさんの壁にぶち当たったそうです。その話を聞いて、すごく救われたんです。なので、今後は自分から発信できるようになればいいなと思っています。刺激を受けました」

Q.残り試合は少なくなりましたが、シーズン最終盤に向けて意気込みをお願いします。
「まだ自分が出た試合で勝てていないので、必ず今季中に無失点で勝って、サポーターと喜び合いたいという思いが強いです」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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