私のミッション・ビジョン・バリュー2024年第13回 新井晴樹選手「新井 晴樹の価値を上げる」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

2024年も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2024年第13回は新井晴樹選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.MVV作成のために面談を行ったと思いますが、いつ頃から、どのぐらい行いましたか?
「はじめたのは1月ですね。加入してすぐです。そこから2週間に1回ぐらい定期的に行い、7月からは1カ月1回ぐらいのペースに落としました。合計で7~8回行って、言葉を決めました」

Q.今まで第三者に内面や過去を語ったことはありましたか?
「ないですね。個人として、自分の考えや思いを言葉にすることによって、今シーズンの目標や目的が明確になりました。毎日毎日、それを頭に入れて取り組むことができたことが良かったと思っています」

Q.目標や目的を見失ってしまうようなこともある?
「ありますね。今シーズンにおいては、チーム始動直後にけがをしてしまって、なかなか試合に出られなくて苦しい時期を過ごしたんですけど、面談を通して『なぜ水戸に来たのか』という理由を忘れることなく取り組むことができたからこそ、今があると感じています」

Q.完成したMVVを見ての感想は?
「俺らしいなという感じですね。今まで考えてきたことや思っていたことが文字になって、さらに明確になったという印象です」

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Q.まず、ミッションについて聞かせてください。「チームの勝利のためのアグレッシブなプレー」「自分の思いを発信してたくさんの人の心を動かす」。こちらはどんな思いが込められていますか?
「自分のためでなく、チームのことを第一に考えてプレーすることを意識しているので、この言葉を選びました。2つ目に関しては、今まで在籍したチームでは若手という立場でしたけど、水戸では中堅、もしくは中堅以上の立場になりました。だからこそ、年下の選手にどれだけ大きな存在であるかが大事だと思っていました。セレッソ大阪に在籍していた時は清武弘嗣選手や香川真司選手といった日本を代表する選手と一緒にプレーしました。そういう選手のサッカーに対する気持ちや姿勢が他の選手と全然違いました。僕は代表歴もないし、そんなにすごい選手ではありません。それでも、そういう存在になりたいと思い、そのために自分が経験してきたことを発信していこうと思って、この言葉にしました」

Q.今までと異なる立場でプレーして感じたことは?
「試合に多く出ている分、影響力を持っていたと感じています。だからこそ、普段からサッカー選手として良くない発言や行動はできないという自覚も芽生えました」

Q.「勝利のためのアグレッシブなプレー」を見せ続けてくれましたね。
「そこは意識しました。自分はアグレッシブさが持ち味ですし、自分のスタイルは分かりやすいので、目に見える形で体現できたと思っています」

Q.爆発的なスピードを生かしたプレーで存在感を発揮してきましたが、第32節岡山戦ではルカオ選手とフィジカル勝負で相手を吹き飛ばして、スタンドを沸かせましたね。
「ルカオ選手はフィジカルが強いので、チーム全体的にあまりフィジカルコンタクトをしていなかったんです。ぶつかるよりも遅らせる対応が多かった。でも、それではダメだと思ったので、一発ガツンと行こうと思ったんです。吹っ飛ばされてもいいという覚悟でコンタクトしに行きました」

Q.「自分の思いを発信」というのはチーム内に対してでしょうか? チーム外に対してでしょうか?
「どちらもですね。メディアに対してもそうですし、SNSなどでも積極的に発信しようと思っていました。水戸は地域密着型のクラブ。地域の方々に応援されて成り立っているクラブなんです。応援してもらえることが当たり前じゃないんですよ。自分が水戸市民だったら、ホーリーホックの魅力が伝わらなかったら応援に行かないと思うんですよ。だからこそ、ホーリーホックの魅力や素晴らしさを発信していきたいと思いをこの言葉に込めました」

Q.練習後のファンサービスはまさに「神対応」ですよね。毎日、1人1人と時間をかけて接していますね。
「大卒1年目から、そういう対応を心がけていました。C大阪に移籍した時から、いわゆる個サポというか、僕のことを応援してくれる人がいるんです。逆の立場で考えると、あまり試合にも出ていない選手をこれだけ熱く応援してくれることに驚いたというか、本当にありがたいなと思ったんです。そういう方々に心を突き動かされて、1人1人としっかり接しようと思うようになりました」

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Q.次はビジョンについて聞かせてください。「大きな夢に向かってポジティブ(向上心)な影響を与える」。こちらはいかがでしょうか?
「サッカー選手として一番の夢は日本代表に入って活躍すること。それは誰もが簡単に叶えられることではありません。でも、昨季チームメイトだった毎熊晟矢選手は大卒でJ2のV・ファーレン長崎でプレーして、C大阪に移籍してきました。最初は試合に出られず、一緒にベンチ外で練習を行っていたんです。でも、試合に出始めて、どんどん価値を高めて、日本代表に選ばれた。そして、気づけば、海外に移籍していました。目の前で成り上がっていく選手を見たことが自分にとって大きな刺激になりました。自分もJFLからJ1のC大阪にした経験があります。サッカーでは何が起こるか分からないんです。現在、26歳ですし、1年1年無駄にはできない。大きな夢はネガティブになったら、絶対に叶わない。常にポジティブな気持ちを持って取り組んでいます」

