清武弘嗣、葛藤と戦ったドイツでの1年=痛感した力の差をさらなる成長の糧に

山口裕平

日本人の存在感を高める

チームの主軸を担った清武。ドイツ移籍初年度は葛藤と戦った1年でもあった 【Bongarts/Getty Images】

 スタジアムを後にしようとすると、日本人に気付いたオジさんから声を掛けられた。「今日は良かったよ、ありがとな! また今度も頼むよ!」。顔を赤らめたオジさんが日本人に対して上機嫌だったのはビールを飲んでいたからだけではない。この日、微笑みの国からやってきた「フットボールの芸術家」は、強豪シャルケ04を相手にニュルンベルクの2つのゴールを演出し、彼の愛するクラブを勝利に導いた。

 清武弘嗣は、人口50万人のニュルンベルクの街において、0.1パーセントにも満たない日本人の存在感を高めた。移籍1年目でリーグ戦31試合に出場し、4得点10アシストを記録。得点とアシストを合わせたスコアポイント14はリーグ23位タイで、この数字はチームで断トツだ。清武が得点に絡めなかった試合の勝率は31パーセントにとどまるのに対し、得点に関与した13試合の勝率は70パーセントまで上がるというデータからも、チームにおける存在感の大きさがうかがえる。

 ブンデスリーガ第26節で、ニュルンベルクは本拠地でシャルケを3−0で破るサプライズを起こしたが、この試合は今季のニュルンベルク「らしさ」が良い形で表れた試合だったと言える。相手に6割以上のボール支配を許しながらも、何度も迎えたピンチを耐えしのぎ、ボールを奪ってから素早く攻撃を仕掛けて得点を奪った。

 今季のニュルンベルクは多くの試合でボール支配率が50パーセントを下回っているが、そのときの勝率が66.7パーセントであるのに対し、支配率で上回った試合での勝率は14.3パーセントにまで落ちる。今季のニュルンベルクはカウンターを得意とするチームであり、ボールをつないで試合を支配することができず、勝利した試合でも劣勢に回ることが多かった。

過大評価することなく、現状を見つめてきた

 移籍1年目からチームの中心を担った清武は、なかなかパスがつながらないチームの戦い方に、葛藤を抱えながらプレーすることになった。ボールが自分まで届かず歯がゆい思いをすることもあったが、そんな中でも常にチームの現状と向き合ってきた。0−3で完敗した第19節のドルトムント戦後にはこう述べている。

「ボールが入った時はチャンスができていたと思いますけど、なかなかボールが入ってこなかった。難しい試合でしたけど、ニュルンベルクというチームはこれが現状ですし、ドルトムントが強かった。また切り替えてしっかりやっていきたい」

 そして現状と向き合う姿勢は、チームが好調になっても変わらなかった。チームの無敗が続いていようと「引き分けが多いので、勝てていないのが現状」と浮かれることもなく、勝利した試合でも反省の言葉を口にした。確かに、劣勢に立たされながら少ないチャンスで得点を奪い、勝ち点を拾っていくという状況は変わっていなかった。そのため清武は、第28節でマインツ相手に苦しみながら勝利し、無敗を9に伸ばしてもチームへの危機感を募らせた。

 その後、清武の危機感は現実となった。すでにリーグ優勝を決めてメンバーを落としてきたバイエルンに0−4で大敗すると、最下位に沈むグロイター・フルトとのダービーにも敗れ、結果的に4連敗を喫した。残留争いを繰り広げるホッフェンハイムの勢いにのまれた時(1−2/第31節)には、「こっちはみんなビビりながらプレーして」いた、とチームの状態を認めざるを得なかった。

「ボールを受けたがらないっていうのが一番だったと思うし、それがこの前の試合は目立っていた。勝っていたころにもだいぶ問題はあったし、負けて気付くというのでは遅い」

 苦しい展開でも勝ち点を奪えるのはニュルンベルクの強さであり、それが9試合負けなしという結果を生んだ。清武自身も守ってカウンターというのがこのチームの戦い方だと理解していた。だが、ボールを支配できず劣勢を強いられる試合内容に満足はしていなかった。だからこそ、清武はチームを過大評価することなく、何をしなければならないかを考え続けてきた。

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著者プロフィール

茨城県つくば市生まれ。サッカー好きが高じ、いつの間にかドイツへやってきてしまったフットボールフリーク。06年に英国を訪れた際、平日の昼間から酒を飲んでフットボール談義に興じるファンに魅せられ、以来ファン文化に興味を抱く。ドイツでは観客動員数世界一の謎を解き明かすべく、日々取材活動に勤しんでいる。

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