フロンターレ、ホスピタル・ファシリティドッグ®と共に歩んだ仲間の話

川崎フロンターレ
チーム・協会

【©KAWASAKI FRONTALE】

2026年5月17日、Uvanceとどろきスタジアム by FujitsuにてJ1百年構想リーグ第17節vsFC町田ゼルビアが開催された。この日のホームゲームイベントは「ワンダーニャンド」。犬や猫にまつわるブースが数多くあるなか、病院で働く”医療チームの一員として、子どもたちや家族の心に寄り添う特別な存在であるホスピタル・ファシリティドッグ®の啓発活動を行った。

ホスピタル・ファシリティドッグ®︎とは

「ワンダーニャンド」にファシリティドッグのマサくんも来場 【©KAWASAKI FRONTALE】

ホスピタル・ファシリティドッグ®︎(以下:ファシリティドッグ)は、病院で活動するために専門的に育成された犬のこと。国際基準に沿って研修を受けた臨床経験のある看護師のハンドラーとペアになり、入院する子どもたちの治療や療養生活に関わっている。採血や服薬、手術室への移動など子どもが怖がるような場面に寄り添うなど、医療スタッフと連携しながら、子どもたちの回復をそっと支えているのがファシリティドッグだ。

日本ではNPO法人シャイン・オン・キッズによって5か所の小児病院で活動ており、さらに導入を望む声が広がっている。一方で、課題となるのが育成と運営にかかる費用だという。ファシリティドッグ1チームの育成には約1,600万円、導入後の年間運営費には約1,200万円を要する。同法人は啓発活動に取り組むと共に、クラウドファンディングや募金活動を通じて支援を募り、日本各地の小児病院への導入拡大を目指している。

なぜ、そこまでしてファシリティドッグが必要なのか──。長期入院して病気と向き合う子どもたちを見てきた看護師でハンドラーの権守礼美さんは言う。

「病院に犬がいるのは皆さんにとって信じられないかもしれません。でも私は看護師として働いていた頃、長期入院が続くお子さんもいるなかで、いかに病院を日常に近い場所にできるのかを考えていました。私たちにとっての日常は自宅ですが、入院しているお子さんにとっては病院が日常。その環境が変わると、もう少し心の持ちようも変わっていくのでは思っていました。病室に犬がいると私たちが外を歩いている時に犬を見かける時と同じように刺激を受ける。やはり動物、なんといっても犬には癒しの力がありますし、ホッと安心して頑張る力を湧かせてくれるのだと思っています」

病と闘ったサポーター恵悟さんと、その家族

【©Ken Usami】

そんなファシリティドッグに支えられ、共に病気と闘った川崎フロンターレサポーターと、その家族がいた。

クラブが創設された1997年。おらが街を応援しようと川崎生まれ、川崎育ちの宇佐美健さん(以下:健さん)は、自宅からユニフォームを着て等々力へ自転車で通い詰めた。当時の観客数は2.000人から3,000人程度。有名な話だが、今では想像がつかないくらいクラブの名前を知っている市民も少なくて、サッカーチームであることさえも認識されていなかった。

とくに驚いたのは雨が降りしきるなかでの試合。カッパを着てバックスタンドに座って左右を見てみたら自分だけがポツリといた、なんてこともよくあったという。でも健さんは、ピッチ上で熱く一生懸命に選手たちが戦っている川崎フロンターレが大好きだった。

だからこそ、もっとクラブの知名度を広めたい──。営業先にサッカーの話をしに行ったこともあったし、職場で観戦チケットをプレゼントするキャンペーンも企画してクラブにも直接問い合わせもした。「自分に何かできることはないだろうか」。その一心で動き続け、1997年から現在進行形で川崎フロンターレのイベント企画でも仕事に携わる機会が増えていった。間違いなく「私にとってフロンターレはなくてはならない存在」(健さん)だった。

あれから年月が経ち、妻の恭子さんと結婚。2人の子宝にも恵まれ、一家全員でフロンターレを応援。当然、長男の恵悟さんも大ファン。川崎の太陽と称されたジュニーニョが大好きでゴールパフォーマンスでお馴染みのポーズを、よく真似をしていた。

ただ恵悟さんは生まれつき心臓の病気で生後9日目に15時間を超える手術をし、その後も3歳までに5回の手術をしたが完治はできず、肺炎や不整脈など様々な症状が起きて入院もした。それでもサッカーとフロンターレが大好きだった恵悟さんは高校にも進学して仲の良い友達もできて充実もしていた。しかし17歳の時には脳膿瘍(脳に膿が溜まる病気)を併発。4か月間はベッドの上で過ごす日々が始まった。学校へ行けない悔しさ、手術への不安。様々な感情に押しつぶされ、自分はなんのために頑張っているのだろう、という気持ちが何度も何度も込み上げてきた。

