今日の推しメン#010「逆境を乗り越え開花。声に出して行動し、憧れを現実に変えてきた」 岡田一平
退団危機からつかんだ劇的ドラマ、「32歳からが本番」を証明したシーズン
岡田選手は今年3月末に退団を告げられましたが、同じポジションの選手が負傷したため、わずか数日後に白紙撤回。その後は巡ってきたチャンスをつかみ取り、出場した試合で結果を残し、最終的にはシーズン終了までグラウンドに立ち続けたのです。誰もが予想できないジェットコースターのようなシーズンを「面白い」と表現できるのは、強いメンタルがあってこそ。
背中を追い続けた「絶対的な存在」の引退に涙
「僕が中学のときは兄が高校で花園に出場して、僕が高校のときには関東学院大学で活躍。その姿を間近で見ていて、ラグビーでは兄が一番強いと信じていました。家では、僕が小・中学生の頃は完全に主従関係でしたよ。4歳差って力の差があるじゃないですか。果敢に勝負を挑むんですけど、絶対に勝てない。押さえつけられてボコボコにされてきました(笑)」
「兄は僕にとって一番の目標。ユース代表にも選ばれていた兄はトップリーグに行って、日本代表を目指すものだと思い込んでいました。これは家族も含めて誰にも話していないのですが、兄の話を聞いた日の夜、実は一人でこっそり泣きました。面と向かって『やめないでほしい』と言える関係ではなかったので言えませんでしたが、ずっと目標にしていた存在がいなくなってしまうのが悲しかったんです」
そんな岡田選手はお兄さんの応援で中学3年生から大学ラグビーを観るようになり、早稲田大学のプレースタイルに魅了されていきました。高校時代、監督やコーチに「早稲田に行きたいと言い続けてきた」と話します。
「野上(友一)監督が僕の思いをくみ取ってくださり、推薦入試に必要な小論文の書き方を教えてくれました。そんな中、たまたま1枠面接だけで入れる推薦枠が空いてチャレンジしたところ、早稲田の辻(高志)監督に選んでいただきました。自己推薦は落ちる人も多いと聞いていたので、本当に運がよかった。もし早稲田に行けていなかったら、どうなっていたかわからないですね。ニュージーランドにラグビー留学していたかもしれないです」
いつも自分の思いを声に出し、行動に移してきた岡田選手。高校ジャパンの選考に落ちたときも「高校ジャパンに落ちたなら、次はU20のトライアウトを受けに行こう」と次なるチャレンジに挑み、その結果ピックアップメンバーに選ばれました。「このとき小倉順平(横浜キヤノンイーグルス所属)とハーフ団を組むことになったんですけど、『お前、本当にヘタクソだな!』と笑顔で言われましたね(笑)」。
「選手会活動」は未来のラグビー界への恩返し
「この頃は特に海外への挑戦意欲もあったので、海外の人脈を持っているフランHCのもとでチャレンジしたいと考えました。実際に入団して、スピアーズの文化や核となる部分をゼロから一緒に築き上げられたことは、僕自身の大きな財産になっています」
「僕が『業務とラグビーの両立を頑張ります』と言ったら、上司に『そんなこと簡単にできると思ってんのか! ラグビーのプロとしてやってるんだろ? 俺たちは仕事のプロとしてやってるんだ。そんな俺たちに向かって安易に両立なんて口にするな』とお叱りを受けたんです。プロとしてラグビーで結果を出し、試合で活躍して会社の雰囲気をよくする。部署や社内でラグビーの話題をつくることが、社員選手として求められている本質なんだと再認識しました。両立という言葉に甘えず、ラグビーに対してプロとしての覚悟を持つこと、職場で仕事を支えてくれている社員のみなさんへの敬意を忘れないことを肝に銘じています」。
現在、岡田選手は日本ラグビーフットボール選手会の副会長としても精力的に活動中。オンライン配信番組「選手会の部屋」のプロデュースを手がけるなど、多忙な日々を送っています。「LINEで直接連絡して、出演交渉から日程調整、配信回ごとのグループLINEの作成まで全部自分でやっているんですよ」。ファンのみなさんに喜んでほしいという思いで取り組んでいるそうです。
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