【水戸】私のミッション・ビジョン・バリュー2021年第9回 渡邉柊斗選手「1分1秒で運命が変わる」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【©MITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」
を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

今季も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2021年第9回は渡邉柊斗選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.MVV作成するために定期的に面談を行ったと思います。自分の過去を振り返って話をする経験はいかがでしたか?
「そういう経験はありませんでした。今までのサッカー人生だけでなく、生きてきた24年間を見直すきっかけになりました。考えていることを言葉にすることによって、たくさんのことを思い出すことができました。得るものは大きかったと思います」

Q.記憶を掘り起こして話をすることによって、新たな自分を見つけることができましたか?
「忘れてしまっていることもたくさんあるんですよね。そうした記憶を掘り起こす時に気づいたのですが、その時に感じていたことと思い出して感じることは違うんです。そうした経験を今後につなげていきたいと思うようになったので、自分にとってこの面談は必要だったと感じています」

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Q.それでは、MISSIONについて説明してください。「人が苦しんでいる時、助けが必要な時、手を差し伸べられる人間になる」という言葉を選んだ理由は?
「今までの人生を振り返った時、一番に出てくるのはけがで苦しんだこの2年間です。手術を受けたり、入院したりといった時間がありました。その時に親や友人が僕のことを心配して励ましてくれたんです。サッカー以外の部分で人として支えられたと感じることができました。そういう経験をした分、自分も誰かを支えられる人間になりたいと思うようになりました。そういう思いでこの言葉を選びました」

Q.いつどのようなけがをしたのでしょうか?
「大学3年から4年に上がる時に名古屋のキャンプに参加したのですが、初日で左膝前十字靱帯断裂のけがをしてしまいました。それから何回か復帰を試みたことはあったのですが、また痛めて離脱するということを繰り返しました。なので、2回目の手術も行いました。トータルで言うと、復帰まで2年かかりました」

Q.2年間の中で最もつらかったのはどういう時だったでしょうか?
「やっぱり、一番きつかったのはけがをした時。元々そんなにけがをしないタイプで、むしろけがをしないことが自分のよさでもあったと思っていました。名古屋から内定をもらった後に参加したキャンプでしたし、自分のサッカー人生においてすごく大切なキャンプだと思って臨んだ矢先にけがをしてしまいました。それまで大きなけがを経験したことがなかった分、どうやって乗り越えていくのかという不安がありました。あと、単純にサッカーができなくなってしまうことがきつかったですね」

Q.その時にいろんな人に支えられたからこそ、今もサッカーを続けることができているのですね。
「家族や友人からどれだけ自分が大切にされているのか再確認できたので、今思えば、あのけがは決してネガティブなことだけではなかったと思うことができます。捉え方によっては、生きていく上でいい経験ができたと言うこともできると思っています」

Q.だからこそ、今季Jリーグのピッチに立った時にはこみあげてくるものがあったのでは?
「ここまで来るのは長かったですからね。自分自身はあまり意識せずにプレーしようと思っていたので、すんなり試合に入れましたが、それこそ家族は本当に喜んでくれていました。一番喜んでくれたのは家族だと思います」

Q.けがをする前と今とで変化を感じますか?
「けがをする前の方がよかったと思うことはよくあります。こればかりは今後も拭えないかもしれません。正直、2年って短い時間ではないので。戻すも何も、忘れてしまっていることも多い。それを思い起こすきっかけをつかめないままサッカー人生が終わってしまうかもしれません。でも、今だからこそ、できることもあると思っています。なので、そこを突き詰めていきたいと思っています」

Q.けがで苦しんでいる時に支えられたことによって、周りに対しての接し方も変わりましたか?
「それはあります。言い方は悪いかもしれませんが、それまでは自分本位でサッカーをやってきたところがありました。誰かが苦しんでいる時、今ならば自分の経験の話もできると思うんですよ。苦しい経験をしてきただけに手を差し伸べやすいと思いますし、相手も耳を傾けてくれると思います。なので、自分の経験を伝えていきたいと思っています」

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Q.VISIONは「一人一人の行動、言動に対してリスペクトし合える世の中にしたい」。どういう思いでしょうか?
「自分は頑固で意志が強いんです。自分がいいと思ったら、自分が正しいと思って生きてきました。学生時代にコーチからアドバイスをもらっても『俺はこう思う』と自分の考えを貫いて、成功させてプロの世界までたどり着くことができました。でも、プロの世界に入って、気付いたことは自分の思うようにいかないことがたくさんあるし、逆に人の言うことを聞き入れて表現しないと生き残っていけない世界だということ。名古屋時代、レベルの高い選手がチームに合わせてプレーしているところを見てきました。まだ何もプロの世界で実績を残していない自分が自分の考えだけでやっていいのかと感じました。そういうことも含めて、人の意見をリスペクトして聞き入れて実行することの大切さを知ることができました。水戸に来てからも、なかなか最初はできないところがありました。そこでちょっと難しさを感じました。受け入れることを重要視してから、チームのやり方やコンセプトを理解することができるようになり、パフォーマンスがよくなって、チーム内の立ち位置も変わっていきました。それで今は試合に出場することができるようになりました。なので、人の意見を聞き入れることはすごく大事だと思って、この言葉を選びました」

