私のミッション・ビジョン・バリュー2024年第8回 山﨑希一選手「ボチボチがんばる」
【ⒸMITOHOLLYHOCK】
多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。
その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。
ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針
原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。
2024年も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2024年第8回は山﨑希一選手です。
(取材・構成 佐藤拓也)
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「大卒選手は昨年から面談を行って、昨年12月には完成していました。プロになる前に自分の中の考えを整理した感じでしたね」
Q.今まで自分の過去や内面を第三者に話す機会はありましたか?
「なかったです。自分のことを振り返ることもありませんでしたし、就職活動もしていなかったので、自己分析もしてませんでした。自分を振り返るいい機会になったと思います」
Q.自分に対して、何か気づいたことはありましたか?
「自分のことを深く掘り下げることが今までなかったんです。だから、『自分はこんなだったな』とか、『こういう思いでサッカーをしていたな』という原点に立ち返ることはできたと思っています」
Q.MVVは自分らしい言葉になりましたか?
「特にスローガンは自分らしい言葉だと思います」
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「多くの人に対してというよりは、自分の近い人たちに頑張る姿や活躍する姿を見せて、『自分も頑張ろう』と思ってもらえるような活力を与えたいという思いを込めて、この言葉を選びました」
Q.「自分の近い人たち」とは、具体的にどういった方々でしょうか?
「友人、家族、チームメイトですね。どちらかいうと、友人や家族の方が強いですかね」
Q.家族の支えは大きかった?
「そんなに裕福な家庭ではなかったんですけど、ずっと不自由なくサッカーをやらせてもらいましたし、高校からは親元を離れて生活させてもらいました。だからこそ、プロになって活躍して恩返ししたいという思いが強いです」
Q.サッカー選手になりたいと思ったのはいつ頃でしょうか?
「自分はサッカーをはじめたのが小学校4年生だったんです。他の選手と比べて、結構遅いんですよ。はじめた時には『プロサッカー選手になりたい』と思ってはいました。本気でなりたいと思っていたというより、とにかくそう言っていました。小学生の時、将来の夢については常に『プロサッカー選手』と書いていました」
Q.サッカーをはじめる前に何かスポーツはやっていたのでしょうか?
「やっていなかったです。珍しいパターンなんですけど、弟が先にサッカーをはじめたんです。すごく楽しそうにしている弟のことが気になって、自分もやってみたくなって、サッカーをはじめることにしました。実際にやりだすと、すごく楽しくて夢中になってしまいました」
Q.親のサポートも大きかった?
「毎日送迎をしてくれましたし、試合の時にはお弁当を作ってくれましたし、土日はつきっきりで、自分たちに時間を費やしてくれました。今振り返ってみると、本当に親の支えがあって、今があるんだなと感じますね」
Q.「友人」は学生時代の友人でしょうか?
「そうですね。そんなに交友関係が広いタイプではないんですけど、本当に仲のいい友人もいるので、そういう人たちに自分が活躍する姿を見せて、『俺も頑張ろう』と思ってもらいたいと思っています」
Q.山﨑選手にとって、「友人」はどのような存在ですか?
「刺激を与える関係というより、一緒にいて楽しめる関係です。その人たちに『アイツも頑張っているなら、俺も頑張ろう』と思ってもらいたいですね」
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「ミッションに付随していて、活力や希望を持つ人が増えてほしいと思って、この言葉にしました」
Q.山﨑選手はどういったことから「活力」や「希望」を得ていますか?
「目標に向かう熱量で活力が生まれます。僕の名前の『希一』には『希望』の『希』の文字が入っています。親が『希望を持てる人になってほしい』と思いを込めて付けてくれたそうです。だから、『希望』という言葉が好きなんです。常に希望を持つようにしていますし、人にも与えられる人間になりたいと思っています」
Q.山﨑選手が見ている人に『活力』や『希望』を与えるために、どういったプレーが必要だと思いますか?
