リタイア続出の超長距離ステージレース ウルトラマラニック『飛脚』に挑戦!

三河賢文

2nd Stage:暑さに倒れる…丸子宿まで約117.5キロ

【三河賢文】

【三河賢文】

 初日を除いて、本大会は毎日朝5:00のスタート。食事やテント片付け、荷物準備などを考え、多くのランナーが3:00〜3:30には起床します。2nd Stageは、静岡県静岡市にある丸子宿のビバークを目指す約117.5キロ。2日目にして、いきなり100キロ超のコースとなります。

【三河賢文】

 2nd Stageに待ちかまえていたのは、本大会でも屈指の難コースである“箱根越え”です。スタート直後から上り坂が現れると、やがて山の中へ。まずはこの山道を通って箱根関所を目指します。

【三河賢文】

 道中には石畳があり、苔がすべってうまく走れません。自然とフォームが崩れ、脚に疲労が溜まっていくのを感じました。とにかく安全第一。足元に注意しながら、けがだけはしないようにと慎重に進みます。

【三河賢文】

 やっと辿り着いた箱根関所はエイドになっています。観光地でもあるため、付近には多くの観光客も訪れていました。しかし、これで終わりではありません。2nd STAGEは、ここからさらに多くのランナーを苦しめるのです。

【三河賢文】

 関所の後は再び山道を超えます。すると現れるのが、永遠と続いていく下り坂。登った分は下る…当たり前ですが、これが脚へ大きな負担をかけます。ランナーの中には、この下り坂で膝を痛めてしまった方もいたようでした。

【三河賢文】

 下り切って平地に入ったと思えば、今度は日陰の1つもない炎天下の海沿いです。ここは暑さとの戦い。ジリジリ照りつける太陽の光が体力を奪い、尋常じゃないほどの発汗が現れます。

 ここでの暑さにやられたのか、海沿いを越えた辺りで体調を崩し、一旦はまったく走れなくなってしまいました。熱中症でしょうか。早い段階で休んだので再び走り始めることはできましたが、ゴールできるか分からないフラフラな状態。しかし、まだ2nd Stageは終わりません。

【三河賢文】

「ゴールまであと少し」というタイミング。ここで追い打ちをかけるかのように、薩垂峠(さったとうげ)が待ち構えていました。舗装路ではあるものの急勾配の坂道を登り、そして未舗装の峠道を下りる。箱根越えに比べれば短いですが、すでに疲労の蓄積したカラダにはこたえます。
 薩垂峠を越えてからは、ゴールまで静岡の街中をひた走ります。暗闇の中、なんとか歩を進めながらゴールに到着。すぐにイスへ座り込んでしまいましたが、体調を崩しながらもなんとか走り切れました。

 この日も2位でゴールしたようですが、すでに夜更けとなり時間に余裕はありません。素早くシャワーと食事を済ませ、とにかく体力を回復させるべく就寝します。発熱があったので、たくさん汗をかけるよう寝袋にくるまって眠りました。

<2nd Stage結果:スタート47名→ゴール21名>

3rd STAGE:豊橋まで届かず…リタイア

【三河賢文】

【三河賢文】

 3日目の朝。起きてみると熱は下がっているようですが、カラダ全体がダルく、両手が痺れていました。しかし脚の疲労感は思ったほどなく、とにかくスタートしてみることに。3rd STAGEは豊橋までの約114キロです。

【三河賢文】

 スタート直後からいきなりの山道。どうも力が入らず、歩いたり走ったりを繰り返して進みました。私だけでなく、他ランナーの皆さんも疲労している様子。関門の制限時間に注意しながら、ギリギリのラインで走ります。

【三河賢文】

 最初のエイドは、約30キロ地点にある金谷宿の石畳入口の茶屋。この時点でほぼ走れない状態となり、リタイアを決めていました。
 しかし時間に間に合わず止められるのと、全力を尽くしてリタイアを決めるのでは意味が違います。茶屋前には急坂があり、一歩進むごとに「本当にリタイアで良いのか」と考えが浮かびました。雑念が浮かぶ中、時計を見ながら坂を登り切ります。
 そして制限時間の2分前というギリギリのタイミングで、なんとか関門となっていたエイドへ到着。迷いを振り切るように

「ここでリタイアします」

と告げ、私のレースは終わりました。無理して体調が悪化すれば、この後に影響を与えかねません。脚は残っているのに走れない。何ともいえぬ悔しい思いを胸に収容バスへ乗り込み、そのまま自宅へ。本大会はリタイアしてもまた翌日走ることが許されていますが、体調を優先し、キッパリ終了です。

 この後も大会は続き、多くのランナーが完全完走を目指し走り続けました。最終的には、たった1名のランナーのみが6日間のステージを走破したとのこと。素晴らしい精神力、体力、脚力に感服です。

 東京から大阪まで走る。言葉にすれば無謀とも思えるようなことも、やってみれば遂げられる可能性があります。今回私は走り切れませんでしたが、2020年に予定されている次回大会では、きっと走破してみせるつもりです。より過酷なレースを求める方、新たなチャレンジとして検討してみてはいかがでしょうか。

2/2ページ

著者プロフィール

中学生の頃から陸上競技を始め、大学では十種競技選手として活動。引退後、約7年のブランクを経て2011年6月よりランニングを開始。同年にハーフマラソン、フルマラソン、翌年には100kmのウルトラマラソンやトライアスロン(オリンピック・ディスタンス)も完走。沖縄本島1周マラソンなどを始め、今では“超長距離”レースにも数多く出場している。また“トウモロコシ”や“アザラシ帽子“をトレードマークに、仮装マラソンも楽しむ。ランニングブログも不定期更新中。趣味と過去の経験を活かし、現在は東京都葛飾区内にある中学校の陸上部にて、外部コーチとして指導も行っている

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント