ピーター “ラピース”ラブスカフニ/今、スパイクを脱ぐ理由――スピアーズの文化を築き、日本代表を率いた男が語る10年の旅と感謝

チーム・協会

ピーター “ラピース”ラブスカフニ(Pieter”Lappies”Labuschagne) ◼ ポジション:FL(フランカー) ◼チーム在籍年数:10シーズン(2016~) ◼ チーム初キャップ:2016年8月27日 トップリーグ2016-17 第1節東芝ブレイブルーパス東京戦(秩父宮) ◼チーム公式戦キャップ数:101(2026年4月25日現在) 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

4月21日に行われた記者会見で、今シーズン限りでスパイクを脱ぐことをファンに向けて報告したピーター “ラピース”ラブスカフニ。そこで印象的だったのは、「journey(旅)」「brotherhood(仲間との絆)」「leave a mark(何かを残す)」という言葉だった。
母国・南アフリカから2016年に来日して今年で10年。クボタスピアーズ船橋・東京ベイは、すでに彼にとって“ホーム”だった。そこには仲間がいて、残してきたものがある。それでも彼は、その場所を離れる決断を受け入れる。
彼の「旅」の先にあるものは――。会見から2日後、その胸の内を聞いた。
(2026年4月23日、クボタスピアーズ船橋・東京ベイ、クラブハウスにて取材)

4月21日、東京・タワーホール船堀での記者会見で、今シーズンを最後にスパイクを脱ぐことを報告したラピース選手。「スピアーズというチームは、これまでの10年間、私のホームでした。これからの数週間、しっかりと良い形で終えて、何かを残せるようにしたいと思っています」 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

導いたのは「フラン・ルディケ」という存在

――先日の記者会見では「ジャーニー(旅)」という言葉を使われました。振り返ってみて、日本への旅につながる分岐点だったと感じる特定の瞬間はありますか。
「私は自分のキャリア全体を一連の旅だと捉えていますが、日本に来たことは、その旅路において間違いなく最大の分岐点でした。来日した当初、私は自分自身の成長と新たな挑戦を求めていました。そして今、振り返ってみると、そのすべてをここ日本で手にすることができました。
スピアーズ、そしてクボタという会社の一員としてこれほど長く歩んでこられたことを心から光栄に思います。私や家族に多くの機会を与えてくれたチームには感謝してもしきれません。
ですが、私が感謝しているのはチームに対してだけではありません。日本という国に来る機会を得られたこと、そのものに感謝しています。異なる文化や人々に囲まれて過ごす時間は私にとってかけがえのないものとなり、何より、長年にわたって私たち家族を温かく迎え入れてくれた日本の人々のホスピタリティには、深く心を打たれました。
この10年間を素晴らしい仲間とともに歩む中で、スピアーズはもう単なるラグビーチーム以上の存在になりました。私にとっても、そして家族にとっても、ここは大切な“ファミリー”であり、“ホーム”そのものです。
この場所は、私が望んでいたものすべてを与えてくれました。最初は自分の成長を求めてここへ来ましたが、時が経つにつれてその思いは変化していきました。『チームのために貢献したい、この特別な歩みの一部でありたい』という願いへと、私自身が成長させてもらったのだと感じています。求めていた挑戦、そしてそれ以上の温かい絆を与えてくれたこの旅路に、心から感謝しています」

2026年2月21日、スピアーズえどりくフィールドでの三菱重工相模原ダイナボアーズ戦でチーム100キャップを達成。試合後にチームメイトが祝福 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

――来日する以前、2015年には南アフリカのブルズでフラン・ルディケ ヘッドコーチと一緒にプレーしています。その経験は、日本へとつながる旅の過程でどのような意味を持っていたと思いますか。
「私はフランのもとでプレーすることが大好きでした。少し背景を説明すると、フランは私がチーターズからブルズに移籍するきっかけとなった人物です。彼と話したとき、その信念に感銘を受け、彼のためにプレーしたいと思いました。それがブルズ移籍を決めた大きな理由です。
そして日本で再会したときも、彼がここにいてくれることを本当にありがたく思いました。フランは規律や一貫性について、そして非常に強力なシステムを構築することについて多くのことを教えてくれました。それが私のキャリア後半の大きな基盤になったと感じています」