「すごいプレーも大事かもしれませんけど、それよりも、ビビらずに自信を持ってプレーすることを大切にしています。その上でいいプレーができたら、喜んでもらえると思っています。やっぱり、弱気な姿を見たい人はいない。だからこそ、強気で、アグレッシブにプレーすることを意識しています」
Q.プロになって多くの人に見られるようになって、プレーに対しての反応が大きくなったと思います。山﨑選手自身、プロになってどのような変化を感じていますか?
「学生時代、応援してくれていたのは友人や家族だけでした。でも、プロになってからは、まったく知らない人たちから応援されるようになりました。だからこそ、今までとは違う覚悟が必要だと思っていて、プレーの変化で言うと、大学時代は頑張って守備をするタイプではなかったんですけど、そこはしっかりやらないといけないと強く感じています。そこが一番の変化ですね。責任感が強くなりました」
Q.観客が湧くと、より力になるのでは?
「確かに自分のプレーでスタンドが盛り上がると力になります」
Q.活力や希望を与えることが山﨑選手の『活力』や『希望』になっているのでは?
「正直、まだそこまで与えられた実感がないんです。今はそうなりたいという思いで頑張っています。それが自分にとっての大きなモチベーションになっていることは間違いありません」
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「試合に出られていない時は苦しいというか、全然楽しくないんですけど、その時でもポジティブに過ごすことが大切だと思っています。そこは自分の課題でもあるのですが、克服したいと思って、この言葉を選びました」
Q.メンタルの浮き沈みが激しいタイプですか?
「表に出さないようにしているつもりです。機嫌が悪くなることはないですけど、ちょっと落ちてしまうことはあります」
Q.山﨑選手はどういう時が楽しいですか?
「うまくサッカーできている時というか、楽しめている時にうまくサッカーができている。だから、楽しむことができれば、うまくいく。楽しいって、ふざけるようなイメージを持たれるかもしれませんが、そういう意味ではなく、必死にプレーしながら、満足感を得られている時が一番楽しい」
Q.この言葉はバリューでもあり、「楽しく生きる」ためにもいいプレーをしようという自身の使命でもあるわけですね。
「そうです。サッカーでいいプレーをすることが自分の幸せですし、それが楽しく生きることにつながる。そのために自分にできることをしっかりやっていこうという思いを込めました」
Q.2つ目は「仲間を大切に」です。
「友人への思いですね。自分の近しい人を大事にしたいと思って、この言葉を選びました。近い人はどんな時でも味方でいてくれる。だから、すごく自分にとって大きな存在。そして、友人にとって、自分もそういう存在でありたいと思っています」
Q.水戸では中島大嘉選手と仲がいいみたいですね。
「そうなんですよ。この間、一緒に鹿島神宮に行きました。食事もよく行きます。仲良くさせてもらっています」
Q.波長が合うんですか?
「合うと思います?」
Q.いや、正反対な性格のような気がします。
「そうですよね。でも、それが心地いいというか、一緒にいて全然疲れない。大嘉の話を聞いていることが多いですかね。でも、アイツは意外と読書が好きですし、知識量が豊富なんですよ。だから、話を聞くのが面白いし、好きなんです」
Q.3つ目は「気張り過ぎない」です。
「自分の経験上、頑張りすぎるというか、気持ちが入りすぎると硬くなってしまって、いいプレーができないことが多いんです。スローガンにもつながるんですが、ある時、母親から『ボチボチ頑張りな』という声をかけてもらったことが自分にとってすごく大きくて、その言葉を意識してから、プレーが良くなったんです。それ以降、『気張り過ぎない』ことを意識するようになりました」
Q.母親からその言葉をかけてもらった時はいつ頃ですか?