Q.ここまでの歩みが証明していますよね。大学時代もあまりトップチームに出られなかったけど、プロになることを諦めず、JFLチームに加入して、J1まで成り上がってきたわけですからね。
「その経験が大きいですね。諦めなかったのも、自信と夢があったから。今季も始動直後にけがをして出遅れてしまい、シーズン序盤は試合に出ても思うようなプレーができませんでした。でも、ここで腐ったら『J2で通用しない選手』で終わってしまうと思ったんです。自分のスピードやドリブルはJ1でも通用していたので、自信を落とすことはありませんでした。今季はカテゴリーを下げることに対して悔しい気持ちもありましたけど、水戸で活躍することによって、もっと高い場所に行くきっかけをつかもうと思って、移籍を決断しました。その思いを持ち続けたから、シーズン序盤の苦しい時期を乗り越えることができたと思っています」

Q.「影響を与える」ことに対して、声がけや練習の姿勢などで示していたと思うのですが。
「このチームは高卒や大卒の選手が多い。自分はC大阪に移籍した時、大久保嘉人選手と一緒にプレーして、『ミスしてもいいから、積極的にプレーしろ』と常に言われていました。だからこそ、水戸では自分が上の立場になったので、若い選手に対してそう伝えるようにしていました。積極的なプレーでのミスに対して文句を言ったことはないですし、逆に弱気なプレーでのミスに対しては厳しく指摘するようにしていました」

Q.若い選手に伝えたいことが多かったのでは?
「たとえば、尾野優日は俺の中で一番期待している選手なんです。めちゃくちゃポテンシャルが高いけど、なかなか試合に出ることができない状況が続いている。ああいうドリブラータイプの選手はハマると爆発すると思うんですよ。だから、俺は常に『先を見て、積極的にプレーし続けろ』と伝えています。若い選手はみんな向上心を持っている。そういう選手に対して、今まで自分が経験したことや先輩から教わったことを還元できるように接してきたつもりです」

Q.シーズンは残りわずかとなりましたが、今季「夢」に近づけた実感はありますか?
「シーズン通して、試合に出る経験はJリーグでははじめて。まだまだ課題は多いですけど、そこはポジティブに捉えていいと思っています。自分のサッカー人生において、ターニングポイントとなる1年になることは間違いないと思っています」

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Q.次はバリューについて聞かせてください。4つありますね。1つ目は「チームの中心となって言動と行動の質をあげる」です。こちらはいかがでしょうか?
「先ほど話したことと似ているのですが、若手ではないので、言動や行動を気を付けないといけない。文句や不満を口にしている選手は下の選手から信用されない。そうならないためにも、試合に出て、チームの中心になって、言動や行動の質を意識して過ごしていました」

Q.「言動や行動の質」について、具体的にどういったことを意識しましたか?
「アグレッシブにプレーすることですね。自分がまだまだ弱いから、うまくいかなくてふてくされてしまうこともありました。家に帰ってから、今日の練習を振り返って、『あそこは良くなかったな』と反省したことが何回かあります。こういう言葉にすることによって、自分を変えたいと思ったんです。その結果、だいぶ意識できるようになったと実感しています。そこは良かったと思えています」

Q.「言動」について、0対3で敗戦した鹿児島戦後のロッカールームでチームメイトに厳しい言葉を投げかけていたこと姿が印象的でした。
「残留圏から抜け出そうとする相手の気迫に押されてコテンパンにされて、1点も取れなかった。雰囲気も緩かったところがありました。あの時、俺たちもまだ残留争いをしていたし、あのままでは選手としても、個人としても、価値を落としてしまいそうだと感じたんです。だから、あそこで一言だけ強く言わせてもらいました。裏で言うのは嫌だったので、みんなの前で言うようにしました」

Q.2つ目は「小さいことでも嫌なことでも進んで行動する(無意識でできるように)」。こちらはいかがでしょうか?
「身近にゴミが落ちていたら拾うようにしていますし、人が好んでやらないようなことを無意識で行動できるようになりたいと思い、そのスタート地点として考えた言葉です。ゴミ拾いなんて人間として当たり前のことだと思うんですけど、街を歩いていてもできていない人が多いんですよね。そういったことを意識しながら行動し続けて、無意識でできるようになりたいと思ってこの言葉を選びました。人間として成長することによって、選手としての価値が高まると思ったこともこの言葉を選んだ理由です」

Q.3つ目は「プレーや練習の1つ1つを100%以上でやり切る、他のメンバーにも共有する」。こちらはいかがでしょうか?
「球際やプレスバックとか、逆サイドから攻められた時も戻るとか、そういう小さいことの積み重ねがサッカーにおいては大事なんです。逆もそうですね。攻撃ではゴール前に走り込むことが大事になる。そういうところでチームに貢献したいと思い、そのためにも100%のプレーではなく、100%以上のプレーを見せないといけないですし、自分が思っている限界値よりも高いレベルでやり切ることを大切にしようと思って選んだ言葉です。でも、1人だけではチームは強くならない。周りの選手やスタッフに共有していきたいと思い、『他のメンバーにも共有する』という言葉も入れました」