――いうなれば、ラグビーにおけるお父さんのような存在ですね。
「彼のもとで長くプレーしてきましたし、私たちの道が交差したことを感謝しています。彼は素晴らしい人物です。フィールドだけでなく、それ以外の場所でも私の人生に大きな基盤を築いてくれました。彼は心から気遣ってくれ、自分の仕事(コーチング)を愛しています。その情熱は、周りにいる私たちにも自然と伝わってくる――そんな力を持っているんです。
彼は、周囲のすべての人々の心に触れ、良い影響を与える人物です。だからこそ、私のこれまでの旅路において、彼がこれほど長く大きな存在であり続けてくれたことを、本当に幸せに思っています。
ですが、彼に影響を受けたのは私だけではありません。彼は自身の人生を通じて、コーチングという道で何千人もの人々の人生に触れ、そこに素晴らしい変化をもたらしてきた人です」

チームの公式戦初キャップは2016年8月27日、秩父宮ラグビー場での東芝ブレイブルーパス東京戦。ちなみに、リーグ50キャップの試合となった2022年5月28日、秩父宮ラグビー場でのプレーオフ3位決定戦の相手もBL東京だった。昨季は優勝決定戦でも対戦 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

自分を“外国人選手”だとは感じたことはない

――2016年にスピアーズに入団し、2018年にはサンウルブズに招集されました。サンウルブズでスーパーラグビーに参戦した経験は、日本代表への意識にどんな影響を与えましたか?
「そうですね、サンウルブズも本当に大好きなチームでした。サンウルブズに加わり、新しい選手やこれまでとは違う選手たちに出会いました。スピアーズとはまた異なる環境で、プレースタイルも異なりました。
サンウルブズでともにプレーしたスター選手たちを間近で見られたことも、私には大きな刺激になりました。それは非常に大きな挑戦でしたが、私はそのプロセスが大好きでした。あえて自分のコンフォートゾーン(慣れ親しんだ居心地の良い場所)から抜け出し、新しいことに取り組む。そのチャレンジのすべてが、たまらなく楽しかったです」


――それは間違いなくあなたの旅と深い関わりがあるんですね。
「ええ、間違いなく。サンウルブズで過ごした時間は、私に多くの気づきを与えてくれましたし、日本代表としてプレーしたいという意欲を掻き立ててくれました。異なる環境に身を置くことでリフレッシュできましたし、さらに一歩先へ進みたいと思うようになった基盤になったと感じています」

ラピース選手が初めてスピアーズのメンバーとしてピッチに立ったのは、2016年8月13日、クボタ船橋クラウンドで行われたNTTコミュニケーションズシャイニングアークスとの練習試合。6番での先発出場だった 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

――“海外から来た選手”として日本代表に入りましたが、いつ“自分のチーム”になったと感じましたか?
「私は一度も“外国人選手”だとは感じたことはありませんでした。最初から温かく迎え入れられ、サンウルブズや2019年のウルフパック(日本代表の実戦強化チーム)では、長い時間をともに過ごしました。
過酷な強化合宿で寝食をともにし、多くの苦難を分かち合ったことが、選手間に極めて深い絆を生みました。お互いのために全力を尽くし、隣の仲間を決して失望させたくないという強い思いがチーム文化の土台となり、私たちを真の“ワンチーム”にしたのです。
この一体感は年初からワールドカップ本番まで途切れることなく引き継がれました。誰にとっても、そして私にとっても紛れもなく“自分のチーム”でした。それをみんなで共有できたことは、私の人生において素晴らしい経験であり、誇りに感じます」


――2019年のワールドカップでは母国の南アフリカとも対戦しました。特別な感情はありましたか。
「私は南アフリカ人ですし、南アフリカを愛しています。南アフリカ人であることを、誇りに思っています。しかし、当時の私は日本を代表しており、そのために全力を尽くしていました。先ほどお話ししたように、あの絆、共有した経験、隣にいる仲間のために最善を尽くしたいという思い、日本のために良い結果を残したい、日本を誇りに思うという気持ち、それこそが私たちの信念でした。私たちはワンチームであり、ワンカントリーであり、そして試合に勝ちたいと思っていました。勝つことはできませんでしたが、その時の集中力は、その年やその後の数年間に行われた他のどの試合とも変わることはありませんでした」

――日本代表では、キャプテンも務めました。その経験は、あなたに何をもたらしましたか。
「ブレイブ・ブロッサムズを代表してプレーした日々は、私にとってかけがえのない財産となりました。輝かしいこの国を代表し、類まれな仲間やスタッフとともに戦うこと。これほど光栄なことは他にありません。全員がその誇りを分かち合っていたからこそ、常にベストな状態でいたいと強く思っていました。
さらにキャプテンという大役を任されたことで、その経験はより一層特別なものとなりました。日本代表としての歩みに携われたことを、心から光栄に思います」

チーム文化は変わり、その信念は優勝へと向かった

――スピアーズは2022-2023シーズンで優勝を果たしました。2016年の来日当初の段階で、そうなる未来予想図は持てていましたか。
「時間が経つにつれて、チームとしての結束や、信念が強まっていくのを肌で感じることができました。それは私たちがずっと追い求めていたものでした。
チームが成長していく過程に携われたことは素晴らしい経験でしたが、同時にそれは、多大な努力や犠牲を払うことも意味していました。歩みを進める中で、私たちのチーム文化は少しずつ変わっていきました。そして文化が変わるにつれて、チーム内の信念もまた変わっていったのだと思います。それが最終的に、『2023年に絶対にチャンピオンになるんだ』という、私たちが心から切望し、一丸となって突き進む目標へと変わっていったのです」

昨季の優勝決定戦。創部当時の「復刻ジャージー」を着用してBL東京と対戦。チームの伝統とルーツを背負って戦った 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

――スピアーズ在籍中の最も印象に残る試合やエピソードを教えてください。
「最も印象に残っている試合は何かを考えようとすると、どうしても日本での10年間、つまりこの旅そのものが真っ先に浮かんできます。もちろん、印象的な瞬間や試合はたくさんあります。ですがそれ以上に、私たちがどこから出発し、どうやってチームを築き、成長させてきたか。文化がどのように育ち、みんなの信念がどのように変わり、チームがどのように進化を遂げていったか。その過程こそが大切なんです。
この長い旅路には、苦しい時期もあれば、本当に素晴らしい瞬間もありました。どん底もあれば、絶頂もありました。2016年のスピアーズでのデビューとなった東芝戦(8月27日、秩父宮ラグビー場)は私にとってとても特別なものでした。その翌年には、入替戦を回避するために絶対に勝たなければならない試合がいくつかあり、立川理道選手も一緒に戦っていました。優勝を争っていたわけではありませんでしたが、あの時、チームとして必死に努力し、勝利をぎりぎりで勝ち取った経験もまた特別な瞬間でした。
その翌年には、チームの文化も信念も成熟し、一段上のレベルに上がったという実感を抱けました。その後、コロナ禍という困難な時期を挟んだ、神戸製鋼との準々決勝(2021年5月9日、エコパスタジアム)も忘れられない試合になりました。試合のほとんどをレッドカードで1人を欠いた状態で戦いながら、それでも勝ち抜くことができた。本当に特別な記憶として残っています。
そして2023年、私たちはついに優勝を成し遂げました。あのシーズンは、チームにとって“初めて”のことが次々と起きた、驚くべき一年でした。
毎年、異なる挑戦がありました。ですが全体を振り返って言えるのは、このチームの一員であり、同じマインドセットを共有し、ともに文化を築き、ともにより良くなろうと努力し続けられたこと。それこそが、私が心から楽しんだことのすべてです」