「大学4年生の時ですね。プロになりたい思いがありながらも、なかなかうまくいかない時期がありました。その時に言葉をかけてもらって、肩の力が抜けたんです。もちろん、頑張りますよ。でも、気張り過ぎずにプレーしたことによって、どんどんプレーが良くなっていって、水戸からオファーが届きました」
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「前述の自分の経験から来た言葉ですね。でも、覚悟がないわけではありませんし、もちろん、必死にプレーをしますよ。そういった意味ではなく、覚悟を持ちながらも、気張り過ぎず、肩の力を抜いてプレーしようという思いの言葉です」
Q.大学時代は1年生の時からトップチームの試合に絡んでいました。でも、4年生でも先発から外れる試合が続いていました。その状況が苦しかった?
「プレー的にうまくいっていない時期もありましたし、けがをして出場時間が制限されていた時期もありました。また、スーパーサブ的に自分を起用したいという監督の狙いもあったんです。でも、リーグ前半戦はシンプルに先発から外れる状況が続いていました」
Q.お母さんから言葉をかけられたのは、その頃でしょうか?
「けがもあってコンディションを落としてしまい、その中でプロに行くためには結果を残さないといけないという気持ちが強くなりすぎて、空回りしてしまいました。その時に母親から言葉をかけてもらい、自分の置かれた状況を受け入れて、途中出場でもいつも通りプレーすることを心がけるようになってから、いいプレーができるようになり、夏ぐらいからは監督もスーパーサブとして期待して起用してくれるようになりました」
Q.リーグ後半戦は流れを変える役割を果たしていましたね。
「その時は自分に自信を持ってプレーできていました。肩の力を抜いたことによって、いいプレーができていたと思っています」
Q.『結果を出さなきゃ』『いいプレーをしなきゃ』という思いが悪循環を生んでいたんでしょうね。自分らしくプレーするマインドを取り戻した感じなのでは?
「まさにその通りです。同じ途中出場でも、リーグ前半戦と後半戦では全然違うイメージを持ってプレーできるようになっていました」
Q.先日、Xで「もっと試合に出たい 結果を出したい 貢献したい」と投稿していました。普段寡黙な山﨑選手が率直な思いを発信することに驚かされました。どんな心境で投稿したのでしょうか?
「シーズン前半戦はなかなか試合に出られなかったんですけど、投稿した時期は試合にちょくちょく出られるようになっていたんです。試合にちょっと出られたがゆえに『もっと出たい』という思いが強くなって、その投稿をしました」
Q.欲が強くなったんですね。『ボチボチがんばる』中でも、そういったギラギラした思いを秘めているわけですね。
「そうです。そこはまた違うというか、ギラギラした思いは常に持っていないといけない。その中で『ボチボチがんばる』ことが大事なんです。『試合に出たい』思いが強すぎて、出られなくてメンタルを崩してしまうのではなく、出られなくてもメンタルを落とさないことが必要。その余白を残すことが『ボチボチ頑張る』という考えなのかなと思っています」
Q.ルーキーイヤーも最終盤を迎えています。これまでのシーズンを振り返ってみて、いかがでしょうか?
「元々のポジションと違うポジションで起用されることが多いんですけど、J2のレベルである程度できるという手ごたえをつかむことはできています。でも、プレー時間に全然満足していないですし、自分の中で足りない部分が多い。もっとできることを増やしていかないといけないと思っています」
Q.ボランチにコンバートされたことは想定外でしたか?
「最初は想定外でした。今までずっとウイングやサイドMF、トップ下でプレーしてきましたし、水戸にもトップ下として入ってきました。ボランチになるとは思っていませんでした」
Q.ボランチの楽しさを感じている?
「ボールをたくさん触れるので楽しいです。セカンドボールの回収やボールを奪うところの楽しさも持ちながらプレーできています。今はサイドMFよりも、ボランチの方に自分の可能性を感じることができています。新境地を見出してもらったことに感謝しています」
Q.残り4試合に向けての意気込みをお願いします。
「もっと試合に絡んでいきたい。結果を出したいですし、チームの勝利に貢献できるように頑張ります」
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