川崎フロンターレの選手が1年半ぶりに陸前高田市を訪問。築かれる絆の15年(活動全体編)

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

2011年3月11日に発生した東日本大震災。当時、ニュースで流れていた映像は今でも鮮明に覚えている。綺麗な街並みが津波によって流される映像を見て絶句した。

津波による甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校は教材や遊具が流され、教育現場も大きな困難に直面した。そんなとき陸前高田市の小学校の濱口智先生から全国の知り合いの先生へ「授業の教材を譲ってもらうのは可能ですか?」という連絡が入ったのを聞きつけた川崎フロンターレはすぐに行動し、川崎市の小学生に配布している「川崎フロンターレ算数ドリル」やサポーターから募ったサッカーボールを車で10時間以上をかけて持って行った。

あれから15年。クラブ独自で「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を立ち上げ、選手やクラブスタッフが参加して等々力や川崎市内の駅で街頭募金を実施したり、選手たちも「何かやれることはないだろうか」と動いて選手会主催の「陸前高田市サッカー教室」を開催。陸前高田市の子どもたちをホームゲームに招待する「かわさき修学旅行」や、陸前高田のグルメを楽しめるホームゲームイベント「陸前高田ランド」も実施した。

さらには陸前高田市のマスコットキャラクターたかたのゆめちゃんとカブレラが挙式を挙げるなど、様々な活動を通して一緒に復興への道のりを歩んできたのが川崎フロンターレと陸前高田市の関係である。

1年半ぶりの訪問

「奇跡の一本松」にて 【©KAWASAKI FRONTALE】

2026年6月9日、10日の2日間、選手たちは1年半ぶりに陸前高田市を訪問した。新幹線で一ノ関駅に向かい、レンタカーで陸前高田市へ約1時間半をかけて車を走らせる。山を越えて海が近くなってくると、万が一津波警報が発令された際に過去の浸水区間への進入を防ぐために設置された「津波到達地点」の警告標識が次々と現れて「こんな高さなのか…」「ここまで津波が来たんだ…」と改めて恐怖も感じながら、東日本大震災を知るうえでのスタート地点となる高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設に到着した。

地元でフロンターレを支えてくれている陸前高田フロンターレサポーターずの松本直美さんが当時の様子を振り返りながら伝えてくれる時間だ。震災遺構となっているユースホステルや、津波でなぎ倒された約7万本の松林「高田松原」のなかで唯一耐え残った復興のシンボル「奇跡の一本松」を見て、松本さんが体験したこと、感じたことを選手たちに伝えてくれた。

「東日本大震災津波伝承館」にて 【©KAWASAKI FRONTALE】

その後は敷地内にある津波の事実と教訓を後世に伝えるとともに、国内外へ復興の姿を発信することを目的にした施設「東日本大震災津波伝承館」へ。館内にある資料や映像を見て、言葉にならない感情を抱いただろう。当時は小学生だった若い選手たちも、おぼろげながらに覚えているニュースで目にした記憶を思い出していた様子だった。

小林悠にとって2018年以来の陸前高田市

2018年以来の訪問となった小林悠 【©KAWASAKI FRONTALE】

そういった若い選手たちに当時を補足するように伝えていたのが小林悠だった。彼は2011年9月17日に開催されたJ1リーグ第26節vs山形で自らが決勝点を決めて勝利を手にし、山形市内から仙台市内のホテルまで移動してから選手全員で陸前高田市を訪れて小学校でサッカー教室を開催したときのメンバー。震災から約6カ月後ということで、ほとんどの街は流されてしまい、震災の爪痕が深く残っている光景だった。あれから少しずつ復興していくのを見てきた。だからこそ自身2018年以来となる訪問に「ずっと来たかったんです。とくに一本松のところがすごく綺麗になっていて驚きました」と嬉しそうに言って、こう続ける。

「震災があった年に来て言葉ならないような光景を見てきました。あれから少しずつ復興していくのを見てきて、いまでも関係を続けられて嬉しく思います。ナオミさん(松本直美さん)とのお付き合いも長くあります。最初は災害のあった場所の説明をしてくれているとき、こっちもショックを受ける内容でしたが、やっぱり忘れてはいけない。陸前高田の皆さんとお互いに支え合って、これからも絆を深めていければと思っています」

サッカー教室も笑顔で楽しい時間を過ごした 【©KAWASAKI FRONTALE】

そして1日目の最後は地元クラブの子どもを対象にしたサッカー教室。会場は震災から5年目を迎えた2016年7月3日に「高田スマイルフェス2016」が開催された上長部グラウンド。ユアテックスタジアム仙台で行われたJ1リーグ2ndステージ第1節vsベガルタ仙台の翌日、陸前高田市と川崎フロンターレの両者の特色を生かしたアトラクションや物産販売、飲食コーナー、文化・芸能を披露する特設ステージなどのほか、フロンターレ選手参加によるサッカー教室、そしてメインイベントとして「川崎フロンターレvsベガルタ仙台」のスマイルドリームマッチが行われたグラウンドだ。そんな思い出の地に足を運ぶのは7年ぶり。懐かしさを感じながら子どもたちとボールを追いかけていた。

「最初に陸前高田に来たときは、子どもたちとサッカーをして、少しでも笑顔にさせてあげたいという思いでやってきているんですけど、結局いつも自分たちが笑顔や元気をもらっています。今日も子どもたちが笑顔になってくれて嬉しかったです」(小林)

「また来ます!」

初訪問の丸山祐市。子どもたちに優しく接し、サッカー教室を盛り上げてくれていた 【©KAWASAKI FRONTALE】

陸前高田に初訪問となった丸山祐市は、実際に行ったことで感じられたことがあったという。

「震災のことを映像、ニュースでは知っていましたが実際に来るのは初めてでした。実際に僕が感じたことと、生で見て感じるのでは全然違いますし、より事実として受け入れました。僕自身、何ができるのかというのもすごく考えさせられました。フロンターレとしても2011年から陸前高田を支援しているのは、他クラブにいた自分でも知っていましたが、ここまで色んなことをやっているのは知りませんでした。そこで自分が少しでも力になる。何かをしてあげられるかと言えば、そんなに大層なものはないです。でも地域の方々と触れ合って、自分も色んなことを学ばせてもらいながら、少しでも元気を与えることができたらと思っています」

2日目は選手が4グループに分かれて各所に散らばって交流して楽しい時間を過ごした。佐々木旭が「自分も来られるときは絶対に行きたいです。2日間では足りないくらい楽しかったです。陸前高田に来るのをずっと続けていきたい」との言葉がすべて。支援から交流へ関係が変わり、フロンターレにとって大事な存在になっている陸前高田市。これからも互いに前へ進んでいく。

※2日目に同行した「タイム缶詰」へ佐々木旭、名願斗哉が訪問した様子は【タイム缶詰編】にて

(取材:高澤真輝)

※リンク先は外部サイトの場合があります

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

当サイトには一部アフィリエイトリンクが含まれています。

リンクから商品・サービスをご購入いただいた場合、スポーツナビに収益が発生することがあります。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント