パラリンピックを開催する資格と自覚 日本が抱える最大の問題 前編

スカパー!

なくせる段差、なくせない段差

ソチパラリンピックは無事閉幕。6年後、パラリンピックが行われる東京は、バリアフリーな街に進化しているだろうか 【写真は共同】

 ソチパラリンピックが終了して、あらためて2020年の東京のことを考えてみました。6年後のパラリンピック開会式までには、いわゆるバリアフリーな、街の中に段差がない都市になっているのではないでしょうか。エレベーターやエスカレーターの増設はもちろん、会場案内には映像や音声が駆使されていたり、もしかするとロボットが誘導してくれているかもしれません。

 最近では、その段差のない街づくりが来るべき超高齢化社会の指針になるのではないかと注目されてさえいます。特に日本は世界でも高齢化のスピードが速いだけに、各国からの期待も小さくないようです。日本の技術力であれば、しっかりとした答えを出してくれると確信しています。そういった意味では、東京がパラリンピックを開催して成功を収めるポテンシャルは十分にあるでしょう。ですが、技術ではなくすことができない「段差」があることを私はある経験から知っています。

障害者スポーツ中継で経験した高い壁

筆者は初めての車いすバスケット中継に臨んだ際、障害者スポーツの壁を感じさまざまなことで悩んだという 【写真:杉本哲大/アフロスポーツ】

 08年5月に車いすバスケットボールの日本選手権を初めて生中継しました。その数カ月前の企画段階の時、まずは実際に見てみないことには始まらないということで、ある車いすバスケの練習試合を見に行くことになりました。しかし、練習試合の数日前からずっと頭の中は「迷い」でいっぱいだったことを覚えています。

 公式大会ではないのに面識のない者が急に選手たちに話しかけても大丈夫なのだろうか。もし会話ができた場合はこちらが体勢を低くして車いすの選手と目線の高さを合わせるべきなのだろうか。初対面で障害の原因を聞いたり障害箇所に目をやることはマナー違反なのだろうか。ユニホームの上からではなく直接障害箇所を見せてもらったり触らせてもらったりすることは完全にタブーなのだろうか……。そんな迷いや疑問が次から次へと頭をよぎるのです。

 そして練習試合の当日、思い切って選手に声をかけてみました。何が正解なのか分からないまま、とっさに片ひざを着いて目線の高さを合わせました。そして、障害箇所を見ないように、視線は不自然なくらい相手の目を外さずに、とにかく競技のことだけを話しました。「実は車いすバスケをスポーツとして中継したいと思っているのです」と、もっともらしく声をかけたのですが、そう話すことで障害のことに触れるつもりはないというポーズを取り、選手は簡単に承諾してくれるのではないかという計算が働いたのも事実です。

 本当は、いつ、どういう経緯で、どう克服したのか、障害のことも聞きたいのです。ですが、聞いていいのか分からない。それは私だけの迷いではありませんでした。同行したスタッフも、不思議なくらいにまったく同じ感覚、同じ状態だったのです。さらには、実況アナウンサーやベンチレポーターも、中継の中でどこまで障害のことに触れていいのか、まったく触れるべきではないのか迷いました。カメラマンも同様です。障害箇所をカメラに収めた方がいいのか、顔のアップを中心にするなどして極力映らないようにした方がいいのか……。

 健常者のスポーツ中継では経験したことのない迷いであり、何か高い壁のように感じました。長期にわたって障害者スポーツに取り組むということは、この壁をどう乗り越えるのか、ということが最大のテーマになるとスタッフ一同共有したものです。 しかし、それがわずか4カ月後、2回目の障害者スポーツ中継となる北京パラリンピックの時には、その壁をあっさりと越えていました。いつ越えたのかも気がつかないくらいに。

無知がもたらした段差と常識を覆す競技レベル

 いったい何が起きたのか。振り返ってみると、結局は障害者スポーツそのものと、それに取り組んでいる選手のことを知らなかったことに尽きると思えます。唯一知っていたのは、選手たちは障害を持っているという事実だけでした。つまり、その時に「これが常識だろう」と持っていた障害者に対する接し方しかできなかったのです。

 街で障害者の方を見かけても見ないようにする。もし接する機会があれば障害のことは極力触れないような対応を取る。それが本当に正しい行動なのかは分からないけれども、何となくそれが常識のような気がする。そんな考え方をしていたのです。それに対して選手たちは、前回のコラム(3月13日掲載「なぜパラリンピックの放送は少ないのか」)に記した通り、生活基盤を確保し、世界を向いてスポーツに打ち込んでいるアスリートそのものです。自分の障害や運命のことなど、とっくに乗り越えているのです。

 そこに「段差」がありました。技術ではなくすことができない、言わば心の中の段差です。私もスタッフもかつて同じように迷い、同じように考え、同じように行動していたということは、多くの健常者の日本人とパラリンピック出場やメダル獲得を目標にしているアスリートには、この段差が生じる可能性が高いと言えるのではないでしょうか。

 それでも、この段差は障害者スポーツに触れれば、選手たちへのアスリートとしての敬意が生まれると同時に、簡単になくなるものです。車いすバスケの中継では、選手のインタビュー、その競技レベルを間近で見て障害者だということをはるかかなたに忘れるくらいの衝撃を受けました。北京パラリンピックの時に壁を越えたことすら気がつかなかったのは、まさにこれが要因だったのです。

 しかし、私はこの技術ではなくすことができない段差そのものが問題だとは思っていません。では、どこに問題があるのでしょうか。

<後編へ続く>

(文・渡部康弘)

渡部康弘
1972年、山形県生まれ スカパー!の障害者スポーツ初代プロデューサーとして車椅子バスケットボールをはじめとした各種競技のスポーツ中継を実現。パラリンピックは2008年北京、12年ロンドンの2大会の放送を担当。生中継を中心に全競技を中継するソチパラリンピックでは宣伝・プロモーションの統括として現在オンエア中のテレビCMなどを手掛ける。
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