母の恭子さんの勧めで始めた「Vision Map」 【©KAWASAKI FRONTALE】

広島にフロンターレを応援しに遠征にも行った 【©Ken Usami】

でも、母の恭子さんの勧めで始めた「Vision Map」が明日を生きる力に。

将来叶えたい未来を想像し、叶った形で描いていく──。

「サッカー観戦に行けた」

「広島の新しいスタジアムに行けた」

「アウェイツアーに行けた」

「フロンターレが優勝した」

1つひとつ達成していくことに、生きる喜びを感じていた。内容のほとんどはフロンターレに関するもの。それぐらいフロンターレを愛していた。

ある日、珍しいことが起きた。前述した17歳で脳の病気を併発して手術を受けた際。フロンターレが圧倒的な強さを誇ったシーズンで勝てば優勝が決まる一戦の当日。ずっと楽しみにしていた試合だったが、ちょうど手術日に重なってしまった。そのことを恵悟さんは残念がり、試合を観るのを諦めていた様子だった。

しかし自分の体と心には嘘を付けない。なんと術後に全身麻酔から覚めて、後半からICUで優勝を見届けたのだ。それだけじゃない。とくにフロンターレが勝ったあとは医師が驚くほど体調が安定したことも度々あった。

恵悟さんの病気を知ってくれているサポーターもGゾーンに行った時は暖かく迎え入れてくれ、気分が落ちてしまった時、体調が優れない時はフロンターレ、サポーターからの力に支えられていた。

寄り添ってくれたファシリティドッグ

【©Ken Usami】

そんな日々を送り、描いた「Vision Map」に向かって入退院を繰り返しながらも、頑張っていた恵悟さんの側で寄り添っていてくれたのがファシリティドッグ。触れ合っている時は辛い治療のことを忘れさせてくれて、心が救われて前を向くことができた。もしファシリティドッグが側にいてくれなかったら──。そんなことは考えられないほどに。

2025年11月7日 東京アメリカンクラブにて開催されたガラパーティ「イブニング・オブ・インスピレーション」で恵悟さんはスピーチで、その思いを語っていた。

スピーチ前の記念撮影 【©Ken Usami】

「たくさんのファシリティドッグが、いつも私の側で寄り添い、力を与えてくれました。頻繁な入院は決して嫌なことばかりでなく、多くのファシリティドッグと出会えたのは私の誇りです。

そして私に相手の心に寄り添う意味を教えてくれた犬がいます。ベイリー(初代ファシリティドッグ)です。入院中にこんな出来事がありました。私の友人は治療のために服用する薬を医師や看護師が励ましても苦くて飲めない、と拒んでいました。

そんな彼のもとにベイリーは横になり、寄り添っていました。すると彼は『ベイリーにはかっこ悪いところを見せられないよな』と言って薬を飲んだのです。私はベイリーの力に驚いたと同時に、どうして彼の気持ちが動いたのだろうと不思議に思い、考えてみました。

言葉ではなく、彼の心に寄り添い『薬を飲みたくない』という気持ちを受け止めていたのだと思います。悩みが深ければ深いほど、言葉はその人の心に届かないことがあります。そんな時、気持ちや感情も否定せず、ありのままを受け止め、その人の心に耳を傾ける。それが寄り添うことであり、人は前に進む力を得られるのだと教えてくれました」

寄り添ってほしい時に、ただ側で見守って寄り添ってくれる。健さんも当時の様子を述懐する。

「恵悟も話していましたが、先生と看護師さんが一生懸命励ましながら治療をしてくれていたなかで、ファシリティドッグは言葉を話せないけれど、側にいてくれるだけで心が動き出す。言葉じゃなくて子どもの気持ちに寄り添ってくれるのがファシリティドッグです。それを近くで見ている先生や看護師さんも私たちにはできないことだと言っていましたし、私たち家族にとってもファシリティドッグは力をくれる存在でした」(健さん)

森谷賢太郎との出会い

【©Ken Usami】

そんなスピーチも含め、ファシリティドッグへの感謝、恩返しの思いを胸に、恵悟さんはもっと認知を広げるための普及活動に従事。そしていつかは大好きな「フロンターレと掛け合わせたことができたら」という考えもおぼろげながらもっていた。そうやって、よく話し合っていた相手は小学生の時、父の健さんと行ったスポンサーパーティーで一緒に写真を撮ってもらった森谷賢太郎(現:川崎フロンターレ強化担当)だ。

森谷は、経済的事情などでサッカーを続けることが難しい子どもたちを支援する「1%FOOTBALL CLUB」の活動をしている。サッカーを通して社会支援を行うなかで、来日したマンチェスター・シティとシャイン・オン・キッズが開催した病気と闘う子どもたちを対象にしたサッカー教室のことを知る。調べていくとファシリティドッグで子どもたちに寄り添う活動をしているということが分かり、すぐに問い合わせた。

