川崎フロンターレの選手が1年半ぶりに陸前高田市を訪問。築かれる絆の15年(活動全体編)
津波による甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校は教材や遊具が流され、教育現場も大きな困難に直面した。そんなとき陸前高田市の小学校の濱口智先生から全国の知り合いの先生へ「授業の教材を譲ってもらうのは可能ですか?」という連絡が入ったのを聞きつけた川崎フロンターレはすぐに行動し、川崎市の小学生に配布している「川崎フロンターレ算数ドリル」やサポーターから募ったサッカーボールを車で10時間以上をかけて持って行った。
あれから15年。クラブ独自で「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を立ち上げ、選手やクラブスタッフが参加して等々力や川崎市内の駅で街頭募金を実施したり、選手たちも「何かやれることはないだろうか」と動いて選手会主催の「陸前高田市サッカー教室」を開催。陸前高田市の子どもたちをホームゲームに招待する「かわさき修学旅行」や、陸前高田のグルメを楽しめるホームゲームイベント「陸前高田ランド」も実施した。
さらには陸前高田市のマスコットキャラクターたかたのゆめちゃんとカブレラが挙式を挙げるなど、様々な活動を通して一緒に復興への道のりを歩んできたのが川崎フロンターレと陸前高田市の関係である。
1年半ぶりの訪問
地元でフロンターレを支えてくれている陸前高田フロンターレサポーターずの松本直美さんが当時の様子を振り返りながら伝えてくれる時間だ。震災遺構となっているユースホステルや、津波でなぎ倒された約7万本の松林「高田松原」のなかで唯一耐え残った復興のシンボル「奇跡の一本松」を見て、松本さんが体験したこと、感じたことを選手たちに伝えてくれた。
小林悠にとって2018年以来の陸前高田市
「震災があった年に来て言葉ならないような光景を見てきました。あれから少しずつ復興していくのを見てきて、いまでも関係を続けられて嬉しく思います。ナオミさん(松本直美さん)とのお付き合いも長くあります。最初は災害のあった場所の説明をしてくれているとき、こっちもショックを受ける内容でしたが、やっぱり忘れてはいけない。陸前高田の皆さんとお互いに支え合って、これからも絆を深めていければと思っています」
「最初に陸前高田に来たときは、子どもたちとサッカーをして、少しでも笑顔にさせてあげたいという思いでやってきているんですけど、結局いつも自分たちが笑顔や元気をもらっています。今日も子どもたちが笑顔になってくれて嬉しかったです」(小林)
「また来ます!」
「震災のことを映像、ニュースでは知っていましたが実際に来るのは初めてでした。実際に僕が感じたことと、生で見て感じるのでは全然違いますし、より事実として受け入れました。僕自身、何ができるのかというのもすごく考えさせられました。フロンターレとしても2011年から陸前高田を支援しているのは、他クラブにいた自分でも知っていましたが、ここまで色んなことをやっているのは知りませんでした。そこで自分が少しでも力になる。何かをしてあげられるかと言えば、そんなに大層なものはないです。でも地域の方々と触れ合って、自分も色んなことを学ばせてもらいながら、少しでも元気を与えることができたらと思っています」
2日目は選手が4グループに分かれて各所に散らばって交流して楽しい時間を過ごした。佐々木旭が「自分も来られるときは絶対に行きたいです。2日間では足りないくらい楽しかったです。陸前高田に来るのをずっと続けていきたい」との言葉がすべて。支援から交流へ関係が変わり、フロンターレにとって大事な存在になっている陸前高田市。これからも互いに前へ進んでいく。
※2日目に同行した「タイム缶詰」へ佐々木旭、名願斗哉が訪問した様子は【タイム缶詰編】にて
(取材:高澤真輝)
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