【新日本プロレス】『ライガー直々に2代目を誘われたが…!?』YOH選手に直撃!

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【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

新連載『令和時代の新日本プロレスジュニア』!  新日本ジュニア戦士たちの“本音”に迫るインタビュー集中連載! 

今回は“ROPPONGI 3K”のYOH選手に直撃(前編)! “象徴”だった獣神サンダー・ライガー選手の引退、同門であるウィル・オスプレイ選手のヘビー級転向、さらに合宿所時代からよく知る“アブない先輩”であり、IWGPジュニア王者の高橋ヒロムにも言及!

聞き手/鈴木佑
撮影/タイコウクニヨシ

※このインタビューは4月上旬に収録したものです。

※以下、YOH選手インタビュー(前編)の序盤をSportsnaviで無料公開!

ボクはハヤブサさんを尊敬していて、自分でも技を取り入れたりしてるんですけど。開脚リングインも元祖はハヤブサさんなんで。

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――今回は「令和の新日本ジュニア」というテーマで伺いたいと思います。まず、89年4月のデビュー以来、ジュニアというジャンルの象徴だった獣神サンダー・ライガー選手が今年1月に引退しましたが、今年32歳のYOH選手はまさにライガー世代ですよね?

YOH ああ、もうドンピシャですね。90年代中盤以降、ライガーさんが金本浩二さんや大谷晋二郎さん、高岩竜一さんとやりあってた頃を熱心に観てたんで。

――当時のYOH選手は小〜中学生ですが、やはりライガー選手の存在は大きかったですか?

YOH それはもう。まず、子ども心にあのビジュアルは一度見たら忘れないんで(笑)。それにvsヘビー級仕様として、上半身のコスチュームを脱いだときの姿は最高にシビれましたね!

――凄まじい肉体でしたよね。

YOH そういえばライガーさんが引退してから、撮影で一緒になったときにプロレスの話をしたんですよ。そこで「なんで俺ががんばれたかって、俺はスピードでもテクニックでも何でも、全部平均的だったんだよ。どの分野でも突出した選手はいたけど、逆に言えば俺は“オール3”だったから、誰とでも試合を合わせることができた」って言っていて。

――ライガーさんご自身はそう分析されていた、と。

YOH それを聞いて「ああ、そうか」って思いましたね。まあ、「エッ、パワーはバリバリの一位だったんじゃ?」とは思いましたけど(笑)。

――さっきお話に出たビジュアルも一位な気がします(笑)。

YOH そうそう(笑)。あと、“いい声部門”でも一位だと思いますね。アリーナクラスの大きな会場でも、心臓に響くような声を持ってたというか。それと“子ども心を忘れてない部門”でも一位かな。ハハハ。

――童心に返りっぱなしだ、と(笑)。

YOH 解説の「スゲー!」もそういうことだと思うんですよ。『スターダム』の解説でも「スゲー!」とか「ヤベー!」ばっかりですし(笑)。

――ファン時代にライガーさんの試合で印象深いのは?

YOH 『SUPER J-CUP』(94年4月16日/両国国技館)のハヤブサ戦、もしくはザ・グレート・サスケ戦ですね。ボクはハヤブサさんを尊敬していて、自分でも技を取り入れたりしてるんですけど。

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――ハヤブサさんが編み出したファルコンアローを使われてますよね。

YOH あとは開脚リングインも元祖はハヤブサさんなんで。あのライガー戦がハヤブサさんの出世試合なんでしょうけど、相手がライガーさんだからインパクトのあったものになったというか。ボクがファン時代、グッズを買ったのもジュニアはライガーさんくらいなんで、やっぱり昔からずっとジュニアの象徴ですよね。

――YOH選手が入門して、間近で観たライガー選手の印象は?

YOH なんか安心したんですよ。「“あのまんま”なんだな」って。リング上同様、感情表現が豊かというか。ただ、ライガーさんの地雷が最初はわからなくて困りましたね。これは100人いたら、100人そう答えると思うんですけど。

――ライガーさんは昔から“瞬間湯沸かし器”と言われてますよね。怒りのスイッチがいきなり入ると。

YOH 普通に会話してて、「なんだと!?」って急に怒られたりしますから(苦笑)。ただ、一回沸いたら冷めるのも早くて、引きずることはないんですけど。

――以前、高橋ヒロム選手が若手時代にライガーさんを怒らせてしまったときに、あとであらためて謝罪に行ったら「一度謝って済んだことを、いつまでもゴチャゴチャ言ってんじゃねえ!」と、また怒られられたそうです(笑)。

YOH ハッハッハ! なんか、ライガーさんに限らずあの世代の人、昭和のレスラーってやっぱり濃いんですよ。新弟子の頃に「デカい声で挨拶しろ」って言われたんで、長州(力)さんに「今度入りました! 小松と申します!」って言ったら「うるせー!」ですから(笑)。

――さすがですね。

YOH 「じゃあ、どうしたらいいんだろ?」って。いまと比べて一般常識が通用しないというか、振り切っちゃってる人が多いですよね。だから、あの世代の人たちはおもしろいんだなって。

――そういう気づきがあった、と。

YOH それに対してボクとかSHOくん含め、いまの若い人間はわりとスマートだと思うんですよ。世の流れ的にそういうものがあると思うんですけど、どこかで「これやったらダメ、あれやったらダメ」っていうのがあるというか。

――そこは「本当はもっとブッ飛びたい」みたいな感覚を?

YOH いや、ボクは洗練された人間でいたいので、これからも洒脱な大人を目指していきます(笑)。

ライガー二代目? 実際の話、獣神サンダー・ライガーは継げないですよ。いろんな意味で名前が重すぎて、どんどん動きが遅くなりますよ。

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――プロレスの今昔でいうと、よくライガーさんは「昔はプロレスラー、いまはアスリート」っていう言われ方をされるんですよね。それはいろんな面でということなんでしょうけど。

YOH ああ、なるほど。昔の映像を観て、試合展開一つ取ってもいまと昔じゃ違いますからね。もちろん参考になる部分はたくさんあるんですけど、わりとボクは「別モノだな」って捉えてます。試合内容に関しては、いまが一番アツいと思うんで。

――そこは令和の第一線で活躍するレスラーとしてプライドが伺えますね。

YOH よく「いまのレスラーは昔に比べて体型を絞ってる」とか言われますけど、そうしないと試合についていけないんですよ。動き自体が激しいんで。だから、昔のレスラーみたいにメシをガンガン食って、酒をたらふく飲んでっていう生活だと、とくにいまのジュニアではついていけないと思いますね。まあ、そういう昭和っぽさも、個性の一つにはなるでしょうけど。

――とくにジュニアタッグだと、より動きが目まぐるしいですよね。

YOH そうですね、二人のタイミングというのもありますし、それが一つ狂うと試合のリズムが崩れちゃうんで。だから、いま世の中はこういう状況ですけど、コンディションだけは意識して維持してますね。いつでもいつもの動きができるようにっていう。

――なるほど。そういえばライガーさんとYOH選手でいうと、「オマエ、二代目ライガーやるか?」と言われたことがあったとか?

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YOH ソレ、16年にメキシコに武者修行に行ったとき、現地にいたある選手に話したことがあるんですよ。で、ボクが「じつはマスクマンになりたかったんですよね。昔ライガーさんにこんなことを言われて」って話したら……。
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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