阪神大震災30年。兵庫のアンカーは田中希実選手。チーム全員の思いを受け止めてゴールへ駆け抜けた。全国女子駅伝。長崎の広中選手と五輪代表同士の交流も
【これはnoteに投稿されたセイノさんによる記事です。】
まもなく1月17日が来る。阪神・淡路大震災から30年の節目。全国女子駅伝に出場の兵庫チームは、特別な思いを胸に都大路を駆けた。アンカーはパリ五輪代表の田中希実選手(25)。区間は10キロ。専門外の距離だが、チーム全員の思いを受け止めてラストの区間を駆けた。10位でのフィニッシュ。右胸につけた「30」のワッペンが輝いていた。
京都のたけびしスタジアムを発着点に12日に行われた大会。兵庫チームは特別の思いを胸に大会に出場した。渋谷優美コーチは30年前の震災で、当時中学3年生の教え子が亡くなった。夢と希望をもった若者が突然命を失う。大災害の恐ろしさを思い知らされる。
あれから30年。胸に「30」のワッペンをつけることを提案したのは渋谷コーチだった。過去を忘れず、それでも前を進んでいく。その思いが見る者にも伝わった。
9区間42.195キロで争われるレース。兵庫の最終ランナーは田中選手に。2021年の東京、昨年のパリと2度の五輪に出場した。いずれも出場したのは1500メートルと5000メートル。
今回10回目の出場となる田中選手。前回大会は2区(4キロ)で区間賞。19人抜きでチームをトップに浮上させる快走を見せた。10キロのアンカーを走るのは初めてだ。
中継所で8区の中学生ランナーを待つ。東京五輪代表で長崎チームの広中璃梨佳選手(24)が隣に立っていた。ほぼ同時のスタートとなりそうな展開に、「まさかのまさかだね」と2人は談笑。日本女子陸上の第一人者2人が楽しみながらタスキを待つ姿も微笑ましい。
通常、中継所で待つ選手は前の区間のランナーへ熱い視線を注ぐ。今回のように、待つ選手同士の交流があるのも、全国女子駅伝の魅力かもしれない。
4秒先にタスキを受け取った田中選手はハイペースで駆けていく。最初の1キロを3分5秒。東京五輪の10000メートルで7位入賞の実績のある広中選手との差を広げていた。
先に走った8区までの選手たちの思いがタスキに込められている。ペースが速いと思っていても、止めることはできなかったのかもしれない。それが駅伝の魅力であり、時には怖さにもなる。
田中選手はしだいに勢いを失い、広中選手にも追い抜かれた。それでも12位でタスキを受けてから2つ順位を上げて10位でゴールした。
震災30年。田中選手は当時生まれていない。しかし震災の起こった土地で育った者として伝え続ける必要がある。田中選手にとっては、走るという手段によって。
ゴール後に田中選手は「順位やタイムでない部分で、何か伝えることはできたと思う」と振り返った。
チーム全員の思いの詰まったタスキを胸に、専門外の距離にチャレンジした。これこそ、過去に思いを馳せながら、前へ進んでいくことを実践したことになる。
震災30年。兵庫チームの選手たちの思いが十分に伝わるランだった。「30」のワッペンは輝いていた。
京都のたけびしスタジアムを発着点に12日に行われた大会。兵庫チームは特別の思いを胸に大会に出場した。渋谷優美コーチは30年前の震災で、当時中学3年生の教え子が亡くなった。夢と希望をもった若者が突然命を失う。大災害の恐ろしさを思い知らされる。
あれから30年。胸に「30」のワッペンをつけることを提案したのは渋谷コーチだった。過去を忘れず、それでも前を進んでいく。その思いが見る者にも伝わった。
9区間42.195キロで争われるレース。兵庫の最終ランナーは田中選手に。2021年の東京、昨年のパリと2度の五輪に出場した。いずれも出場したのは1500メートルと5000メートル。
今回10回目の出場となる田中選手。前回大会は2区(4キロ)で区間賞。19人抜きでチームをトップに浮上させる快走を見せた。10キロのアンカーを走るのは初めてだ。
中継所で8区の中学生ランナーを待つ。東京五輪代表で長崎チームの広中璃梨佳選手(24)が隣に立っていた。ほぼ同時のスタートとなりそうな展開に、「まさかのまさかだね」と2人は談笑。日本女子陸上の第一人者2人が楽しみながらタスキを待つ姿も微笑ましい。
通常、中継所で待つ選手は前の区間のランナーへ熱い視線を注ぐ。今回のように、待つ選手同士の交流があるのも、全国女子駅伝の魅力かもしれない。
4秒先にタスキを受け取った田中選手はハイペースで駆けていく。最初の1キロを3分5秒。東京五輪の10000メートルで7位入賞の実績のある広中選手との差を広げていた。
先に走った8区までの選手たちの思いがタスキに込められている。ペースが速いと思っていても、止めることはできなかったのかもしれない。それが駅伝の魅力であり、時には怖さにもなる。
田中選手はしだいに勢いを失い、広中選手にも追い抜かれた。それでも12位でタスキを受けてから2つ順位を上げて10位でゴールした。
震災30年。田中選手は当時生まれていない。しかし震災の起こった土地で育った者として伝え続ける必要がある。田中選手にとっては、走るという手段によって。
ゴール後に田中選手は「順位やタイムでない部分で、何か伝えることはできたと思う」と振り返った。
チーム全員の思いの詰まったタスキを胸に、専門外の距離にチャレンジした。これこそ、過去に思いを馳せながら、前へ進んでいくことを実践したことになる。
震災30年。兵庫チームの選手たちの思いが十分に伝わるランだった。「30」のワッペンは輝いていた。
見出し画像:空下 元 :美少女ゲームシナリオライター
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