“息子”と初のタッグV「話したら泣いてしまう」 片山晋呉がケガを乗り超え復活優勝【コマツオープン2026】
最終ラウンド
「もう去年は、(ゴルフを)やっていないみたいなものだからね。ほんと(昨年の)6月から試合に出ていないし、1年前なんて階段は絶対に歩けなかったもんな…と思いながら」。そう話す表情は、喜びというよりも安堵を感じさせた。
昨年は開幕戦の「ユニテックスシニアオープン」で優勝するも、5月末の「すまいーだカップ シニアゴルフトーナメント」を終えると6月に腰痛を発症。化膿性椎間板炎と診断され、約2カ月間の入院生活を余儀なくされた。
なんとか11月の国内シニアツアー最終戦「いわさき白露シニア」に出場したものの、最終日のスタート前に痛みが再発して棄権。その後、今年4月のシニア開幕戦で復帰を果たした。「リョーマゴルフ 日高村オープン」では優勝争いを演じて2位に入ったが、優勝を逃した悔しさよりも、「しびれる時間に戻ってこられたことが幸せ」と話していた。
出だしの1番パー5では、2打目をグリーン右のバンカーに入れたものの、約40ヤードから30センチにつけてバーディ発進。3番では7メートルのパッティングを沈めてバーディを奪うと、右手の拳を空に突き上げた。4番でも4メートル、5番では5メートルを沈め、3連続バーディを奪取。単独首位に浮上した。
パーが続いた展開については、「苦しかったけど、(昨年の)病院で寝ていることを考えたら全然楽しいし、こういう時間のために30年もやっているわけだから、むしろ冷静に勝負ができた」と振り返る。ゴルフができなかった辛い時間を経験したからこそ、感じるものがあった。
今年の照準は、前戦の「日本シニアオープン」に合わせていた。しかし、結果は5位タイ。「理想は日本シニアオープンで優勝したくて、今年入ってからずっとやっていたけど、勝つ準備しても勝てなかった。でも、次の試合でこうして勝てたことは、準備していたことの流れでそのままこられた。ゴルフ自体は悪くなかった」と、悔しさをにじませながらも、今大会で準備を重ねてきた日々の成果を発揮した。
片山が入院していたときは、「毎日、病院に来てくれて、夕飯をいつも買ってきてくれた」と、辛い時もともに時間を過ごした。「彼もなんなんだろうなと思った時期もあったと思う。こうして勝てて、本当に1番喜んでもらっているだろうし、僕のことを1番支えてくれている。まずはね、優勝1回目。本当に、一緒に勝ててよかった」。これまでもタッグを組んでいたが、ともに18ホールを戦い、勝利を手にしたのは初めてだった。
ホールアウト後には、グリーン上で抱き合う姿があった。2人の表情には、ともに満面の笑みが浮かんでいた。
「今年も沖縄以外、全部車で行ってくれている。今度は長崎だけど、レンタカーでいいよって言っても、『いや、車で行きます』って言ってくれる。僕の負担もないし、僕は荷物が多いから、そういうことも全部含めると、僕は車で行きますって。そういうことってなかなかできないよ。26歳って青春時代じゃないですか」。ただただ感謝の気持ちが溢れだす。
黒澤氏の存在について聞かれると、「ぼくは親子のように思っている」と表す。「(片山の父は)53歳で亡くなったので、僕が25歳のときに亡くなっている。ちょうど(黒澤氏の年齢と)一緒なんですよ。だから、子どもだと思って接してはいますけど、彼にとったら嫌な時間も当然いっぱいあるし、きついことも当然あるとは思う。でもスポーツ選手ってこういうことで報われることがあるから。そういうのを彼のこれからの人生でいい1ページになったんじゃないかな」。
片山は周囲のサポートにも恵まれている。今週はスポンサー契約を結ぶ地元企業・SANDECの代表取締役社長、五月女久勝さんが毎日、お手製のおにぎりを差し入れてくれた。五月女さんはこの優勝に「本当にうれしいです」と感極まっていた。優勝カップを中央に、片山と記念写真を撮影している姿に胸を打たれる。
例年通りであれば、シーズン終了時の賞金ランキング上位2位までには翌年の海外メジャー「全米プロシニア」、上位4位までには「全米シニアオープン」、さらに賞金ランキング10位までの上位2名には「全英シニアオープン」への出場権が与えられる。すべてのメジャーに出場するには、賞金ランキング2位に入るのが条件となる。世界の舞台に向けて、今大会の優勝を糧に戦い続けたいと前を向く。
その前に、まずは大信頼を置く“息子”と勝利の美酒をじっくり味わいたい。今年のコマツオープンは、片山の復活劇で幕を閉じた。
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