インカレ優勝を置き土産に4年後の夢舞台へ向かって走り出す スキー・クロスカントリー 柏原明華×栃谷天寧
(取材:2026年3⽉23⽇)
自分を信じて、世界での戦いに挑みたい
私が通っていた高校はもともと人数が少なく、女子は私を含めて2人だけという環境だったので、大学に入って集団で行動するというのが初めてでした。部活も日常生活も徹底するところは徹底され、メリハリがつけられていて、練習に集中できる環境も備わっているので、学ぶところも多かったですし、とても成長できたと思います。
また、初めての寮住まいでは、人数も多い中での共同生活や自炊など、それまでやってこなかったことをいろいろ経験することができ、その中で人間性を培うこともできたのではないかと思います。
−日大進学を決めた理由は何ですか?
高校の時、試合前に日本大学の選手が練習している姿を見ていて、かっこいいなと思っていました。声を掛けていただいて話を聞いた際に、文理学部体育学科で教職が取れると知って、その点もいいなと思って進学することを決めました。
−授業の中で興味を持ったり、役立った科目などはありましたか?
寮で自炊をしている中では栄養面もしっかり考えていかないといけないので、栄養学の授業は学びになったと思います。授業の中で、1日にどれくらいの栄養を摂ったかがわかる食事管理アプリを入れていたので、それを活用して普段からどの栄養素が足りている足りていないというのを把握して、炭水化物をちゃんと摂るとか、鉄分をしっかり摂って貧血にならないようにするというようなことを考えながら食事を作っていましたし、大会近くなると特に女性として鉄分不足にならないように気をつけたりとか栄養学を学んでいたので気をつけたりとかしていました。
−大学時代で一番思い出深いことは何でしょう?
昨年1月の全日本選手権(1.3kmスプリントフリー)で優勝したことが一番印象に残っています。それまで学生の大会で1番になったことはありましたが、日本で1番になったのは初めてだったし、日々の練習の積み重ねと、先輩方やコーチにたくさん教えていただいたことがようやく結果につながったというところで、思い出深いです。
−学生選抜でも2種目優勝されましたが、やはりそれとは違う?
そうですね。高校の時も優勝を経験したことがなかったので、学生選抜での優勝はもちろんうれしかったんですが、全日本選手権は社会人の選手も出場しているので、先輩の土屋(正恵)さん(2019年文理学部卒)をはじめ、ずっと上に見てきた人たちに勝つことができて喜びも大きかったですし、自分の中でレベルアップできたかなと感じました。
−今年の国民スポーツ冬季大会でも3位になって、地元でも盛り上がったみたいですね?
スキー競技では広島県女子初の表彰台ということで、喜んでいただきました。時期が合わずに行けませんでしたが、県からも表彰されました。2年続けて入賞していますが、来年こそは優勝したいですね。
−大学に入る前に思い描いていた4年後の姿と、今の自分を比較してどう感じますか?
高校時代はあまり成績が伸びることはなかったので、大学に入った当初は「自分は伸びるのかなぁ」と思っていました。コーチ陣に指導していただき、ここまで自分が伸びるとは想像していなかったので、すごく成長したなと感じますし、自分でも信じられないという思いです。
−辛かったことや競技をやめたいと思ったことは?
節目節目で「辞めよう」って、何回もありますね(笑)。以前は陸上競技もやっていたので、そちらの方向でやっていこうかなと考えた時もありましたが、クロスカントリーが好きという気持ちが強かったので続けて来ました。ただ大学2年の時は、コロナ禍で練習ができなくなった上に、先輩から意見されたことが重なって、しんどくなってしまった。当時のスキー部監督に相談したら、「これから絶対に伸びるから辞めないでほしい」って言われ、一旦実家に帰って休養して、気持ちの整理をして来るように言われました。1ヶ月くらい休んで「もう1回頑張ろう」とリセットして戻ってきたのはシーズンに入る前の10月くらい。信頼していた同期が「お帰り」と温かく迎え入れてくれてうれしかったです。
−今年2月のインカレで女子は総合優勝でしたが、どんな思いで臨みましたか?
