1. FCケルン | 大学から直接海外へ、長澤和輝

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【©︎1FCKoeln】

近年、日本人サッカー選手が海外で活躍する姿を目にする機会が増えている。それに伴い、高校や大学サッカーを経て、Jリーグを挟まずに直接海外へ挑戦する選手も増加傾向にある。しかしながら、海外で結果を残す選手はほんの一握り。そんな中、長澤和輝は大学サッカーから海外へと飛び出し、現地で成功を収めた数少ない選手の一人だ。彼の歩んだ道を振り返ると、その挑戦と成果は日本サッカー界にとって重要な意味を持つと言える。

大学サッカーで頭角を現しプロの道へ

長澤和輝は千葉県でサッカーを始め、高校時代には全国大会に出場するなど早くから注目を集めた。第88回全国高校サッカー選手権では大会優秀選手にも選出されている。その後、専修大学に進学。大学サッカー界で頭角を現し、2年目には全日本大学サッカー選手権で優勝。また、4年目までに関東大学サッカーリーグで3連覇を果たすなど、当時の大学サッカーを牽引する存在となった。

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1. FCケルンでの挑戦と成長

2013年、ユニバーシアード日本代表としてドイツ遠征に参加した際、ケルンのスカウト陣の目に留まった長澤。練習参加を経て加入が決定した。当時、ケルンはブンデスリーガ2部で再起を図っている最中だったが、クラブ全体で若手選手を育成する方針を掲げていた。

2013-2014シーズンはシーズン途中加入ながら、10試合に出場して1アシストを記録。クラブの2部リーグ優勝と1部昇格に貢献した。翌シーズンにはブンデスリーガデビューを果たし、シーズン終盤には初先発も経験。しかし、翌2015-2016シーズンを迎える前に負った怪我により長期離脱を余儀なくされ、出場機会が減少。それでもケルンでの経験は、長澤のキャリアにおける重要な一章となった。

ケルンについて長澤は以前のインタビューで「歴史がある文化が根付いたFCケルンっていいですよね。昇格と降格を繰り返しているクラブだけど、ファンの熱気はドイツナンバー1ですね。熱くて独特のスポーツ文化。2部に落ちてもシーズンチケットが売り切れる。ケルンなぁ、本当にいい街ですね。Jリーグだと約30年、少しずつ地域に根付いたサッカークラブができつつあるけど、その見本としてケルンは目指すところでもありますよね。」と語っている。

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Jリーグでの再出発

2015年末、長澤は出場機会を求めて浦和レッズに移籍。Jリーグでの再スタートを切ることとなる。初年度はJ2のジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍し、41試合に出場する活躍を見せた。その後浦和に復帰。ACL優勝や天皇杯優勝を経験し、チームの主力として定着していった。

2021年には名古屋グランパスへ移籍し、YBCルヴァンカップ優勝にも貢献。しかし、再び怪我に見舞われ、長期離脱を余儀なくされる。2023年にはベガルタ仙台に完全移籍し、キャプテンを務めるなど存在感を発揮した。

再び海外へ

2023年、長澤は再び海外挑戦を決意。ニュージーランドのウェリントン・フェニックスFCでプレーを続けている。現地でもその経験を活かし、チームを支える存在として活躍を見せている。

日本サッカー界への影響

長澤和輝は、大学サッカーから直接海外へ挑戦する道を切り開き、その後も国内外でキャリアを積み重ねてきた。そのプロ意識やプレースタイルは、未来の日本サッカーを担う若手選手たちにとって一つのモデルとなるだろう。現役選手として活躍しながら大学院でスポーツビジネスを学ぶ姿勢も、サッカー界全体に新たな可能性を示している。

挑戦を続ける長澤の未来には、さらなる期待が寄せられる。
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著者プロフィール

1.FCケルンは1948年に設立された、ドイツ西部の大都市ケルンに本拠地を置くサッカークラブで、ブンデスリーガに所属しています。1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、日本人海外移籍の先駆者である奥寺康彦が所属していた頃には2度目のリーグ優勝を成し遂げました。また近年では、槙野智章や鄭大世、大迫勇也も所属していました。

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