全盛期は60年以上前にも関わらず多くの支持を集めた「フォークボールの神様」杉下茂【写真は共同】
ピッチャーの決め球、『伝家の宝刀』といえば、真っ先に浮かぶのがフォークボール。球の軌道がスローモーション映像や科学で解明されていなかった時代は、まさに“消える魔球”だったのだろう。数多ある野球漫画でも、フォークボールはカーブのような放物線でなく、速球が打者の手前で直線のまま、急にストーンッと落ちる軌道で描かれてきた。
そのフォークボールを日本で初めて投げたといわれるのが、6位の杉下茂(元中日ほか)。1950年代を中心に活躍し、監督、コーチを歴任後、93歳だった一昨年の中日キャンプまで臨時投手コーチを務めていた“球界の至宝”である。「元祖」「(フォークの)神様は外せない」(※以下、「カギカッコ」内はユーザーコメント)と、おそらく9割9分杉下の現役時代を見ていないユーザーからも票を得た。揺れながら落ちる杉下のフォークを苦手とした『打撃の神様』川上哲治(巨人)は、“キャッチャーが捕れない球をどうやって打てというんだ”とこぼしたとか。ただし杉下自身は、この“魔球”は中日が優勝するため、目の上の敵・川上を打ち取るためのものであり、ストレートで勝負するのが“本道”であると語っている。
2000年代、セパ両リーグを代表するエースにも、“フォーク使い”がいた。4位の上原浩治(元巨人ほか)は日米通算100勝100セーブ100ホールドの記録を達成した大投手。制球力と奪三振率がピカイチで、ユーザーからも「上原ほど繊細にフォークを操った投手はいない」とのコメントが。7位の斉藤和巳(元福岡ソフトバンク)は活躍の期間こそ4、5年と短かったが、平成唯一の投手五冠(06年)、沢村賞を2回獲得するなど、『負けないエース』の異名をとった。「2種類のフォークが凄かった」「斉藤和巳はえぐい。もっと見たかった」と、ファンの記憶に大きな足跡を残している。
次に、ユーザーたちの目にもいまだ焼き付いているであろう、2010年代のリリーフ陣から2人を紹介しよう。5位・永川勝浩(元広島)は本人も“制球より落差を求めていた”という、“赤いお化けフォーク使い”。「落差が気持ち悪いレベル!」「粗削りだが、落ちる角度がすごかった」とユーザーが語る通り、あれで投球の半分以上がフォークとは、キャッチャーもフォーク酔いしそう!? 8位・浅尾拓也(元中日)は細身の体から放たれる渾身の速球に目が行きがちだが、実は高速フォークも大きな武器。10年に挙げた47ホールドは、いまだNPBのシーズン最多記録である。永川、浅尾とも、それぞれのチームで投手コーチに就任。後進に“魔球”の秘術を伝える。
10位・遠藤一彦(元大洋)には、「ホエールズのファンではないのに、遠藤さんが出るとときめいていた!」とちょっと違った意味でアツいユーザーコメントが届いた。時代をさかのぼり80年代、横浜の前身・大洋のエースとして、またあるときはリリーフとして弱小チームを支えた遠藤。「当時、あんなフォークを投げる人はいなかった」「芸術の域」とユーザーが評する遠藤のフォークはその超自然的落差から、『稲妻フォーク』と呼ばれた。
杉下(左)に教えを受けたこともある藤川。火の玉ストレートに加えて、フォークを武器に活躍【写真は共同】
さて、ここでいったん、『フォークの神様』の話に戻ろう。杉下のもとには、臨時コーチを務めた中日の投手陣以外にも、多くの投手がフォークの教えを請いにやってきた。9位の藤川球児(元阪神ほか)もその一人。“ストレートが満足に放れるようになってから来い”と杉下に言われた藤川は3年後、“放れるようになりましたので、教えてください”と再度頭を下げてきたという。その“神様直伝”フォークは、『火の玉ストレート』との合わせ技で、最強の武器となった。「あのストレートの後に落とされたら、バッターは可哀想」とユーザー。
ところで『神様』は、誰のフォークを「一級品」と認めていたか。さすがスポナビユーザー、お目が高い。実は杉下が認めた3人がそのままズバリ、今回の上位3人なのである。1位が『大魔神』佐々木主浩(元横浜ほか)、2位『トルネード投法』野茂英雄(元近鉄ほか)、3位『マサカリ投法』村田兆治(元ロッテ)。ただし、杉下の表現によれば“(一級品は)佐々木と野茂。それに次ぐのが村田”という。
村田には、現地観戦組からの貴重なコメントが届いた。「川崎球場で実際に見て、驚愕の落ち方をしていた。高めに近いところから、ショートバウンドになりそうなくらいに落ちていた」。ちなみに筆者も西武・大田卓司が村田のフォークに空振り三振したのをベンチ脇から見て、その落ちっぷりに感動した一人である。
独特のフォームと、フォークボールを武器にトルネード旋風を日米で巻き起こした野茂【Getty Images】
2位の野茂はトルネードとフォークで、日本球界だけでなくメジャー・リーグをも席捲した先駆者として、多くのユーザーから賞賛を浴びた。現役当時、対戦したバッターたちも“(フォークが来ると)分かっていても打てない” “ボールが消えた” “一瞬止まってガクンと落ちた”と驚きの表現で語り継ぐ。90年代から00年代、野球ファンに加わった世代と思われるユーザーからは「個人的には、野茂はフォークを広めた人だと思う」と評された。
横浜を38年ぶり日本一に導いた“大魔神”佐々木。相手チームのファンには絶望感を与える存在だった【写真は共同】
1位の佐々木は98年、横浜を38年ぶりの日本一に導いた絶対的守護神だ。当時、巨人監督だった長嶋茂雄が“横浜戦は(9回に佐々木が出てくるから)8回で終わり”と、思わず漏らした。今回の投票でも、横浜以外のファンから「出てきたときの絶望感。打てる気がしない」と悲鳴にも似た、苦い思い出の声があふれた。
それにしても、上位3人のフォークボーラーたち、揃ってオンリーワンの代名詞があるとはさすが球界のレジェンド、というべきか。最近は、これほど個性際立ったニックネームがないのが、少し残念……。
(文:前田恵、企画構成:スリーライト)