辰吉丈一郎が走り続ける理由 「だから僕はチャンピオンになった」
東京国際映画祭 舞台挨拶レポート
【(C)日本映画投資合同会社、撮影:神保達也】
辰吉:僕は俳優でもなんでもないんで、ボクサーなので、ドギマギします。
阪本監督:ボクサーのドキュメンタリーにも関わらず、試合映像はほとんど出てこないのですが、彼の発言の重みを大事にすると、逆にそうした動的なものは必要ないと思って入れませんでした。彼の発言、彼の20年間の顔の変化をこの映画の魅力として観て欲しいです。辰吉君がこの映画を観た直後の感想は「俺が終わってないのに、なんで映画が先に終わるんや」でした(笑)
――映画を撮り続けた20年を振り返ってみて、いかがでしたか?
辰吉:よく撮ったな、と思いましたね。感心します。
阪本監督:95年のラスベガスから撮り始めて、(彼が)引退したら発表しようと。失礼ですけど、その時点では4〜5年後に作品として仕上げようと思っていたのですが、何でか引退されないので(笑)ずーっと撮り続けて、20年という区切りと次男の寿以輝くんがプロデビューするのをひとつのきっかけに、膨大なフィルムを一度まとめようと。辰吉くんからは『ジョーのあさって』はいつ撮るのかと言われています。
【(C)日本映画投資合同会社、撮影:神保達也】
阪本監督:『BOXER JOE』(1995)の撮影より前に、辰吉君とは、彼が19歳でプロデビュー、僕が監督デビューした年が同じなんです。彼と対面すると、すごくクレバーで、科学的に物事をとらえて、知的な例えを交えて話す。彼にとても興味をもって、彼の頭の中をのぞいてみたいと思いました。
辰吉君は、基本的に変わらない。20年の撮影の中で、似た質問をしても、その時までに蓄積された言葉が出てくる面白さがある。そして、一貫したボクシングに対する美学は変わらない。でも、その裏で、彼なりの葛藤があり、嘆きがあるはずで、それはその時にしか撮れないものだと思う。この映画は、ひとりの男の引き際ということで1本にまとめました。引退のことについてしつこく聞いています。リングを降りる時はどういう時なのかを質問したものを中心にまとめています。撮影中は、ドキュメンタリーを作る意識よりは、辰吉君にカメラをあまり意識させないように配慮して、本音を引き出そうとしましたね。
――監督からの質問で嫌なものはありましたか?また、20年でふたりの関係性は変わった?
辰吉:(質問が嫌なことは)別にない。(関係性は)良い関係ですよ。
阪本監督:辰吉君の前では素の自分に戻れる、という気がします。彼には「さかピー」もしくは「ピー」だけで呼ばれる仲ですからね(笑)。
辰吉:僕の父ちゃんかな。父ちゃんと、僕の女房のお父ちゃんに観せてあげたいね。二人の感想を聞きたい。
――最後に一言
辰吉:なにを喋っていいか分かりませんから、とりあえず、ありがとうございました。
阪本監督:ぜひ皆さんも、時々、自分の心境を習字で例えてみてください(笑)。
(※習字の例えは劇中で辰吉氏が語るエピソードの一つです)
(撮影:神保達也)
『ジョーのあした−辰吉丈一郎との20年−』
【(C)日本映画投資合同会社】
企画・監督:阪本順治
出演:辰吉丈一郎
※「吉」の正確な表記は(「土」の下に「口」)
「丈」の正確な表記は右上に点
ナレーション:豊川悦司
製作:日本映画投資合同会社
特別協力:日本映画専門チャンネル
特別協賛:J:COM
写真:(C)日本映画投資合同会社
取材の開始は1995年8月、アメリカ・ラスベガス。辰吉丈一郎25歳の時。JBC(日本ボクシング・コミッション)のルールにより、国内戦が出来ないため、海外にリングを求めた時期がはじまった――そして、次男・辰吉寿以輝がプロテストに合格した2014年11月、44歳の時までの20年間、様々な出来事の中で、辰吉の人間性、ボクシングに対する考え、父と子の絆、家族を愛することの大切さ、親として、そして1人のボクサーとしての心境の変化を、インタビューを中心に追い続けた魂の記録。
【(C)日本映画投資合同会社】
【(C)日本映画投資合同会社】
いまだ引退宣言せず、現役であり続ける辰吉丈一郎の姿、阪本監督との20年に渡る長い付き合いだからこそ語られる真実の言葉。含蓄ある数多の語録は彼が発するからこそより深い。そしてレンズをみつめる顔は、長い時の流れの中で変化し続け、そこから一人の天才ボクサーの姿が炙り出される。