ラピース選手が思い出深い一戦として挙げたのが2021年5月9日、エコパスタジアムでの神戸製鋼コベルコスティーラーズ戦 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

14人でつかみ取った奇跡の逆転劇。歓喜に沸く選手とファンの表情が、その価値を物語る 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

――スピアーズというチームはあなたに何を与えてくれましたか。また、あなたはチームに何を残せたと思いますか。
「難しい質問ですね。ですが先ほども言った通り、スピアーズというチームには感謝してもしきれないほど、本当に多くのものを与えてもらいました。ここでの日々は私を人間として大きく成長させてくれましたし、何より、自分が一人の人間として価値を認められている、あるいは必要とされていると感じさせてくれる場所でした。ここで作った思い出は、一生の宝物です。
一方で私からは、周囲への敬意を忘れず、懸命にハードワークを続けること、そして『互いを尊重し、各自が自分の役割に責任を持つ』という文化をチームに根付かせる一助となることで、少しでも恩返しができていればと願っています」

その決断にあったのは、「ピース(安らぎ)」だった

――会見では「引退を決断したのは“一つの瞬間”ではなかった」という言葉がありましたが、その時間の中で一番大きかった感情は何でしたか。
「一言で言えば、それは『ピース(安らぎ)』だったと思います。今このタイミングこそが、自分が第一線から退くべき時なのだと確信できたからです。
私にとって何より大きかったのは、家族の存在です。以前は日本で一緒に暮らしており、それは本当に素晴らしい日々でした。しかし、家族が南アフリカに帰国したことで、生活のバランス(状況)が少し変わってしまいました。私は家族とともに過ごす時間が大好きでしたし、正直に言って、今は離れて暮らしているのがとても寂しいです。
ですが、この決断はかなり以前に下したものです。昨シーズンの開幕時にはすでに、おそらくこうなるだろうと分かっていました。だからこそ、その決断を下して以来、私の心にある最大の感情は『安らぎ』なんです。今がその時だと、納得できています」


――最初に来日された時は奥様とずっと一緒でしたよね。
「ずっと一緒でした。だからこそ、日本に感謝しています。日本で多くの素晴らしい思い出や人生経験を共有しました。3人の子どもたちも全員、日本で生まれました。どの瞬間も最高でした。日本での年月を通じて、私たちは多くを学び、人間として成長することができました。
会見でも『日本はセカンドホーム』だと言いましたが、それは形だけの言葉として言っているわけではないんです。本当に私たちの第二の故郷だと感じています。私は人生の4分の1以上を、日本で過ごしました。だからこそ、いつか必ず日本に戻ってくると断言できます。日本は私の人生の欠かせない、大きな一部なのです。
またいつか戻ってきて、みなさんに再会できたら最高ですね。数年後にふらっと試合を観に来て、スピアーズがプレーする姿を眺め、オレンジアーミーのみなさんの情熱をまた肌で感じられたら……どんなに素晴らしいことでしょう」

今季4月25日、えどりくでの三重ホンダヒート戦に出場。チーム公式戦キャップはこれで101に。「えどりくは私たちにとって素晴らしい場所です。ここでプレーして以来、勝率は100%だと思います。ファンのみなさんの前で、ここでプレーすることは常に光栄でした。リーグの中でスピアーズのファンが一番だと思っています」 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

