ダイエットとは結局のところ我慢である(後編) 4カ月で10キロ減、その極意
苦しい「ザ・停滞期」がやってきた
世のダイエット挫折者の中には、この停滞期に我慢の限界が訪れ、元の生活に戻ってしまった人も多いと聞く。その気持ちはよくわかる。ダイエットの苦しみを最も癒してくれるのは、それに見合うだけの成果、すなわち体重減少の喜びだ。したがって、体重の変化がなくなったら、あとは苦しみしか残らない。誰だって根負けするだろう。
正直、私はその一定期間を乗り越えられる自信がまったくなかった。成果の喜びがないダイエット生活はただの苦行でしかないため、それが何日も続くなんて想像しただけで吐き気がする。元来、私は堪え性のない男なのだ。一刻も早く停滞期を脱したい。
一日一食作戦を実行!
夕食をまるまる抜いたのだ。つまり、一日一食である。
もちろん2〜3日限定の話だが、そうすればさすがに少しは減量できるだろう。長い停滞期を地味に我慢し続けるよりも、たった2〜3日なのだからと腹をくくって豪快に食欲を我慢することで61キロの壁を一気に破ったほうがいい。その壁さえ乗り越えられれば、再び元の減量ペースに戻るような気がする。その際はまた一日二食に戻せばいいのだ。
果たして、その一日一食作戦をしばらく実行したところ、本当に体重が落ちた。
あれだけ苦しんでいた体重の停滞期、すなわち61キロの壁をいとも簡単に突破し、59キロまで減少。やはり食わなきゃ痩せるのである。体は正直というか、意外に単純なのだ。
今度は超グルメ作戦を実行!
その方法とは、やはり我慢に見合うだけのご褒美を設定することだ。とはいえウィスキーだけではもはや釣り合いが取れないため、それ以上の楽しみを追加する必要がある。そこで私は昼食に注目した。夕食抜きさえ我慢すれば、翌日の昼には「好きなものを腹いっぱい食べられる」という、ダイエット中らしからぬ超グルメ作戦を実行したのである。
この昼食グルメ作戦のポイントは、前夜のリサーチにある。夕食抜きの空腹地獄をまぎらわすように、ウィスキーの水割りをぐいぐい飲みながらネットなどで「美味しいランチの店」を徹底調査。「明日はこの店でステーキを食べよう」「明日はこの店のバイキングに行こう」などと計画を立て、一日一回しかない食事を思いっきり豪華にするわけだ。
これぞダイエッターの美学
また、この作戦はけっこう楽しくもあった。前夜に「これを食べたい」というモチベーションを高め、それを翌日の昼に発散するわけだから、だんだん夕食を我慢しているという感覚さえなくなってくる。それにもかかわらず、体重計の数値は日に日に減少。こんなに嬉しいことはない。そういう感覚になったおかげか、最初は三日間くらいの限定企画にしようと思っていた一日一食も、環境次第でいくらでも継続できるようになった。
この環境とは、すなわち私が夕食を食べないと、場の空気を壊してしまうような状況のことだ。たとえば仕事関係の会食や友人との外食などの場で、私がダイエットを理由に飲食を慎んだら、それは大人の男として失格だろう。したがって、私はダイエット中も飲みの誘いは断らず、そこでは迷わず飲み食いした。自分勝手なダイエットで他人に妙な気を遣わせてはいけない。食事制限とは人知れずやるものだ。ダイエッターの美学である。
二週間に一度のドカ食い祭り!
これは世のダイエッターたちにぜひ言っておきたい。
「二週間に一回くらいなら、ドカ食いする日があっても体重にはそう影響しない」
そのドカ食いによって翌朝の体重が少し増えたとしても、心配することはない。そんなものは翌日の食事を再び一食にするだけで簡単に元に戻る。むしろ、そういうドカ食い祭りがたまにあることで、それまでの我慢によるストレスを解消することができるため、普段は一日一食という原則をますます継続しやすくなることだろう。
実際に痩せてみてわかったこと
結果、私は一日一食の原則を自在にコントロールできるようになった。そうなれば体重減少は必然である。気づけば53キロ台にまで突入し、家内に「さすがに怖いから、それ以上痩せるのはやめて」と言われるようになって、ダイエット生活に終止符を打った。
最後に、実際に痩せてみてわかったことをひとつ。
ダイエット前の私は痩せたら若返るだろうと勝手に信じていたのだが、それはどうやら30代前半くらいまでの話のようだ。年齢がアラフォーともなってくると、あまりに痩せすぎると頬がこけ、顔に生気と艶がなくなり、かえって老けてしまう。盲点だった。