Q.毎試合、かなりスプリントを繰り返していますが、シーズン序盤と比べて、数字は上がっていますか?
「ポジションによって変わりますし、試合内容によっても数字は変わります。ただ、一つ感じているのは(体力的に)きつくなくなりました。ウイングバックでプレーするようになって、最初はすごくきつかった。今もきついですけど、楽しみながらプレーできています。気づいたらスプリントしているという体になってきています」

Q.フル出場も増えましたからね。
「正直、きつくて『いつ交代かな』と考える時期もありました。でも、最近は『フル出場させてくれ』と思うようになりました。やっぱり、そういう気持ちはプレーにも出るんですよね。そこは自分の進化だと思っています」

Q.「他のメンバーにも共有する」で意識していることはありますか?
「同年代の98年組の選手やアツ君(黒川選手)、(草野)侑己選手と一緒にいる時間が長いので、まずはその選手たちと話をして、良かった点と悪かった点を整理して、チーム内で発信するようにしています。その回数はだいぶ増えましたね」

Q.その結果、チームは好転していきましたね。新井選手にとって大きな成功体験になったのでは?
「監督交代がありましたけど、低迷した責任は監督だけではありません。濱崎前監督時代の良かった点を引き継いで、その上で悪かった点を監督・スタッフだけでなく、選手も含めて、全員で共有して改善できたから、チームを立て直すことができたと思っています」

Q.4つ目は「チームの雰囲気や課題を改善するための発信やフィードバックをする」。今まで話してきた内容をまとめた言葉ですね。いかがでしょうか?
「チームの雰囲気は負け続けていたら下がっていくし、勝ったら上がる。今季の水戸はあまり勝ち慣れていなかったこともあり、連勝すると浮つくような雰囲気がありました。そういう時こそ油断や隙をなくそうということを選手同士で話をしましたし、いい時も悪い時もチーム全体で試合の映像を見ながら、フィードバックして、次に向けてどうしていくかといったことを話すことができていました」

Q.チームとして浮き沈みがあった中、苦境を乗り越えた経験は新井選手にとってすごく大きいのでは?
「難しいシーズンでしたけど、そういう経験ができたことは本当に良かったと思っています。これからどんなサッカー人生を歩んでいくか分かりませんが、チームを引っ張る立場としてやるべきことをいろんな角度から学べた経験はこれから活きると思います」

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Q.最後にスローガンについて聞かせてください。「新井 晴樹の価値を上げる」。こちらはいかがでしょうか?
「サッカー選手としてもそうですし、人間としても、26歳は決して若くない。大卒4年目ということは、社会人4年目。人生においてすごく大事な時期だと思うんです。キャリア形成において、ここから上がっていくか、下がっていくか。この1~2年で決まると思ったので、この言葉にしました」

Q.かなりの覚悟を持って水戸に移籍してきたのですね。
「カテゴリーを下げることや若い選手が多いチームに移籍することに対して、いろいろ考えることはありました。でも、自分の価値を上げるために水戸に来ましたし、同時に水戸ホーリーホックの価値も上げたいという思いもあって、この言葉にしました」

Q.特長は爆発的なスピードに乗ったドリブル突破だと思うのですが、それだけではなく、守備でもチームに貢献していたと思います。1対1の対応だけでなく、空中戦でも強さを見せていました。ウイングバックとしてプレーしたことにより、守備の意識や守備力が上がった手ごたえもあるのでは?
「C大阪時代、サイドMFとして守備ができなくて、なかなか出場機会を得ることができませんでした。守備が課題であることは自分でも分かっていました。水戸に来てから、守備についてすごく細かく言われるようになったんです。最初はすごくストレスだったんですよ。自分は攻撃の選手なので、もっと攻撃に力を入れたいと思っていました。でも、それでは選手としての価値は上がらない。現代サッカーでは守備は重要視されるので、自分の中でかなり意識を変えました。また、ウイングバックでプレーするようになって、1対1の局面が増えました。元から自信はあったんですけど、実際、ほとんど負けることはなかった。そこは自信になりました」

Q.水戸で守備に対して教わった感じなのでしょうか?
「そうですね。本当に森さんをはじめ、スタッフのみなさんに教えてもらいました。スタメンを外された時期もありましたけど、腐らずやり続けられたのも、熱心に指導してくれた西村卓朗GMを含めた水戸のスタッフのみなさんのおかげです」

Q.新たな『新井晴樹』が誕生した感じでしょうか?
「水戸が作ってくれました」

Q.リーグ戦残り2試合となりました。意気込みを聞かせてください。
「この2試合でチームとしても、個人としても、価値が大きく変わる。上に行くか、下に落ちるかは自分次第。残り2試合ですけど、気を引き締めてプレーしたいと思います。そして、ファン・サポーターのみなさんに『今年新井晴樹がいてくれてよかった』と思ってもらえるように、最後まで必死にプレーしたいと思います」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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