「なにか自分にできることはありませんか?」

それが、森谷と恵悟さんの絆を再びつないだ。

フロンターレのサポーターで、長く病気と闘っている恵悟さんを紹介され、シャイン・オン・キッズによりクラウドファンディング「ファシリティドッグ育成基金2023」の企画で、恵悟さんとオンライン上の対談し、言葉を交わした。恵悟さんは「夢のようだった」と喜んでいたそうで、森谷の言葉に耳を傾けてメモもとっていた。

「恵悟くんは対談している時、僕から何かの言葉をもらいたいという感じだったと思うけど、それも小さいものに感じてしまうぐらい、色んなことを乗り越えてきたのが恵悟くん。僕が経験してきたサッカーで乗り越えてきたものはちっぽけなもので、それ以上に困難に立ち向かって、乗り越えて、自分も含めて周りの人に勇気を与えられる存在なんだなと感じました」(森谷)

森谷賢太郎選手との再会の時 【©Ken Usami】

それからSNSでメッセージを送り合う関係になり、対面で初めて言葉を交わしたのは2024年3月。手術を担当してくれた先生に会いに福岡へ行った際に、当時サガン鳥栖に所属していた森谷にも会ってホームスタジアムの駅前不動産スタジアムを案内してくれた。森谷に会うのは「Vision Map」にも描いていたことでもあり、嬉しそうな表情を浮かべていた。

2025年に森谷が現役引退をしてフロンターレにスタッフとして帰ってきてからも恵悟さんとの関係は続き「フロンターレとファシリティドッグをかけ合わせたことができればいいね」とよく話をしていた。そうやって色んな可能性を探っていた矢先の2026年1月。22歳で恵悟さんは旅立った。

訃報を聞いたフロンターレは霊安室に向かう途中、U等々力に寄ってもらい場内でサポーターがチャントを歌うなかで1周して恵悟さんを送り出し、健さんの「少しでも明るく」といういつも聴いていた大好きな曲、SHISHAMOの「明日も」と共に出棺。

等々力で恵悟さんを送り出した、あの日 【©KAWASAKI FRONTALE】

フロンターレの大切な仲間だったから寂しいし、心が痛い。でも、だからこそ恵悟さんがもっていた夢や願いを継いで叶えたい──。

宇佐美家、シャイン・オン・キッズ、クラブは「フロンターレとファシリティドッグを掛け合わせたことをしたい」という思いの実現に向けて走り続けた。

夢や願いを継いで叶える

ブースの前で募金を呼びかけ、多くのサポーターが協力をしてくれた 【©KAWASAKI FRONTALE】

2026年5月17日、J1百年構想リーグ第17節vsFC町田ゼルビア。ホームゲームイベントは「ワンダーニャンド」でファシリティドッグの啓発活動が行われ、「まだ実際に5つの病院しか導入されていなく、ファシリティドッグになるまでに長くて2年半ぐらいかかることから費用もかかると伺っています。そういった背景もあるからこそファシリティドッグを知らない方々にもっと広めていきたい。そこでフロンターレが少しでも役に立ちたい」(イベント担当者の北森達也)という思いを込めて実施。U等々力に足を運んだサポーターが募金にも協力をしてくれていた。

そんな日を、ようやく迎えられた。

「よく生前の恵悟と2人で、そういう機会を作りたいなと話していました。今日のような日を迎えられて本当に嬉しいです。恵悟はファシリティドッグを皆さんに知っていただいて、より多くの病院に導入されるのをすごく願っていました。今回は第1回ですが、できることになって感無量です」(健さん)

ファシリティドッグと共に歩んできた子どもたちも元気いっぱいに参加 【©KAWASAKI FRONTALE】

この日はファシリティドッグと共に病気と闘った子どもたちも参加。現在は退院をしていて、今回のブースに参加をしてくれた子どもは「私がステロイドの影響で全部が嫌になっていた時、マサくん(ファシリティドッグ)が助けに来てくれました。いつもは笑顔がなかったですが、マサくんが来たら落ち着いて笑顔になれました。マサくんにはたくさん救われました。毎日ではないですが、たくさん来てくれたので嬉しかったです」と実際にファシリティドッグに助けられたことを話してくれた。

ファシリティドッグには医療を超える力がある。それはスポーツ、フロンターレにも言えると信じている。当日の試合には一時退院をして試合を観に来てくれた子ども、ご家族がおり、きっと選手たちの熱いプレーが力になったはずだ。

候補犬時代のマサくんと恵悟さん 【©Ken Usami】

恵悟さんは、ある将来の夢を語っていた。

「私は入院中にたくさんのファシリティドッグに支えられて、今日まで生きてくることができました。だからこそより多くの方にファシリティドッグの存在を知っていただき多くの病院に導入されるのを心から願っています。そして病気で苦しんでいる子どもたちの心に寄り添い、少しでも力や希望を与えていける人になりたいと思います」

その想いは、これからも紡いで形にしていくのが役目。これからも恵悟さんとフロンターレは共に歩んでいこう。

(取材:高澤真輝)
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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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