今シーズンは、パッとした成績が出ていなかったので、自分の中では納得いっていなかったのですが、自分たちの代でインカレ優勝したいと思っていたし、後輩たちに優勝させてあげたいという気持ちもありました。最後の4年目でやっと優勝することができ、さらに部門別のクロスカントリーでも初優勝を飾り、そこに自分がポイントを取って少しでも貢献できたことが何よりうれしいです。後輩たちには来年も頑張ってほしいと思います。
はい、土屋さんが所属している弘果スキーレーシングクラブ(青森)に所属し、社員アスリートとして続けます。弘果の方に声を掛けていただいた頃は、自分で納得いく成績を残せておらず、卒業後は競技を辞めようと考えていた時だったので、当初は迷いました。その後に全日本選手権で優勝したので、ならばやってみようかなと…。親も「続けてほしい」と言って背中を押してくれたので、現役続行を決断しました。
−より成長していくために考えていることは?
社会人になると、自分でいろいろ練習メニューを考えたりしないといけませんが、弘果には土屋さんがいるので、学べるところをしっかり吸収して、自分の身につけて今よりさらにレベルアップしていけたらと思っています。土屋さんには、「会社の仕事もちょっと忙しいけれど、合宿も多くなるし練習がたくさんできるので、休める時は休んで、練習をしっかりみっちりやっていこう」というアドバイスをもらいました。
−これからの目標は?
大学時代は届きませんでしたが、やはり世界を目指したいという気持ちがあるので、まずは国内でトップを取って、そこから世界大会に出られるくらいに成長していくことが目標です。栃谷さんは世界での試合経験も多いので、その話を聞くと、自分はもっとも頑張らなきゃいけないなと思いした。
−心がけていることや好きな言葉などはありますか?
休むことと練習をしっかりやるというメリハリを常に大事にしてきたので、社会人となってもそこは実践していきたい。また、スポーツをやっていた母からもらった「自分を信じないと強くなれない」と言う言葉を大事にしていて、
大会の時は「自分が一番練習してきたんだから、一番強いんだ」というのを、いつも心と頭の中に置いて試合に挑んでいます。
−期待しています。ありがとうございました。
クロスカントリーは「もはや離れられないもの」だと話した柏原選手。新たな環境の中でこれからも競技と真摯に向き合い、世界の舞台へ、そして4年後の五輪へ、自分と自分の努力を信じて挑戦を続けていく。
柏原 明華(かしはら・あいか)
2003年生まれ。広島県出身。加計高芸北分校卒。2026年3月、文理学部卒業。中学時代から全国大会に出場。高校2年時、たいらクロスカントリースキー大会で優勝。日大入学後は、’24年2月の全日本学生選抜の女子1.4kmクラシカルと5kmクラシカルで優勝し、全日本学生選手権(インカレ)も5kmクラシカルで3位。‘25年1月の全日本選手権では女子1.3kmスプリントフリーでシニア大会初優勝を果たすと、2月の全日本学生選抜でも女子1.4kmスプリントフリーで優勝。続くインカレは5kmフリーと1.3kmスプリントクラシカルで2位。 ‘26年はインカレ女子1.4kmスプリントフリーで3位、さらに国民スポーツ冬季大会で2年連続入賞となる銅メダルを獲得した。4月より弘果スキーレーシングクラブに所属し、社員アスリートして活動する。
世界での経験を礎に、世界と戦える力をつける 栃谷天寧
−現在コンディションはどこまで戻っているのでしょうか?
肩の状態は可動域がちょっと戻りきってないところはありますが、ウエイトトレーニングは徐々に始められていて、スキーも去年と変わりないぐらいまで来れているのかなと思っています。
−手長いリハビリ期間はどんな思いで取り組んでいましたか?
今シーズンの目標としてU23世界選手権で結果を残したいとずっと考えていたので、そこに戻れるようにできることを少しでもやっていこうと気持ちでリハビリを行なっていました。新たに低酸素室を使ったトレーニングを採り入れて、部屋の気圧を変えて、酸素濃度を少なくして高所にいる状態でトレーニングするというものですが、リハビリ中
はできることが限られてしまうので、質を上げていくという感じで取り組んでいました。
−復帰レースでの手応えはどうでしたか?
復帰レースは11月中旬の海外の試合でしたが、雪上練習に入る前のローラースキーでの合宿では全く思うように動くことができませんでした。まだ筋力が戻っていないため、スキーの動作での練習があまりできていなかったっていうこともあって、すごい不安はあったんですが、10月末くらいから海外に行って雪上練習を始めると、次第に感覚も良くなってきたので、少し自信を持ってレーズに臨める感じでした。
−最後のインカレで優勝できたことは、どう感じていらっしゃいますか?
