「嘘つけ!」ロッカールームで残酷な宣告 シント=トロイデンVV主将・谷口彰悟の復活ストーリー【VOICE OF MIRACLE】
■24年11月に長期離脱の大怪我も…欠かせない絶対的存在
何度突きつけられただろう。絶望、失意、無力感……。34歳の絶対的存在、日本代表DF谷口彰悟が歩を進めた道のりは決して平坦ではなかった。シント=トロイデンVV(STVV)に加入して2年目。フィールドプレーヤーの最年長が主将を務めたシーズンは激動だった。
「海外でキャプテンをやる難しさは、毎日、痛烈に感じています。文化も、育ってきた背景も、話す言語も全く違う。ベルギー出身がいればフランス系、アフリカ系もいる。そんな多種多様な選手たちをどう動かし、勝利に向かわせるか。日本でやっていた時とは、アプローチの仕方が根本から違う。日本人選手に対しても、ひと回り以上年下の選手が増えた今、距離感は繊細にバランスを取ってコミュニケーションを取っています。このチームで歴史を変えたいので」
約1万5000人収容の本拠地スタイエン。スタンドに腰をかけた谷口がゆっくりと口を開いた。チームは現在、プレーオフ1という国内最高峰の舞台で欧州コンペティションの切符を争う。だが昨季は、本当に苦しんだ。残留争いの泥沼に喘いだシーズン。谷口自身もカタールの強豪アル・ラーヤンSCから移籍1年目、33歳で初めての欧州挑戦で、まさかの悲劇が襲った。
「アキレス腱を切った人がよく言うんです、蹴られたような感覚痛みだと。僕も強い打撲な感じがした。でも『ちょっと痛みが強すぎる。なんだ、これは』と思い始めて、ピッチの外に出る時、立たせてもらったんですけど、もう感覚がなくて踏ん張れなかった。『もしかしてこれやっちゃったか』という思いがありましたね。それは今でも覚えています」
ロッカールームへ戻り、チームドクターが左足をつまむ。無情にも反応はない。「切れているね」。医師から左足首のアキレス腱断裂を告げられた。「嘘つけ! そんなすぐに分かるわけない!」。33歳にとって残酷な宣告だった。
「絶望でしたね。『ちょっと(レントゲンを)撮りに行かせてくれ』と伝えて、試合をやっている途中で病院に連れて行ってもらって検査を受けた。実際に画像を見た結果、やっぱり切れていた。後で聞いた話、アキレス腱が切れていたらつまんだ時に反応がないらしいんです。だからすぐ分かったる、と。目の前が真っ暗になった。欧州にチャレンジしにきて、日本代表でも最終予選が始まってスタメンで出場するを勝ち取ることも増え、手応えを掴み始めた時だったので」
歩くことさえできない。知識として持っていたのは復帰まで「大体、半年はかかるな」。これが現実。受け入れなければいけない。ただ、人生で初めての大怪我で、想像のつかないリハビリ生活と、年齢に対する不安は拭うことができなかった。すぐさまチーム、日本の医師と相談して帰国を決意。車椅子に揺られ、翌日に空港へ向かった。
「STVVは僕のことを考えて好きな方を選んで手術を受けたらいいと言ってくれた。こっち(ベルギー)で手術を受けることも考えたけど慣れない環境だし、コミュニケーションも含めて日本に帰ることを決めた。すぐに伝えて、次の日には直行便があったのですぐ飛んだ。でも正直、先はほとんど見えていなかった」
手術しても動かない足首。「またピッチに立てるのか……」。イメージを膨らませても、鮮明に想像することができない。そんな時、病室で見た映像が自身を奮い立たせた。
「怪我したのが、代表の合流直前だったので、手術が終わって、最終予選のアウェー2連戦を見た。仲間が頑張っている姿を見て『自分もいたのに』という悔しい感情が出てきた一方で、負けていられないなと思った」