Q.水戸ではどういったことを受け入れるのが大変でしたか?
「水戸は守備から入ってカウンターを狙うスタイル。自分はボールを大切にするサッカーをずっとしてきましたし、たくさんボールを触るタイプなので、フィットするのが難しかったですね。攻撃の選手はカウンターの時にスペースに出ていかないといけない。そういうことも今までやってきてなかったので、慣れるのに時間がかかりました」

Q.でも、今はだいぶフィットして、水戸のスタイルの中で渡邉選手のよさを出せるようになりましたね。
「運動量は自分の武器ではあったのですが、スプリントや瞬発的なスピードに関してはウィークポイントでした。なので、ボールを多く触ることによって、そこを隠そうとしてきました。また、今まで自分はボランチでプレーしていたのですが、水戸ではサイドMFとしてプレーするようになりました。そこも自分の中で葛藤がありました。サイドMFとしてのプレーのベースをまず理解しないといけないですし、その上で監督の求めることを体現しないといけなかった。それらを吸収するのに時間がかかってしまいました」

Q.でも、受け入れることによって、新たな可能性が生まれました。なので、これから渡邉選手がこの世界で成功することによって、多くの人が共鳴して、「一人一人の行動、言動に対してリスペクトし合える世の中」に近づいていくのでしょうね。
「本当にそう思います」

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Q.次はVALUEについて聞かせてください。一つ目は「自分と向き合う」。
「小さい時から試合に勝っても、自分のパフォーマンスが悪かったら落ち込んでいました。自分の中で自分の評価をする癖がついてしまっているんです。他人が自分を評価することも大事だと思いますけど、自分で自分を評価したり、自分と向き合ったりすることはすごく大切なことだと思っています。なので、そこだけは曲げないようにしたいと思っています」

Q.その延長線上だと思いますが、二つ目は「自分に対して妥協を許さない」とあります。
「自分の父が結構厳しかったんです。サッカーをやっていて、怒られるのは当たり前。なので、認められた時は本当にうれしかったです。でも、父は自分のパフォーマンスが本当によくないと褒めてくれないんです。その癖がついてしまって、ちょっとでもよくないプレーがあると、自分で『これじゃダメだ』と思ってしまう癖がついてしまって、自分への妥協が許せなくなってしまったんです」

Q.常に父親の基準が頭にあるのですね。
「父が僕に言ってくれたことを忘れないようにしたいと思っています」

Q.3つ目は「心の声をしっかり言語化する」。
「自分が思ったことを言葉で表現しにくいこともあると思うんです。でも、それをどう表現すればいいかを考える事は大事だと思っています。サッカーで自分が『こうしたい』と思ったとしても、それを言葉にできないと相手には伝わらない。そういう意味で言語化する能力を高めることを意識しています。伝えにくいことでも少しでも伝えられるようにするために、言葉にすることは大事だと思っています」

Q.サッカーノートは書いていますか?
「気づいたことを忘れないために書くようにしています。あとで見返した時に、その時と書いた時で感じ方が違うことがある。そこで成長を感じることができるんです。なので、言葉にすることは大事だと思います」

Q.最後は「背中で魅せる」です。
「自分はキャプテン気質ではなくて、学生時代にキャプテンどころか、副キャプテンも務めたことがないんです。それでも、チームの中で存在感を示すために周りの選手に何を見せるかというと、プレーなんですよね。プレーでチームを引っ張るという意味でこの言葉を選びました」

Q.けがで苦しんだ時期を乗り越え、出場機会に恵まれなくても、チームにアジャストするように取り組み、そしてレギュラー争いに食い込むことができるようになりました。これまでの過程での渡邉選手の背中からいろんなことを感じ取っている人も多いと思います。
「それはあるかもしれないですね」

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Q.最後にスローガンについて聞かせてください。「1分1秒で運命が変わる」。この言葉に対する思いを聞かせてください。
「Jエリートリーグ第4節札幌戦でのプレーが評価されて次のリーグ戦でデビューを果たすことができました。プロの世界は本当に1プレーや一瞬で立ち位置が変わるんです。自分がけがした時も一瞬でサッカー人生が大きく変わってしまいました。あの時、けがをしていなかったら、違うサッカー人生を歩んでいたと思います。一瞬一瞬の出来事で自分の人生が変わるということを僕は経験してきているので、一つひとつのプレーや取り組みを大切にしていきたいと思うようになりました」

Q.サッカー界は一つのプレーで評価が大きく変わることがあります。今シーズン、残り試合少なくなりましたが、飛躍するチャンスは十分あると思います。
「本当にその通りだと思います。まったく試合に出ていなかったらチャンスも訪れませんが、ピッチに立つことによっていろんな可能性が出てくる。最近試合に出られるようになって、多くの人に見てもらえていることは今後につながると思っています」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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