私が入学してから初めての総合優勝だったので、そこはうれしいし良かったなと思います。ただ、2月の間はあまり調子が良くなかったですし、5kmクラシカルは2位でしたが1位とのタイム差もわずか(2.7秒差)だったので結構悔しい思いもありますが、最低限ポイントをしっかり取って貢献することはできたかなと思います。
−その後のU23世界選手権は3年連続の参戦でしたが、改めて世界と戦ってみて感じたことは?
まず、圧倒的にスピード感が国内のレースとは違うなと改めて感じました。テクニックや持久力はもちろんですが、自分の出せるスピードを速くしていかないと世界では戦えないなと感じました。上位とのタイム差をもっと縮めていぃためには、ダッシュで出せるスピードや維持できるスピードをもっと上げていきたいですね。
−大学卒業するにあたり、この4年間を振り返ると?
競技の面では、思い描いていたような結果をきれいに残せたわけではないですけど、自分の強みや、強化していくべきところがはっきり分かりましたし、そこに向けてコーチの手も借りながら改善していけたので、わからないまま終わるという感じではなかったのは良かったと思います。また学生としては、先生や教授の方をはじめいろんな方と関わって、多くのことを学べたと思いますし、授業での課題もたくさんあっても、部活や練習をおろそかにしていいわけではないので、時間を上手く使うとか計画性を持った行動という点はできるようになったかなと思います。
−何か新たな気づきなどはありましたか?
私は今まではクロカンしかやってこなくて、中学も高校もスキー部ではなくクロカン部で、クロカンの人しかいない環境でずっとやってきました。大学ではスキー部という大きな集団の中に、クロカンの人もアルペンの人もいましたが、競技特性がだいぶ違うので基本的に練習は一緒にはやらないし、自分も知らなかったのですが、アルペンって一見すると競技時間も短いので、あまり持久要素はいらないと思っていたんです。でも、アルペンの選手でも練習時間をしっかり積んでいる人や、持久走をクロカンの選手と同じくらいやっている人がいたので、そういうのを見てすごく刺激になっていました。
−この4年間で一番思い出深いこと、逆に苦しかったことは?
いい思い出は、やっぱりインカレで優勝できたことですね。逆に苦しかったというのは、私的には怪我したことはそれほどマイナスなイメージは持っておらず、むしろ1年生の頃に思うような結果を残せなかった時に、「もっと結果を出せたらいいのに」となっていた時期がありました。それでも、自分の中でもっとどうしたらいいのかなって、メニューを出された中でもいろいろ考えながらやってきましたし、目標をずっと持ち続けていたことが良かったかなと思います。
−今はどういう目標を持っていますか?
23歳以下の世界で戦うのも今年で終わりで、現状のまま次のステップで世界と戦うのはかなり厳しいものがあると思う。まずは国内の社会人選手と競って、対等に戦えるぐらいのレベルに成長していきたいと思っています。
−大切にしている言葉などはありますか?
自分はいつも「なるようになる」と考えています。上手くいかないことがあっても、自分でしっかり対応していく、いろいろ考えて臨機応変に動けるようにしていけば、良い結果につながっていくと思っています。
これまで世界を相手に戦い、見たこと感じたことも大きな財産として、栃谷は地元・北海道で新たな挑戦をスタートさせた。より速く、より強くなって4年後、アルプスの雪原を颯爽と駆け抜ける姿を見せてくれるはずだ。
栃谷 天寧(とちたに・たかね)
2003年生まれ。北海道出身。北海道おといねっぷ美術工芸高卒。2026年3月、文理学部卒業。高校在学中から全日本スキー連盟の強化指定選手となり、’22年にジュニア世界選手権に初出場。’24年はU23世界選手権に出場し、全日本選手権では女子15kmクラシカルで3位。その後、肩関節の脱臼を繰り返すも、’25年はU23世界選手権出場に続き、インカレでは個人種目3冠の完全制覇を達成。シーズン終了後に肩を手術するも、’26年もU23世界選手権代表となり、インカレでは 女子5kmクラシカルと3×5kmリレーでいずれも準優勝し、クロスカントリー部門の初優勝と4年ぶりの女子団体総合優勝に貢献。4月よりJR北海道に入社し、社員アスリートして活動する。
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