奇跡とは、天から降ってくる幸運ではない。血を吐くような地道な努力を、1秒の妥協もなく積み重ねて自らの指先で掴み取る。谷口の復活劇を支えたのは、鋼のような「諦めない心」だった。大津高校時代の恩師・平岡和徳元監督が「心の部分が人と違う」と断言したその強靭な精神が、逆境を爆発的な進化へと変換させた。
「足首を固定する装具が取れて、歩く練習をし始めると『ちゃんと歩ける!』と感じるようになって『人間の身体ってすげえな』と実感した。少しずつ少しずつ着実に次のステップに向かって日数をかけてクリアしていく感覚をつかめるようになった。ようやく光が見えた」
そして迎えた、運命の復帰戦。シーズン佳境、プレーオフ3の最終節コルトレイク戦で後半43分から再びピッチを踏んだ。敵地のベンチに腰をかけた時、耳にしたサポーターの歓声。谷口は、決壊しそうになる感情を必死に押し殺した。「帰ってこられたんだ」。その瞬間、涙腺が緩んだ。
「隣に確か(山本)理仁がいたのかな。バレたらだめだと思って隠しながら。リハビリは苦しかったし、辛かったけどピッチに立つ目標に向けて頑張ってベンチに入って大きな1歩を踏み出せたのは感慨深かった」
■“予想外”の上位進出…“予定外”のボランチ→CBへのコンバート
「正直に言うと、これほど上に行けるとは全く予想していなかった。昨シーズン、残留争いですごく苦しい思いをしたので、まずはそこを避けたいというのが現実的な目標だった」
目標を“上方修正”したのはプレシーズンだった。谷口の記憶には、かつてないほどに走り込み、自分たちを追い込んだ日々が刻まれている。「僕のプロサッカー人生で、一番走ったんじゃないかな(笑)」。過酷でタフなトレーニングがチームに強固な土台を作り上げた。開幕から6試合負けなし(4勝2分)。すぐに確信へと変わった。
「最初が転機だった。このスタートが切れたのは大きかった。2024年はパリ五輪の影響もあってメンバーも定まらなかったし、連敗スタートになってしまった。今季は反省を生かせた。もう1つ大きかったのは冬場かな。格上をホームで叩いて『勢いじゃない。プレーオフ1を目指せる』と明確になった」
思えば、谷口彰悟のサッカー人生そのものが、予定調和を覆し続ける「奇跡の連続」だった。今でこそ日本を代表するセンターバック(CB)として君臨するが、原点は中盤の底、ボランチ。筑波大学時代、恩師の風間八宏元監督にボランチからCBにコンバートされた。風間元監督から伝え聞いた大津高の平岡元監督は「ボランチとして育てたのに何をやっているんだ! 俺は彰悟にCBだけやらせなかったのに」と冗談めかして“不満”を漏らしたという。それほどまでに、谷口の技術と戦術眼は中盤の司令塔としての輝きを放っていた。そんなキャリアすら「奇跡ですよね」と日本を代表するディフェンスリーダーは言った。
「筑波大1年の時、風間さんから『まずはCBで慣れさせよう』とコンバートされた。高校から上がってスピードやフィジカルが難しかったと風間さんからも後から話を聞きました。でもCBをやることで守備の面白さを知った。ボランチをやっていたことは今のビルドアップや配球にも生きている。平岡先生や風間さんが、僕を違うポジションで使ってくれたから。今34歳ですけど、充実したサッカー人生を送れている。常に想像できなかった未来が現実として訪れている。今後もわからないし、いろいろな選択肢がある。人生、面白い」
自身の歩みが奇跡であると認めながらも、誰よりも泥臭く、誰よりも真摯に向き合ってきた自負があるから奇跡を手繰り寄せられた。谷口の瞳には、一切の曇りがない。目の前のプレーオフ1、そしてSTVVの主将として臨む2度目のワールドカップだけを見る。物語は、まだ終わらない。不屈の精神を宿した背番号5は「ミラクル」の正体が努力の結晶だと証明した。その先は——。まだ誰も見たことのない、最高に輝かしい景色が待っている。
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