――日本での現役時代、日本代表やスピアーズで合宿などに行くと家族と過ごす時間があまりなかったと思います。これからは家族ともっと多くの時間を過ごせますね。
「ええ、人生には様々な“シーズン”があります。そうした時間もシーズンの一部でした。かなり長い間離ればなれで過ごしましたが、それぞれのシーズンを受け入れることが大切です。
ここで言うシーズンとはラグビーのシーズンではなく、人生における様々な時期のことです。その瞬間を大切にし、その場に集中することを時間をかけて学びました。なぜなら、将来の状況は変わると分かっていたからです。
当時は、本当に日本を代表して戦いたいと思っていましたし、妻と子どもたちもそんな私を応援してくれました。確かに離ればなれの時期はありましたが、いつか必ず、家族ともっと多くの時間をともに過ごせる日が来ることも分かっていました」


――引退を決めたことで、試合への入り方や準備、一本一本のタックルやプレーに対する意思や意味づけは変わりましたか。
「確かに(引退を決めたことで)自分の中で変化はあったと思います。一試合一試合、一回一回の練習、タックル、ボールキャリー……そのすべての瞬間において、以前よりもずっと“今、この瞬間”を大切にするようになりました。
これが自分の人生において、どれほど大きな一部であったかを噛み締めながら、ただ感謝の気持ちで臨んでいます。もうすぐ終わりがくるのだと自覚しているからこそ、与えられた機会に感謝し、残されたわずかな時間を大切に味わいたい。そして、自分にできる最高のプレーを最後まで出し切りたいという思いが、より一層強くなっています」


――キャリアの終盤を迎え、最後に見てみたい光景や瞬間はありますか。
「もちろん自分たちの目標、つまりスピアーズとしての目標に到達したいと思っています。ですが、まだみんなと一緒に過ごせる残りの時間の中で、私は一つでも多くの思い出を積み重ね、このかけがえのない時間を存分に楽しみたい。そして最後は、最高の形で有終の美を飾りたい。心からそう願っています」

――最後にピッチを去る瞬間、自分にどういった声をかけたいですか。
「ちょうど今、その瞬間のことを考えていたところです。願わくば、喜びを爆発させたいですね。
ですが、その瞬間に自分自身にかける言葉があるとしたら……それはただ一言、『感謝』だけだと思います。今日お話ししたすべてのこと、これまでの歩みのすべてに対して、『本当にありがたかった』と。そして、その最後の一瞬を、ただ一秒一秒しっかりと噛み締め、心に深く刻もうとするでしょうね」


――最後の質問です。スピアーズのファンに向けてメッセージをお願いします。
「私たちのファンは本当に、本当に最高です。オレンジアーミーのみなさんは、いつもスタジアムに凄まじい興奮と素晴らしい雰囲気をもたらしてくれます。他のどのチームもが『あんなファンがいてくれたら』と羨むような、理想的なサポーターが私たちにはついているんです。
みなさんのためにプレーし、みなさんを代表して戦えることは、私たちにとって最大の喜びです。みなさんに誇りに思ってもらえる存在になりたい――その一心で私たちはこれまでやってきました。
私たちはチームとして、自分たちのあらゆる行動を通じて、クボタという会社、このチーム、チームメイト、家族、そして何よりサポーターのみなさんにとっての『誇りの広告塔』でありたいと、常に最善を尽くしてきました。
ファンの方々には、ただただ感謝の言葉しかありません。みなさんは本当に、本当に素晴らしかった。好調な時も、そして苦しいどん底の時も、いつだって私たちの後ろにいて、支え続けてくれました。心から、ありがとうと伝えたいです」

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】

取材・文:藤本かずまさ
写真:チームフォトグラファー 福島宏治
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著者プロフィール

クボタスピアーズ船橋・東京ベイは、日本ラグビーの最高峰「ジャパンラグビーリーグワン」に所属するラグビーチームです。。1978年創部し1990年にクボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市の(株)クボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備しました。「Proud Billboard」のビジョンの元、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っています。またSDGsの推進や普及・育成活動などといった社会貢献活動を積極的に推進しています。

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